3/24 陸前高田〜大船渡 日帰り帰郷報告

被災した故郷・岩手県大船渡市の日帰りリポートのまとめです。1〜52まであります
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コグ/胡口桂子 @koguing

(続き24)三陸縦貫道を丸森でおりると、ここは小高い丘になっており目の前に真っ青な空と信じられないくらい穏やかな海が広がってた。ここで見る海の色はだいたい空の色をうつしてて、曇ってるときはグレーで快晴のときは真っ青なんだけど、この日の海の色は空の色と一緒じゃなかった(続く)

2011-04-26 14:56:34
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き25)多分、海の水が相当にごってる。それがなんとなくわかった。丸森から45号をどんどん下っていくと、これまた例のテレビに頻繁に出たいわゆる大船渡の被災風景がひろがりだした。私の通った大船渡小学校は避難所に指定されてるけど1Fまで浸水したらしい。(続く)

2011-04-26 14:59:04
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き26)小学校を通りすぎるとき、防災訓練時ふざけてて怒られたことや、津波写真展を校外学習で見に行った日の夜こわくてトイレにいけなくなったこととか思い出したけど、今おもえば、全部他人事すぎた。生きているうちに、こんなことがおこると思ってなかった。(続く)

2011-04-26 15:03:29
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き27)小学校から自宅のあった家のあたりまで、つまり小学生の頃の通学路は見る影もなかった。

2011-04-26 15:08:40
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き28)自宅近辺に到着。「元競馬場前」とか「都立大跡地」とか(すいません長いこと目黒区にいました)。前になんかあった場所をそのまま地名にするのおもろいな〜と思ってたけど、そこまさにそうなってた。元私んち前。実家跡地。でかいコンテナが5〜6個流れついてて敷地をふさいでた(続く)

2011-04-26 15:44:53
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き29)ウロウロ歩いたり、たちどまったり。また歩いたり曲がってみたり。200mくらい離れた同級生の家の年賀状がおっこちてたり。正直どこからどこまでがうちだったかわからない。正確にはどこなんだ……と下を見ていたら、店の入り口にひいてあったレンガの床が泥の下に見えた(続く)

2011-04-26 15:50:37
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き30)そのレンガを見た途端、ここでやっとぶわっときた。ボタボタきた。小学校2年の春にここに店を出すから引っ越してきた。転校するのいやだったのにつれてこられた。店舗兼住宅だった。大船渡店という扱いで、本店をまわす父とは別に母が店長として3/11の2:46まで営業してた(続く)

2011-04-26 15:55:45
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き31)オープンした昭和50年代にはそれはそれは忙しくて、私もだいぶ店の手伝いをさせられた。大型店やコンビニなんかの影響があって小売りが下火になったここ数年も、飲食店への卸しや車を運転できないお年寄りや近所のお得意さんのために店をしめることはなかった。(続く)

2011-04-26 15:59:26
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き32)父も死んだ弟も、もうお母さんは充分働いたから大船渡はしめてもいいよ他の店で大丈夫だからっていってたんだけど、母はどうしても店をしめようとしなかった。そして3/11のあの時間まで店をあけてた。その店のレンガが泥の下に見えた。無意識に足で少しでも泥をとろうとしてた(続く)

2011-04-26 16:02:06
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き33)あの状態を見て、あらためて母が生きているのは奇跡だと思った。よく逃げたと思った。どのくらいいたかわからない。わりと長いことうろうろしたように思う。きりがないので、父と母がいる隣町の店舗へ行くことにした(続く)

2011-04-26 16:08:24
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き34)震災後、はじめて見た父と母の顔。いやあんまよく見れなかった。なんでか目がよくあわせられない。はなしもアホほどぎこちない。2人がいま働いてる店舗は大船渡で唯一残ったショッピングセンターの中に入ってる。駐車場は日曜ということを抜きにしてもぱんぱんだった(続く)

2011-04-26 16:13:29
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き35)駐車場からエレベータで売り場に降りただけで、なんかえもいわれぬ活気に満ちてるのを感じた。別にぜんぜんしずんでなかった。大船渡の商店街がほとんど何もなくなったせいで、ここに仮店舗をかまえる店も多く、銀行なんかほとんどがここに仮事務所をおくことになってた(続く)

2011-04-26 16:15:33
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き36)正月に来たときは、空きスペースがあったりしてたのを記憶するけど、もうなんていうか売り場がぱつんぱつんにあふれかえってた。戦後の闇市ってこういうんだったのかな。いや、ここぜんぜん闇じゃないんだけど。棚にはあきがあるとこもたまにあるけど、いや売り物は潤沢にある印象(続く)

