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九州の戦争遺跡・軍事遺産をまとめてみた ※未訪箇所は今後、追記予定

太平洋戦争中に九州各地に在った、特別攻撃隊の基地や戦争遺跡、軍事遺産などをまとめてみました。
歴史 軍事遺産 太平洋戦争 戦争遺跡 特別攻撃隊
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♡もえぴょん♡日本史と手越くん♡ @MoeK20060408
今日から少しの間、過去に訪ねてまとめていなかった九州に在る太平洋戦争時、特別攻撃隊(特攻)の基地が置かれていた知覧・鹿屋・万世を改めてご紹介しながらまとめていこうかと思います。 また、太平洋戦争に興味を持つきっかけとなった年に初めて訪ねた大刀洗や宇佐などもご紹介出来たらと。 pic.twitter.com/8M0jUGHGcr
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♡もえぴょん♡日本史と手越くん♡ @MoeK20060408
因みに、終戦の日からあえて投稿をずらしたのはその日だから便乗して知ってもらう事よりも、投稿のタイミングをずらす事で8月ではない時期に太平洋戦争について見て知って感じて欲しいなと思ったからです。 生意気に感じたら申し訳ありません💦
♡もえぴょん♡日本史と手越くん♡ @MoeK20060408
訪ねたのは2017年(平成29年)の3月です。この年は1月に太平洋戦争において、劣勢に立たされた大日本帝国が本土防衛上確保及び戦争継続の為に 必要不可欠である領土・地点を定め、防衛を命じた絶対国防圏のサイパンやテニアンを訪ねた年でもありました。 pic.twitter.com/zkemmz0J7C
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♡もえぴょん♡日本史と手越くん♡ @MoeK20060408
最初にお断りしておきますが、私が訪ねた写真やツイートを勝手にまとめないで下さいね。自分でまとめてますので、貸し出しもしておりません。 ご興味がおありでしたら、ご自身で現地をお訪ね下さい。その方が得られるものは大きいはずです。
♡もえぴょん♡日本史と手越くん♡ @MoeK20060408
知覧特攻平和会館 (鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地) 知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期(第二次世界大戦末期)に編成された大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料を展示している施設です。 ここには陸軍特別攻撃隊員の写真・遺書などの遺品約4500点、遺影1036柱などが展示されています。 pic.twitter.com/FrZxTmmc9o
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特攻は太平洋戦争末期 爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃し、パイロットは必ず戦死する【必死】条件の作戦でした。 本土最南端の陸軍特攻隊の出撃地となったのがここ、知覧飛行場で主に沖縄戦における特攻の基地となりました。 pic.twitter.com/AW8HAnCLGO
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他に南さつま市に在った陸軍の万世飛行場、鹿屋市、霧島市に海軍の国分第二・串良・鹿屋の特攻隊出撃基地が在りました。 展示されている遺影・遺品のほとんどは、元・特攻隊員で知覧特攻平和会館初代館長・板津忠正氏が集めたもので、館内の展示品は全て撮影禁止です。 pic.twitter.com/v7LWMPKFjv
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▼一式戦闘機「隼」III型甲 復元複製機。 2007年(平成19年)に制作・公開された映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の撮影に使用されました。 映画配給元の東映から、知覧町へ譲渡された実寸大精巧レプリカですが屋外展示の為、劣化が進行しています。 ※この復元複製機体のみ撮影可 pic.twitter.com/716XvJTVPv
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~特攻基地の歴史について~ 太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)12月 知覧町に陸軍の飛行場が完成。飛行場は福岡に在った太刀洗陸軍飛行学校の分教所となります。 戦争に突入した翌1942年(昭和17年)1月には最初の入校者78人が知覧に到着します。 pic.twitter.com/hwHKld4ze6
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当初は、九州島内や朝鮮(現・大韓民国)の各地に設けられた分校と同じく、少年飛行兵や陸軍特別幹部候補生の教育・訓練が目的とされていました。 しかし、1944年(昭和19年)夏以降は戦局の悪化に伴い、戦術が艦船への体当たりを柱とする「特攻」を主軸とするものに転換。 pic.twitter.com/5vNCdhpERg
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この過程で近い将来の本土決戦に備えた航空関連軍学校の軍隊組織化が進められていきます。 1945年(昭和20年)2月 陸軍飛行学校が教導飛行師団と改められるのに合わせ、 太刀洗飛行学校は第51航空師団と改称。
