時計屋シリーズ7~墓暴きの話~

架空の禅宗です
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前の話

本編

帽子男 @alkali_acid

「おかあさんとかして」 古い柘植(つげ)の櫛(くし)を持って少女がやって来る。母は小さな手の中にある細工の、椿油で艶やかにしあげた木目を見つめ、頷いて受け取り、切ったばかりでもう長くなり始めた髪を梳いてやる。

2018-10-26 16:52:03
帽子男 @alkali_acid

「あまえんぼうさん」 女親が淡く笑うと、娘はつんと鼻をそらす。 「だって、おかあさんにとかしてもらうと、きもちいいんだもん」 「そう?…そうかもね。おかあさんもとかしてもらうときもちよかった」 「だれに?」 「おとうさん」

2018-10-26 16:53:47
帽子男 @alkali_acid

決して会えはしない父の話は、子供にはむずがゆい。でも、ごくまれに他愛ない思い出を口にする際の母はいつもより幸せそうで、つい先を促してしまう。 「おとうさんがとかしたの?」 「そう。私より上手だったかしら。小さい時からね。だから毎朝毎晩…とかしてもらった」 「あまえんぼうさん」

2018-10-26 16:56:57
帽子男 @alkali_acid

口真似をする少女のこましゃっくれた言いように、大人はとうとう声を立てて笑って、櫛を置いて抱きしめる。 「そうなの。お母さんもあまえんぼうさん…あなたと同じね、都築」

2018-10-26 16:58:19
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ 白昼夢から醒めて、都築はぼさぼさの毛を手櫛で搔く。鳥の巣のようだと久しぶりに意識する。 だが隣に腰かけた男は、年頃の娘にふさわしからぬ蓬髪に取り立てて関心もなさそうだった。手袋をはめた指に掴んだ分厚い日記を睨んで物思いにふけっている。 二人が並んで座るのは路面電車の席。

2018-10-26 17:01:20
帽子男 @alkali_acid

「次藤さん」 名前を確かめるように話しかける。 「何か?」 礼儀正しい抑揚だが、子供が大事な考え事の邪魔をするのをうとむような不機嫌な返事だった。さっきフルーツパーラーで喋っていた時のような屈託のなさはもうない。

2018-10-26 17:07:36
帽子男 @alkali_acid

普段なら大人がそういう態度を取ると、都築は強く反発する。だが次藤という人物が相手だとうまく身構えられなかった。 「あたしの…お父さんて、どんな人でした」 声を落として尋ねる。まるで洋画に登場する、秘密を交換する密偵同士のような。 少女を省みた男の顔は、きつさが幾分和らいでいる。

2018-10-26 17:10:16
帽子男 @alkali_acid

「きれいな人だった」 男が男に言う台詞だろうか。だが次藤はそのまま語句を継ぐ。 「頭が良くて運動もできた。喧嘩はめったにしないが、強かった。俺はいっぺんも勝った試しがない。肇ちゃ…君のお父さんより強い人は、俺は君のお母さんしか知らない」 「へえ」 喧嘩がどうとか母は当然話さない。

2018-10-26 17:13:50
帽子男 @alkali_acid

淑やかな母を形容するのに、喧嘩が強いというのは可笑しかったが、何故か納得はできた。 「でも次藤さんは東京に進学したけど、お父さんは地元ですよね」 「肇ちゃんは成績も俺よりよかった。大学はどこでも選び放題だったはずだ。地元に進学したのは、夕花さんと離れないためだ」

2018-10-26 17:18:20
帽子男 @alkali_acid

「お母さんと…」 男の彫りの深い面差しは、窓から差し込む弱い陽射しの加減でか、いっそう陰影が濃くなった。 「肇ちゃんも夕花さんも互いを大事にしていた。誰も割り込めなかった」 都築の胸の奥が疼く。母が他の何より想う相手がいるというのは、子供には痛みになる。例えそれが父だとしても。

