哲学は高尚、日常は卑近?

哲学をハナにかける人、哲学に虫酸が走る人。本来、日常と哲学は共に豊かにし楽しくするものなのに、日本はなんだか不幸。「哲学」なんて名前はやめて、「愛知」にすればいいのに。
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shinshinohara @ShinShinohara

哲学は高尚、日常は卑近、ととらえる「伝統」は根強い。哲学をかじると「自分はちょっと違う上等な人間」みたいな鼻につく人も多い。他方、哲学と聞くと虫酸が走るという人も多い。哲学と日常は、まるで水と油のようだ。

2018-11-05 15:30:11
shinshinohara @ShinShinohara

なぜ哲学をかじると「上等な人間」みたいな鼻につく行動が増えるのだろう?もしかしたら一種の「復讐」なのかもしれない。哲学を学んで他人をバカにする人は、日常では不器用なことが多い。日常の価値観では下位に置かれた恨みを、「哲学を知ってる」という別の価値観で一発逆転を狙う行動なのかも。

2018-11-05 15:33:42
shinshinohara @ShinShinohara

なぜ日常を生きる人は、哲学を忌み嫌うのだろう?たぶん、自分がどうしても興味が持てない分野でバカにされることにハラが立った経験があるからかも。つまり、哲学を鼻にかけるのも、逆に哲学を嫌うのも、「バカにされて腹が立つ」からかも。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の袈裟か、哲学は。

2018-11-05 15:44:19
shinshinohara @ShinShinohara

しかし私は、哲学と日常を切り分ける必要を感じない。互いに刺激しあい、面白くしあうものだと思うから。どちらかが欠けても面白くない。どっちもあった方が断然面白い。 たとえば、「立つシャモジ」の話が、私は大好きだ。

2018-11-05 15:49:27
shinshinohara @ShinShinohara

とある雑誌の編集長が女性で、子どもが小さく、子育てに家事に忙しい毎日。料理をしていると子どもが「ダッコ!」を要求。ああ、飯粒の付いたシャモジをいかにせむ。カウンターに寝かしたら後でこびりつく。「シャモジが立てばよいのに」から生まれた商品。

2018-11-05 15:52:30
shinshinohara @ShinShinohara

その後、「立つジャムスプーン」、「立つ歯ブラシ」と、「寝かして置きたくない」商品が次々に生まれた。日常から生まれた、大ヒット商品。ビバ日常。 でも私はここで思考を止めたくない。「なぜ今まで「立つ」という単純なことが、誰も思いつかなかったのか?」不思議で仕方ないからだ。

2018-11-05 15:57:29
shinshinohara @ShinShinohara

今までにも、ご飯のついたシャモジをとっさにどこに置けばよいか分からないで困った人は多かったはず。実際、売った途端に大ヒットなのは、かゆいところに手が届く商品だったから。思いつけばよかったろうに、なんでなかなか思いつかなかったのだろう?その「構造」に興味が湧く。

2018-11-05 16:00:11
shinshinohara @ShinShinohara

すると、子どもに急に泣きつかれてとっさにシャモジの置き場に困った人は多くても、「この問題、どうにか解決できないか?」というところまで考えを進めること、思いつくまで考え続けること、商品化するにはどうしたらよいかまで考え、行動することがなかった、ということに気づく。

2018-11-05 16:07:57
shinshinohara @ShinShinohara

ならば、問題に感じたことをそのままにせず、意識化することが大切なこと、それをシンプルに解決できる方法を考え続けること、思いついたら実現すること、これらのプロセスを一種、マニュアル化したらよいことに気がつく。

2018-11-05 16:10:02
shinshinohara @ShinShinohara

「困ったな」をそのままにしない。どうにか解決できるかもしれない、と考え続ける。すると、「誰もが思いつきそうで思いつかなかったアイディア」がドンドン生まれる仕組みが作れるかもしれない。

2018-11-05 16:11:34
shinshinohara @ShinShinohara

哲学的視点は、日常から普遍的な課題を見出すのに向いてる。そして、日常に還元する工夫も考え続ければ、日常を豊かにする普遍的な方法を提案することもできる。日常は人間を哲学に教えてくれ、哲学は日常に役立つ普遍的なノウハウを提供してくれる。相互に刺激的だ。

2018-11-05 16:14:20
shinshinohara @ShinShinohara

「哲学は日常の些末なことに関心を持ってはならない」みたいなことを言う人もいて、立つシャモジなんかを例に出したら叱られそうだ。だが、哲学はフィロソフィア、つまり「愛知」だ。立つシャモジを喜ばないなら、知を愛してるとは言えないように思う。

2018-11-05 16:16:31
shinshinohara @ShinShinohara

立つシャモジは、なぜ今までそれがなかったのか?なぜ思いつかなかったのか?なぜ人間は思いつかないのか?どういう思考が人間に潜んでいるからか?という、哲学的な問いにも通ずる課題を提供してくれる。だからもっと、日常から問いを立てたらよいのに、と思う。

2018-11-05 16:20:27
shinshinohara @ShinShinohara

九鬼周造の「いきの構造」なんか読んだら、「ああ、芸者遊びの好きな人なんやなあ」と思う。ベルグソンの「笑い」を読んだら、「お笑いが好きなんやなあ」と思う。実は、著名な哲学の多くが、日常から学んでいる。

2018-11-05 16:23:09
shinshinohara @ShinShinohara

日常が哲学を豊かにし、哲学が日常を豊かにする。刺激しあい、豊かにしあう関係が、哲学と日常だと思う。あんまり肩肘張らず、お茶うけの他愛ない話、酒の余興で哲学を楽しめばよいと思う。

2018-11-05 16:25:09
shinshinohara @ShinShinohara

そのとき、変に言葉の定義にこだわらなくてよい。実存だとか止揚とか、別にそんな言葉知らなくって構わない。思考を互いにドンドン進められるなら、たった今名付けた、とりあえずの名前で構わない。 「なんで立つシャモジが思いつんかったんやろなあ!」「ほんまや!大儲けできたのに!」で結構。

2018-11-05 16:29:41
shinshinohara @ShinShinohara

哲学はどうも、プロテスタントの影響の大きいドイツが主導権握ってから、生真面目で融通の利かないものになった気がする。プロテスタントの方々は、とてもまじめだから、哲学にその色彩が乗り移ったのだろう。

2018-11-05 16:32:15
shinshinohara @ShinShinohara

哲学の祖とも言われるソクラテスは、実に気楽。プラトンがソクラテスの言行として本にして残しているけど、酒かっくらいながら、酔っ払いながら、実に気楽に話してるので、身構えていた私は、読みながら拍子抜けした。

2018-11-05 16:34:28
shinshinohara @ShinShinohara

哲学なんて名前やめて、「愛知」にした方がよいと思う。そっちの方が訳としても正しいし。愛知県の人がムダに喜びそうだけど。

2018-11-05 16:36:10