世間ではヴィパッサナー瞑想やらマインドフルネスが流行りで、それぞれもっともらしく説明がされているけれど、個人的には慈悲の瞑想のほうが優先順位高いと思うんだよ。人間、幸福感覚よりも不幸の感覚のほうが強く現実感をもつから、幸福感覚の訓練していないと、すぐに押し負けてしまう人も多い。
2018-11-08 13:59:00なんかこの人、根本的に違いしてるんじゃないかと思うんだけど、ブッダのそのままの教えを実践しようと思ったら現世を捨てたくなって実生活なんて成り立たなくなるんだけど。 「無」にならなくていい マインドフルネス瞑想のコツ : NIKKEI STYLE style.nikkei.com/article/DGXMZO…
2018-11-09 09:27:45あと、ヴィパッサナーとアーナーパーナサティの区別がついてるのかついてないのか分からないけど、混同してる。最近のトレンドはそうなんですかね。
2018-11-09 09:33:29@jiei_yushi はじめましていつも拝読させていただいてますこの件もう少し教えていただきたいです。波立つ心を瞑想で落ち着けるではなくもう一歩先、瞑想することで慈悲の心を感じる、幸福感覚を得るために瞑想するということでしょうか?マインドフルネスではない坐ることは何だろうとよく考えています
2018-11-09 09:42:12@kaorikokoal 瞑想にサマタとヴィパッサナーがあることはご存知だと思いますが、現在マインドフルネスと呼んでいるのはヴィパッサナーのほうです。そして、心を落ち着けるほうがサマタになります。それではヴィパッサナーは心を落ち着けないのかというと、理屈ではその通りですが、実際はそう簡単に分けられません。
2018-11-09 09:48:19@kaorikokoal 瞑想や坐禅は、同じ姿勢で坐っていても、その内容が違えば雰囲気も違ってきます。ヨーガの姿勢を見れば、同じ坐り方でも明らかに感じが違うのが分かると思います。
2018-11-09 09:50:24@kaorikokoal さて、慈悲の瞑想ですが、慈悲の瞑想はサマタの一種です。ヴィパッサナーは、身体と感覚の観察から始めるので、前提が違います。 twitter.com/jiei_yushi/sta…
2018-11-09 09:52:44@kaorikokoal マインドフルネスがティク・ナットハン師によって注目を集めることになったこともご存知だと思いますが、当初はマインドフルネスは、そんなに面倒な意味で用いられていませんでした。そして、そんな面倒な説かれ方をブッダはされなかったというのが、ティク・ナットハン師の信念だったようです。
2018-11-09 09:55:39@kaorikokoal そこでのマインドフルネスの意味は、日本の言い方でいうなら、「心を込めて、丁寧に」というのがまさに当てはまると思います。マインドがフルな訳ですから、これで意味としては十分というか、ティク・ナットハン師もそういうコンテクストだったように見えます。
2018-11-09 09:57:48@kaorikokoal ヴィパッサナーだのサマタだの理屈に拘泥すると、慈悲がどこで現れるのかに迷いがちですが、「心を込めて、丁寧に」生きることが無慈悲であると思う人はいないでしょう。私たちは、そういう肌感覚を通した瞑想を行なうべきです。
2018-11-09 09:59:46@kaorikokoal 心を込めて丁寧に呼吸し、心を込めて丁寧に観察する。そして心を込めて丁寧に自分に向き合い、人に向き合い、生き物に向き合えば、それ以外のマインドフルネスがあるでしょうか?しかし実際は、「それ以外」のマインドフルネスが流行っているようです。
2018-11-09 10:08:20@jiei_yushi 御丁寧な返信恐れ入ります、ありがとうございます。マインドフルネス、心をこめて丁寧にすることによってもっと何かを得られる、坐禅をすることで今と世界をひかれるのではないかそのための手段になっているのかもと思ったりします。でもどんなことであれ大切なのは心をこめて丁寧に、なのですよね。
2018-11-09 10:32:03@jiei_yushi tweetをみることでいつもいろいろ考えさせていただいております。 そのきっかけを頂戴できてありがたいなと思っております。 考えることで少しでも丁寧に日々をおくれたらいいなと改めて思いました。 御丁寧な返信ありがとうございました。
2018-11-09 10:37:50そうですね。そしてまずそのように呼吸することは、いま、すぐここで、どんなときでもできることであり、人生の最後の最後までできることです。 twitter.com/kaorikokoal/st…
2018-11-09 10:38:44@jiei_yushi ごめんなさい、ちょっと打ち間違いがありました。マインドフルネスはあまりにもう一歩先へ先へといく手段になりすぎているのが私の感じる違和感なのかもと思いました。手段にするのではなく心をこめて丁寧に、そして最後までそのように生きる、結果なにかしらのとこへたどり着けていたらと願います。
2018-11-09 10:44:07何という経典か忘れましたけど、本人の気質に応じて、最初に取り組む瞑想は異なるものをお釈迦様が勧めるというのがあったような。 twitter.com/jiei_yushi/sta…
2018-11-09 11:27:03