3/24 陸前高田〜大船渡 日帰り帰郷報告

被災した故郷・岩手県大船渡市の日帰りリポートのまとめです。1〜52まであります
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コグ/胡口桂子 @koguing

昨日は震災後初めて故郷の岩手・大船渡へ。1歳、3歳の幼児がいる我が家はこいつらを連れてくことは難しく、義父母にあずけての日帰り帰省。前日から義父母の家に泊まりこみ、寝ている幼児たちの布団からスルリと抜け4:30発車。この時間の東北道は日曜だけとすっかすか(続く)

2011-04-25 12:42:59
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き1)ひび割れたり盛り上がったりした高速道をものすごい早さで復旧した日本の土木の超絶早技はtwitterでも話題になってたけど、ほんとちゃんとなおってた。でも、震災前と同じように真っ平らかというと、多少の凸凹はそれでもあるのでスピード出しすぎるとフワリと車が浮いたり(続き)

2011-04-25 12:46:32
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き2)そうこうしてると「ここ真横に行くと福島第一だね」というポイントあたりを通過。あの向うに封鎖されたあの町があるんだな。あのランドセルがころがってたあの小学校があるんだな。突然雨が降ってやんだりして、そのあと、すんごい快晴!

2011-04-25 12:49:18
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き3)さて宮城。たくさんの友人知人があの町とあの町とあの町と、おばちゃんが従兄弟が従姉妹が、いろんな人の顔がうかぶ。でもみんな生きてるっていってた宮城。私のしってる人は死んでない宮城。でも私がしらない人は一番たくさんの人が死んだ宮城。もう雲さえないド快晴!(続く)

2011-04-25 12:53:02
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き4)私がおりる一ノ関の直前あたりにある栗原市。なんか心なしか道路の凸凹ぶりがいちばん顕著だった印象。南原とかケーシー高峰みたいな質感。震災前がいかに宮崎あおい質感だったか、という日本の高速道路のつるつるぶりをまた実感。肌質について思いが脱線している間に、岩手へ(続く)

2011-04-25 12:57:10
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き5)一ノ関から沿岸の大船渡までは、普段なら2時間きる。早いと1時間ちょっとでいってしまうこともある。これもよく言われてることだけど、内陸の一ノ関はなーーーんも変わってなかった。いつものまんまだった。たまに屋根瓦が落ちたのかブルーシートはってたり、壁がちょと落ちてたり(続く)

2011-04-25 12:59:58
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き6)一ノ関からループ橋通って→大東町→陸前高田→大船渡、というのがいつもの帰省のルート。冬で積雪や路面凍結が心配なときは、一ノ関→気仙沼→陸前高田→大船渡のルートを利用する。30分前後くらいしか時間的にはかわんない。今回はループ橋大東ルート。(続き)

2011-04-25 13:04:17
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き7)道路標識に「陸前高田」って出てくるあたりは、山ん中なので電波状況かなり悪い。すこし下に下がったあたりの電波あるとこでtwitterに高田に入ったことつぶやいた。高田では高校のときの同級生が亡くなった。4人の子どもがいる。一番上が中2で、一番したが小3。(続く)

2011-04-25 13:07:38
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き8)奥さんはこれまた小中高一緒だった女子。家もわりと近かった。この子の妹は、去年交通事故で亡くなった私の弟と同級生だった。小さい頃、好きだった、みたいなことを弟からきいたことあるようなないような。別の子だったようなないような。(続く)

2011-04-25 13:11:20
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き9)そんな友人の夫であり同級生が、どこにもいないんだよずっと探してるんだよ、と聞いたときは心臓がぎゅーっとなった。去年の3月、弟が亡くなったとき夫婦で葬式にきてくれた。頭がぼーっとしてて、この顔が誰の顔かわかんなくなってる私に、遠くの方から「けーこちゃーーん!」(続く)

2011-04-25 13:14:03
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き10)「けーーーこちゃーーーん」と呼びかけてくれて、我にかえったら、この夫婦がたってた。そのときどんな話をしたかもう覚えてないけど、そんときの2人のやさしい顔は今ものこってた。だから、遺体がみつかって火葬できたと聞いたときは、とにかく今すぐいきたかった(続く)

2011-04-25 13:16:05
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き11)日曜日は家の片付けをしてるからいつでもいいよ。でも電波はいんないから、避難所にいるばぁちゃんにきいて、とのことだった。避難所でばぁちゃんことこの同級生のお母様をみつけ、家に案内してもらった。うちの車にのってもらった。この人も息子亡くなった人だ。(続く)

