メモをとる。ノートをとる。

日常的に行われる「メモをとる」「ノートをとる」という行為。自分にはこだわりがあり、他の人がどうしているのかが気になっています。
メモ ノート 板書 会議 講義 授業
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セルモ川崎菅馬場教室 @selmo_sugebanba
高校の生徒で、ノート点があるから黒板を一生懸命写しているので、授業を聞いている余裕がない、と言っている子がいた。お手本のような本末転倒。
7931 @wed7931
ノート点ってあったけど、あれってなんだったんだろうな。ノートの取り方なんて人それぞれ。自分は板書どおりにノート取ったことないし。当時から今までずっと疑問。 > RT
\nu @A_175
講義中に綺麗なノートを作ることに必死になるのは戦略として失敗ということ, 大学では記号がローカルに定義されるということと, 教科書は講義ではなく自習に使うものだということ, これらの他に一年生の最初に何か伝えとくべきことがあっただろうか.
黒木玄 Gen Kuroki @genkuroki
私の授業では板書の写真を撮るのは自由だとはっきり言っている。音の問題は工夫して緩和してくれと言っている。スピーカーを指で押さえるだけで全然違う。セロハンテープで閉じるとさらによい。 私自身も自分の板書の写真を撮ってノートに書き取るための時間を増やしている。
7931 @wed7931
ノートをきれいにとることは、ほんとに無駄だと思う。 / 親に知ってほしい受験勉強 slideshare.net/tomoakinishika…
Paul Painlevé@JPN @Paul_Painleve
講義で話すことは教科書にほとんど書いてあるので、ネットに資料もビデオもたくさんあるのだから、ノートを取る取らないなんて自由で好きに勉強すればいいと思う。ただ、今は工学部2年生が主な相手で、自由に好きに勉強して数学がわかるようになる学生はごく少数だろうなとは感じている。
7931 @wed7931
《教科書を読もうとしても、目が紙の上をすべっていって、ぜんぜん頭に入ってこない。手を動かして、ノートに数式や図を書いてみる。不思議なことに、だんだんわかってくる。》 これは真実。 / 手を動かすことの怖さとその意味 | 加藤貞顕 note.mu/sadaaki/n/ne47…
三乗根 @cubic_root3
これ、ノートは綺麗にとるものだっていう有害な教え方が原因なんだと思う。そういう子はミス・間違いの無い「綺麗なノート」を目指してしまう。 ノートは自分の思考を整理するもので、テキトーにとってテキトーに何冊も使い潰すものだということを強く教えないとこういう子は直らない。 twitter.com/yougakuszk/sta…
7931 @wed7931
ノートの隅に書く筆算は必ず残してた。答えを間違えたとき、その原因がわからなくなるので。高校以降は記述問題の途中で間違いに気付いたら、消しゴムで消さずにでっかくバツを書いてた。その方がいい。 / 補助計算を消す子: 遊学塾-興味津々- app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/765…
7931 @wed7931
黒板に書かれた通りにノートをとるのは、中学2年くらいで無駄だと気付いてやめた。自分の頭のフィルターを通して、必要なことを整理して書く。結果的に自分にとってはきれいなノートになる。他人からどう見えるかは知ったこっちゃない。ノート点を採点する授業があるけど、今でも必要性がわからない。
7931 @wed7931
高校生になると「ノートをコピーさせて」っていう同級生がいたけど、「先生が板書した通りじゃないけどいい?」といちいち断ってノートを貸してた。借りていた彼らは、コピーしたノートを見てどうやって勉強してたんだろう?