2018-10-26 17:24:44
帽子男 @alkali_acid

次藤の暗く鋭い瞳の奥にも同じ痛みがあるのが不意に分かった。 「…お父さんが…好きだったの?」 どうして訊いたのか、気づくと、まったくふさわしくない質問をしていた。 たちまち信じられないような表情の変化が起きた。強面の、とげとげしさととりつくしまのなさで固めた容貌に朱が挿したのだ。

2018-10-26 17:27:43
帽子男 @alkali_acid

咳き込み、うつむき、窓の外を眺めやって、男は今度は返事をしなかった。 「あ、今のなし!なしで…」 「君は肇ちゃんには似てないな」 「は?」 「まるで可愛げがない」 「はあ!?」

2018-10-26 17:30:00
帽子男 @alkali_acid

思わず拳を固めて立ち上がりかけたところで、路面電車が目的地に着いた。 「先に降りてくれ」 むっつりと次藤がうながすと、都築は肩を怒らせながらずんずんと車内を進み、降車口から飛び降りるようにして外へ出た。

2018-10-26 17:32:26
帽子男 @alkali_acid

◆◆◆◆ 三好家の菩提寺は、市内一の勢力を持つ鐘守寺ではなく、小さな禅宗だ。 墓地もそう広くはない。 都築が、次藤を両親の眠る場所へ案内しようとすると、大兵の寺男と小兵の住職とがわざわざ出迎えてくれた。 「三好様。お久しゅう」 「お久しぶりです」

2018-10-26 17:36:05
帽子男 @alkali_acid

僧侶が普通、檀家に対するのとは違うへりくだった物腰に、少女はいつも居心地の悪さを覚える。 「あの…東京のおじさんです」 必要もないのに紹介してしまう。しかも嘘に近い。 だが連れの男は特に否定もせず黙って会釈をする。

2018-10-26 17:37:46
帽子男 @alkali_acid

「つづきちゃあん。ひさしぶりぃ」 巨漢の雑役だけは、堅苦しさの欠片もなく、親しげに声をかけてくる。小さい頃時々遊んだ間柄だ。といっても向こうはずっと大きかった。年が幾つなのかは分からない。 「お寺におがしあるよお?」 ちょっと喋り方や振る舞いは変わっている人物だ。

2018-10-26 17:40:28
帽子男 @alkali_acid

次藤はあまりやりとりに関心を示さず、水を入れた桶と柄杓を持ってゆく。 遠ざかる背広の後ろを寺男がにらむ。 「あいつきらい」 「知り合い?」 「知らないけど、きらい、鐘つんぼだろ」

2018-10-26 17:42:17
帽子男 @alkali_acid

寺男は子供のように唇を尖らせてから、にたっと笑う。 「おれさあ、もうそろそろかなぁ…そしたら、つづきちゃんに、おくってもらいたいなあ」 「う、うん?」 「ゆうかさんもぉ、はじめさんも…きれいだったけどぉ…もういないし…ぐす…いない…」 今度は泣きそうになる。百面相。

2018-10-26 17:44:36
帽子男 @alkali_acid

都築は慌ててごつい肩をぽんぽんと叩いてやる。すると機嫌が直る。 「えへへ…おしょうさんはあ、びょういんでしてもらえっていうけど、おれやだあ…やっぱりみよしのひとにおくってもらうぅ」

2018-10-26 17:45:41
帽子男 @alkali_acid

「これ、三好様の邪魔をするな」 住職がいい加減にせよとばかり制するので、娘は一礼して男の後を追った。

2018-10-26 17:46:57
帽子男 @alkali_acid

駆け足で開いた距離を詰めると、次藤は次藤で奇天烈な行動をとっているのが目に入った。 屈み込んで墓石のあちこちを弄り回しているのだ。 「ちょっと、なにしてんの!」

2018-10-26 17:50:07
帽子男 @alkali_acid

三好と銘のある墓石は並んで二つある。一つはとても昔からあるもので、ところどころ苔むしている。もう一つは新しく艶やかだ。 男が触っていたのは古い方だった。 「最近動かしたな」 「は?」 「墓の中が見たい」 「はあ!?」 「開けてもらえるか」

2018-10-26 17:51:22