2011-04-25 13:20:15
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き12)なのに、信じられないくらいフラットだった。ああ、そういうふうにしてるんだな、と思った。私は息子を亡くしたお母さん、あと2人知ってる。自分より先に子どもを亡くすことがどういうことか、なんとなく知ってる。でもこの人すごいフラット。私の家の心配をしてた(続く)

2011-04-25 13:22:28
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き13)仏壇に手を合わせたら、喉の奥がぎーーーっと痛くなった。お骨の前に子どもたちと撮った写真があった。高校生の頃、野球部だったので、坊主頭しかあまり記憶にないから「あれ、髪型がある」とか思った瞬間に、ぶわっっと涙がでた。髪型がある〜と、泣けた。お母さんは奥の方にいた(続く)

2011-04-25 13:25:50
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き14)奥さんである友人とは結局あえなかった。仙台あたりを通過したころに連絡してたんだけど、早く着き過ぎてしまい、お風呂にいっちゃってて留守だったのだ。すぐ戻るといわれたけど、手も合わせられたし、充分だし、お風呂にゆっくり入ってほしかったので、もう出るといった(続く)

2011-04-25 13:28:37
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き15)今おもえば、やっぱり本人にもあったほうがよかったのかどうなのか。あったほうがよかったのかもしれない。わからない。でもべつにまたいけばいいんだし。娘さんが友人と友人の妹にそっくりだった。

2011-04-25 13:31:37
コグ/胡口桂子 @koguing

24日に震災後初めて故郷の岩手・大船渡へ行ってきまして。昨日は出発から陸前高田竹駒の友人宅へ弔問したしたとこまでで、次男が昼寝から起きてしまったので、今日はそれ以降の覚え書きを。後日、総論などをデジ女としてアップできればいいな〜と考えています。

2011-04-26 14:16:07
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き16)友人宅を出て広がる陸前高田の風景は例のあれだった。「でも実際に見るとまたぜんぜん違う」というのはむしろ私にはない。あのまんま。テレビや写真やネットで見るあれと同じ光景があってむしろ現実感ない。私はここにいろんな建物や生き物や人間がいたことを見て知ってるので(続く)

2011-04-26 14:26:23
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き17)どうしても現実と思えないのだ。衝撃の思いははじめてテレビの映像を見たときの方がむしろある。本当にこうなってるんだ、というなんとも乾燥した感覚。おそらくこのとき私は感受性を鈍化させてたかもしれない。だとしたらやはりすごい光景なのだ。(続く)

2011-04-26 14:31:06
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き18)高田は私が18まで住んでいた大船渡の隣町で「岩手の湘南」といわれてた県内有数の海水浴場があった。私の長男が初めて入った海はこの高田松原だ。また沿岸南部では最後まで残った町の映画館・高田交友館もあった。小5のとき子どもたちだけでJR(当時は国鉄)に乗って(続く)

2011-04-26 14:35:41
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き19)「ハイティーン・ブギ」を見に行った映画館もあった。中学の頃、吹奏楽部にいた頃はしょっちゅう野球部の応援で市民球場に行った。たしかそんときは脇ノ沢駅でおりて楽器持ってゾロゾロ歩いた記憶。あつくてだるくて潮のにおいがうっとおしかった。それは全部陸前高田であったこと(続く)

2011-04-26 14:38:14
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き20)私は大船渡市民だったけど、知らぬ間に隣の陸前高田でいろんな時間をすごしてた。それが今目の前に広がってるここですべてあったことなんだ、というのがぜんぜんわけわかんない。この日いつも帰省するときに通る国道45線は前日の雨の影響か通行止めになっており山側の別ルートで(続き)

2011-04-26 14:42:09
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き21)大船渡に入ることになった。いつものルートであれば、さらに荒涼とした姿を見ることになったかもしれない。さて昨年3月、弟が事故でなくなったのは陸前高田から大船渡をつなぐ三陸縦貫道の途中だった。3月も末というのにたまたま寒い日が続き、ちょっとした山の影になった部分の(続く)

2011-04-26 14:46:32
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き22)ほんのわずかな一カ所が路面凍結しており、スリップしての事故だった。反対車線につっこんでかえらぬ人となった。家業をついだ弟が毎朝の日課としていた陸前高田方面への配達の途中のことだった。ある意味これも自然にやられた事故だった(続く)

2011-04-26 14:50:01
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き23)震災で弟の一周忌には帰ることができなかった。そして、今、高田から大船渡への途中で、弟の事故現場を通る。毎回、帰省の際は必ず通るけれど、今回もやはりいろんな思いが信じられないくらいの量で頭の中を飛びまわった。耳がプールに入ったときみたいにボワンってなった(続く)

2011-04-26 14:53:02