7931 @wed7931
数学のノートをきれいに作るのに関心を持ったのは、大学でセミナーが始まってからかな。高校での数学ノートは、与えられた問題を解くための計算ノートみたいなものだったからなぁ。 > RT
とある高校教師S @hellohellock
俺が最初の授業で『ノート提出はありません。プリントを配るので自由に使って下さい』と説明したら、「じゃあ授業中は何をしたらいいんですか」と聞く生徒がいた。いや、俺の話を聞けよ。お前らはノートを取るのが勉強だと思ってんのかと。そんな勉強方法を染み込ませたやつは誰だよ、と思ったね。
7931 @wed7931
「黒板に書かれた内容を説明している教師の話を聞いて、大事だと思ったところを忘れないように書き留めておく作業がノートを取る」ということ。なので、ノートに書かれた内容は個人によって異なって当然。という考えだったので、評価のための「ノート提出」という行為が無駄に思えてしょうがなかった。
7931 @wed7931
大学の数学の講義で「板書追えてるんだ」って感心する感覚はよくわかる。 あとで復習する前提で、板書をノートに写すのに一生懸命だった。 それまでは「板書をそのままノートに書くのは意味ない」と思ってたけど、大学数学ではそれは捨てた。 教科書はあってないようなものだし。
みぽ @nekomath271828
数学科にいて、 授業全然わかんなくて、超高速の板書をひたすら写して解読する日々でした。 そのおかげか、未だにノートテイクが速く、「書くスピード上げても比較的ブレない文字」が書けるようになった感じがします。 そして、この特技、意外と役に立ってます。 #謎の特技 #共感者いそう
7931 @wed7931
わかりますね、これ。最初は頭のフィルターを通して考えながらノートを取るように努力していましたが、いつの間にか諦めてとにかく板書をノートに書き写すことに専念しました。文字のブレも少ないです。 twitter.com/nekomath271828…
結城浩 @hyuki
質問(授業ノート) 実は私もよくわかってません。中学校・高校と先生の話を聞いて理解するのに忙しくて、ノートはあまりちゃんと書いてなかったですね。(続く) #結城浩に聞いてみよう ask.hyuki.net/q/201804081907… pic.twitter.com/C33pCd5zux
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7931 @wed7931
小学生:板書をそのまま写していた。 中学生:板書+わからないところや興味があるところをメモ 高校生:板書はあくまで参考。授業を聞きながら、ポイントを把握して自分用ノートを作る。 大学生:最初は高校時代を踏襲。数学科に進んで、板書スピードが速く思考が追いつかず、板書を写すことに専念。 twitter.com/hyuki/status/9…
takey_y @takey_y
「数学書の読み方」は「ノートの作り方」とセットなのであった。そして、「ノートの作り方」は、講義や演習での「ノートの取り方」とは、技術的にちょっと違うのだろう。理想としては、講義や演習の時間中にノートを「取って」、そのあと家に帰ってノートを「作る」ことになるのだろう。
Yasuo Nakazato @yaozat
同じ授業を受けた後の2人のノート。このようなノートを見ると、「ここで1行あけましょう」「1マスに1文字を入れましょう」「きれいに写しなさい」という指導があまり意味ないなぁって思えてくる。考えた跡が残ればいいね。大切にしたい。 pic.twitter.com/TFjYe5l7ic
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MER @MathEdr
自分は、簡単に言うと”「ノート指導」は「メタ認知育成」のため”と気づいてから合点がいった。自分の考えと他人の考えしっかり区別して残すとか、わからないところそれ自体を記録しとくとか、振り返りとかはただ書けといって書けるものでもない。逆に形式的なところ指導したことは殆どない。
7931 @wed7931
ノートの取り方の形式的な指導は小学校でよくあった。子どもからも「これはノートにどう書けばいいの?」と質問される。当時の自分もそんな質問をしていた。今思うとすごく些細なこと。中学校に入って、オリジナル形式でノートを取るようになった。社会の先生にほめられて、これでいいんだ!と思った。
しらたき @srtk86
自由に記録するのって大事。> RT 自分はわりと記録には几帳面な性格なので、罫線があるだけでも「丁寧にしなきゃ」って思考が邪魔をしてた。 大学の頃に無地のノートにしてから、あまりそういう思考に囚われなくなった。 以来、無地しか使ってない。
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