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知覧分校は上部組織の第6航空軍に隷属する「第7飛行団」となります。こうして知覧特攻基地が誕生し、振武隊と名付けられた特攻隊が出撃する事になりました。 1945年(昭和20年)3月20日付で参謀本部から「と号部隊」と呼ばれる陸軍特攻隊の編成が発令されました。 pic.twitter.com/ESRczyqpiS
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同時に陸軍第6航空軍は連合艦隊の指揮下に入り、振武隊は海軍側の特攻隊として既に動き出していた神風特攻隊と共同歩調を取ります。 1945年(昭和20年)4月1日に沖縄戦が始まると、第二十振武隊を皮切りに知覧からの特攻出撃も始まりました。 pic.twitter.com/MhvnJtH4wV
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以後は海軍の鹿屋航空基地と共に特攻出撃の最前線となり、戦艦大和の最期となった坊ノ岬沖海戦で一度の戦いでは最大級となる陸海軍合わせて300機もの出撃の一翼を担う事になります。 一方で、米軍は特攻機の出鼻を挫く為、飛行場をB-29の機動部隊で空襲する戦術を導入。 pic.twitter.com/PrnvjKBk65
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知覧飛行場も攻撃対象となり、多くの特攻機が出撃前に失われました。 1945年(昭和20年)5月28日 陸軍第6航空軍は菊水八号作戦を最後に連合艦隊隷属を外れますが、その後も沖縄戦線への特攻は行われ続けます。 大規模なものは6月22日の菊水十号作戦まで続き、
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6月25日に沖縄での組織的戦闘が終了するという大本営発表で知覧もその役目を終えるかに見えます。 しかし、米軍の日本本土上陸はもはや間近に迫っており、知覧飛行場は帝国陸軍の本土防衛の最前線となっていました。出撃は8月15日の終戦まで散発的に続いていったのです。 pic.twitter.com/PNzxdTx87M
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陸軍関連の総出撃者1036人のうち、全体の4割ほどにあたる439人が知覧から出撃したと記録しています。 敷地内に在る知覧町護國神社には特攻隊員の精神の顕彰と世界平和の祈念を目的に、1955年(昭和30年)9月に建立された観音像が安置され、毎年5月3日に知覧特攻基地戦没者慰霊祭が行われています。 pic.twitter.com/F8GODg5XAl
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次のツイからは特攻平和会館の周辺に残る遺構などをご紹介します。全て訪ね切れていないので抜け落ちている部分もあります(;´・ω・)
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▼飛行場の門柱 大刀洗陸軍飛行学校 知覧教育隊 知覧護國神社に向かう途中に飛行場の門柱が移設されています。 その後には知覧教育隊関係者によって記念碑が建立されています。 以下は現地に建つ門柱の由来。 pic.twitter.com/3kmzYTzhci
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この門柱は昭和十六年十二月この地に開校された、大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所(のちに教育隊となった)の正門です。 終戦後昭和二十六年、旧知覧中学校の正門として使用されていたが、昭和五十六年統合により平行になったのでここに移設復元したものです。 昭和六十二年十二月 知覧特攻慰霊顕彰会
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大刀洗陸軍飛行学校 知覧教育隊記念之碑 内閣総理大臣 中曾根康弘 謹書 手前には 第四〇教育飛行隊 西部第一二三隊 と書かれた門柱が在りました pic.twitter.com/sQyDRN1HTt
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第四〇教育飛行隊(西部第一二三部隊)由来 昭和十九年 知覧に第四〇教育飛行隊があり、七月から年末まで学徒出身の特別操縦見習士官第二期生一三六名の操縦教育が実施された。その後 部隊も見習士官も移動した。 pic.twitter.com/8Km2XZKIFC
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それから半年の後、再び知覧に降り立った同隊の第二期生及び教官を含む四七名がいるが、全員振武隊となり、思い出の飛行場から一路沖縄に出撃した。 なお第四〇教育飛行隊は菊池、各務原と移り陸航士第五八期生八六名、特別操縦見習士官第二期生五〇名及び第三期生六一名の教育をつづけて終結した。
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平成二年五月三日建之・平成一四年三月三一日修復 第四〇教飛の会 知覧特攻顕彰会 特操二期生会
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▼旧知覧飛行場 油脂庫 練習機の潤滑油やグリースなどを保管した倉庫で、この場所は知覧教育隊本部地区の北側にあたり、周囲には燃料置き場や弾薬庫が在りました。 壁面には昭和20年3月以降に米軍の空襲を受けた時の傷跡がいくつも刻まれています。 pic.twitter.com/YGTMUJgB51
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