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科学者の社会問題への関与とその難しさみたいなもの。

お二人の会話を遡って読んでたらふかいい内容だったのでまとめ。 個人的にはこの文脈で科学者の側に反省を求めるのは無理がある気がするけども。
御用学者 社会 科学
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@himaginer
専門家に「御用学者」とかすぐレッテルを貼りたがる人に限って、実際にその専門家に会ったことがないどころか、知り合いにアカデミアの人間が一人もいなかったりするよね。「韓国がー」とか「官僚がー」ってすぐ言う人に韓国人なり官僚の知り合いがいないのと同じ。
@himaginer
自分も以前は「カンリョウガー」人間だったのですが、自分の高校の先輩がキャリア官僚になったり、ミシガンに交換留学にいらしてた官僚の方々と交流して、「世の中には良い官僚と悪い官僚がいるんだな」と思うようになった。少なくとも自分の知り合いはみんな「とてつもなく良い官僚」。
KASUGA, Sho @skasuga
学者&官僚と韓国人の違いは前者が社会から予算と権限を付託された専門家であり、説明責任を負っているところ。特に学者は最良の独立性が高く、そのぶん説明責任も大きい。レッテル張りで思考停止する人の問題はあるが、まず第一に学者の側に反省すべき点アリ @nenpa @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
一方、マイノリティであることがマジョリティに対して説明責任を負うことになるような構造は、たんなる差別でしょう。@nenpa @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
社会問題に取り組む大学人がいなかったり、いたとしても宇井純や高木仁三郎のように「著名でありながら大学業界からハブられていた」(ように見える)という状況は、やはりAAASが曲がりなりにも人権にコメントしたり、一定数の学者が社会運動にコミット… @nenpa @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
(承前)しているような社会と比較すれば「学者はみんな御用学者だ(御用学者しか生き残れないのではないか?)」という疑惑を社会に与えるのは致し方がないといえるのではないかと思います。 @nenpa @himaginer
@himaginer
「最良の独立性」「学者の側に反省すべき点」の二点を説明いただけますか? 反省すべきは「説明責任を果たしていない」という点でしょうか? RT @skasuga: 学者&官僚と韓国人の違いは前者が社会から予算と権限を付託された専門家であり、説明責任を負っているところ。
KASUGA, Sho @skasuga
「最良の独立性」は「裁量」ですね。すいません。官僚というのは本質的には政治家の命令で動くものなので、そのぶん説明責任は弱いでしょう。政治家は選挙という民衆のチェック機能が働きます(まぁ、どちらも建前なんですが…)。 @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
それに対して、大学というのは伝統的に強い自治権を認められており(まぁ、最近はこれも建前なんですが)なにものの介入も受けずに自主的に研究テーマを決める権利を持っている、ということになっています。それは、学問の自主性が人類の自由と福利向上に資するという前提が… @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
…前提があるからですね。ただ、この自主的な決定権というのは「何をやっても許される」ということではなくて、大学研究者というのは最も理性的な存在だから、その自主性に任せることが政治や経済の介入を許すことより好ましい、ということに過ぎない面もあるわけで… @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
この前提が成り立たなくなると、自由は奪われないにしても予算(研究費、人件費)などが削られたりもする、ということでの一定のバランスはとられる、というやや危うい関係性の中で近代の大学制度というのは維持されてきたわけです。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
特に、戦間期ぐらいから、科学研究にかかる予算が急速に膨大なものになり始めたあたりから、科学の自主性というのは疑われ始めてきました。これに対して、一般的には「科学の理想」を守るために科学者側は一定のアクションを起こしてきたわけです。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
それは、例えば著名なノーベル賞科学者による反核運動というようなスタイル(例:湯川)をとることもありますし、無名の数多くの科学者がローカルなコミュニティで社会問題の改善に携わる(例:宇井)というようなことでもあります。この積み重ねが社会からの信頼を高める。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
しかし、これらの活動は多分に属人的で、かつやってる人が有名人だったり不屈の精神を持っていたりしないと容易につぶされてしまうわけです。そこで、科学者が社会貢献をする社会的機能というのが制度的に実装され、かつそれが多くの民衆に認知されるようにしなければいけない。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
そこで、例えばAAASは人権問題などについて声明を出しますし(これは原理主義勢力へのけん制という意味もあると思いますが)、もうちょっと積極的な研究者は憂慮する科学者同盟のような組織を作って社会問題について調査・活動するわけです。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
これらのことが積み上がることが科学にとって一定の「責任」の果たし方になっているので、例えば政府からお金をもらった研究しかしていない科学者より、憂慮する科学者同盟に参加して実績を上げている科学者のほうが、仮に政府に有利な研究成果を発表したとしても、@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
信頼度が上がってくると言うのは、すべての人間がすべての学問領域に専門化なみの知識を持つと言うことが当然ながら不可能であることを考えれば、致し方ないと言えるでしょう。 @himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
ダッシュで書いたので解りにくければ申し訳ありません。@himaginer
KASUGA, Sho @skasuga
あと、官僚不信はその前提に政治家への「絶望」があるので、不信に思われているぐらいなら未だましだとも言える。
@himaginer
@skasuga いえいえ、お忙しい中、本当に詳しい解説ありがとうございます。自分も考えを整理したいので、リプライに少しお時間をいただければと思います。
KASUGA, Sho @skasuga
民主国家における「政治家への絶望」って、考えて見れば自分たちへの絶望なんですけどね。
KASUGA, Sho @skasuga
Twitterの話ですし、もしお時間があればで結構ですが、お考えが伺えればうれしいです。 RT @himaginer: いえいえ、お忙しい中、本当に詳しい解説ありがとうございます。自分も考えを整理したいので、リプライに少しお時間をいただければと思います。
@himaginer
.@skasuga 先生のお考えとしては「科学技術に多額の国家予算が割り当てられるようになってから、科学の自主性が疑われ始めた。しかし、その自主性を示す社会貢献活動を日本の科学者は積極的に行わなず、結果社会の信頼を失った。この点は反省すべきだ」ということで合ってますでしょうか?
@himaginer
科学者が社会問題に関与したがらないのは、いくら本人が"science-driven agenda"を実行していようと、社会に"agenda-driven science"を行っていると勘違いされ、結果科学者としての評価が下がることを恐れているのだと考えます。 @skasuga
@himaginer
だからこそ声明を出すときは個人でなく学会として出すんだと思います。学会の高い評価に乗っかって、上記のような個々の不安を最小限に抑える。一方で、学会の一個人が社会問題に声を大にして関与し始めると、今度は学会の評価が危機にさらされるので、その個人は村八分に会う。 @skasuga
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