2011-04-26 16:18:37
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き37)一緒に働いてる叔父の好意で、父と母は私と店を抜け弟の墓参りに行くことになった。本来なら3月末の一周忌に子どもらも連れて春休み中滞在する予定だった。今回子どもらは連れてこられなかったけど、大きな目的のひとつはやはり弟の墓参りなのである(続く)

2011-04-26 16:23:09
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き38)お寺まで車を走らせてる間、弟が生きていたらこの震災と津波、なんていってたかなーと想像する。いや、前から想像してたけど、このときもあらためて想像してみてた。もしかしたら弟は1年前に事故で亡くなってなければ津波で逝ってたのかな、とか(続く)

2011-04-26 16:25:24
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き39)家がなくなるのと弟がなくなるのが一緒のタイミングでは、あまりにひどいのであらかじめ1年前に分散しといてくれたのかな、と。…いやそういうことを考えるのは、死にたいして意味をつけることになるのでいかんいかん、とか。やっぱただ死んだんだ、とか。そうこうしてたら寺到着(続く)

2011-04-26 16:27:48
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き40)墓石は所々倒れているものが目立った。また、比較的新しい供花のある墓には、もしかしたら津波で亡くなった人がいるのかな、と想像させた。見回すとところどころに新しいお花があってかなしかった。「ついで参りはいけない」てよくばあちゃんがいってたので心の中で手をあわせた(続き)

2011-04-26 16:31:37
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き41)弟の墓石は倒れなかったらしい。新しいからかもしれない。お花をそなえ、線香に火をつけて弟にあいにいった。ききたいことだらけだった。私はどうしたらいいかな。何すればいいかな。あんただったらどうするかな。でも弟には安心しててほしいから「ぜんぶ大丈夫だから」と報告した(続く)

2011-04-26 16:34:54
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き42)うちの寺の隣には大船渡市役所がある。墓参りを終えた母が「ちょっとのぞきましょう」的なサラリとした感覚で支援物資?の並んだテントに案内した。テントの脇になにわナンバーの給水車があって「お父さん水は今は大丈夫ね」「ああ今はあるな」とかこれが新しい日常会話なんだなと(続き)

2011-04-26 16:39:30
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き43)だいたいにして、父が登場したときに手にしてたペットボトル、それなに?ってのがあった。みたことないパッケージの水。のどかわいてないかほれ、と飲みかけのそのボトルをよく見るとインドの水だし!海外旅行とかで見た事ないビールとか水のボトルみるあの感じ(続く)

2011-04-26 16:41:56
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き44)車両も県外ナンバーすごく多かった。大阪府警、京都府警、千葉県警…パトカーだけみても、ここいったいどこなんだ、と。消防車も和歌山とかとか。そういう県外車両見るたび、その県出身の友人らの顔など思いうかべ、なぜかその友人らに感謝の気持ちがわいた。ズレてるけど(続く)

2011-04-26 16:44:40
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き45)インドの水を飲め、と差し出す父の異国情緒に困惑してる横で、母は支援物資のテントの入り口でなにやらサインして中に入っていった。テントの外にも物資がつまれてたけど、それは誰が持っていってもいいやつで、テントの中のは罹災届けをした人だけ、ということになってるらしい(続く)

2011-04-26 16:47:25
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き46)さくさくと物資をセレクトして「今日はこれで」とスマートにテントから出てくる母。なんだろこの日常感。私だけがバージョンアップおくれてる感覚。両親がいうには、うちのあたりはもう物資は潤沢にあるんだ、ということだった。ほんとにそんな印象だった(続く)

2011-04-26 16:50:43
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き47)その後本家に顔を出した。3年前に亡くなったばあちゃんの仏壇に手を合わせた。ばあちゃんは釜石の出身で津波の話と戦争の話をよくしてくれた。怖かったけどよく「話して〜」とねだった。津波の後にタラだかなんだかとにかく大きな魚をさばいたら、腹から人間の指が出てきた話とか(続き)

2011-04-26 16:54:15
コグ/胡口桂子 @koguing

(続き48)あの頃はまさか自分が生きてるうちにばあちゃんと同じような体験すると思ってなかった。もっと聞いておけばよかった。だから戦争の話もきっとそうなんだろうと思う。本家の従兄弟が、撤去される前のくずれかけた我が家の写真を残しており、それをテレビ画面で見せてもらった(続き)

2011-04-26 16:56:45