1988年11月16日(水)の旅日記(234日目・ブカレスト)
- namihei1224
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11/16 朝はゆっくり。大口論の末、明日へ持ち越し。1330出る。地下鉄2Lei。表示なし。すごい待ち時間。かなり暗い。ミステリー列車のように、なんやわからんすごいルートを経てよーやく中心へ。とんでもない、地図ないとは。こんなメトロはじめて。車内に一切文字なし。ブカレスト大学へ。なぜ? pic.twitter.com/6Wtrsa4Iiy
2017-11-16 14:37:10ヨーロッパ、特に東欧でのバックパッカー術として、午前中に大学に行き、学食で安い昼飯食って、友達を作り、寮に泊めてもらうという技を、国内ヒッチハイクの経験から編み出した。
2017-11-16 14:45:13ブカレスト大学。ぐるりと回る。汚い!建物も大したことない。今日はうすら寒い。一度街に出て、立ち食いスタンドで、変な肉団子4コとパンで14L。大学へ再度入構。No problem。学生たち親切。10分ほど歩いた別の建物に案内され、日本人の先生に会う。 pic.twitter.com/pXF9RbM3CL
2017-11-16 18:20:04ブカレスト大学の反対側、大学広場に面したブカレスト市歴史美術Museumにも行った。3Lei。英語って博物館も美術館もMuseumなんだよね。 pic.twitter.com/8tuZ8y2dhw
2017-11-18 14:34:08佐々田誠之助先生。ブカレスト大学外国語学部日本語専攻課程の講師をされている、元都立高校の地理の先生。56歳。ラッキー、インターコンチのバーでビール2杯。ハム、チーズ、サラダ(フレッシュトマト!)をご馳走していただき、先生の講話を傾聴する。 ・こちらへ来て3年目。
2017-11-16 18:21:26・国際交流基金と大学から二重にしばられ詳しい内部の話はできない。 ・おそらく日人は私1人のはず。 ・ブカレストには日本人90人、日本人学校あり、留学生は2人。 ・元々高校の地理教師で20年前にルーマニアに接す。 ・ルーマニア語は日常会話はできる。 ・ルーマニアは社会主義ではない。独裁国家。
2017-11-16 18:22:31・庶民はルーマニア特有の口で対抗、ブラックジョーク・・・ 例えばチャウシェスク、毎日服替えてもしてるなど(byティミィ) ・ブラショフの件、給料日でもらえず翌日日曜働き、選挙に行けと言われ、大きな暴動となった。小さいのはすでに結構起きている。
2017-11-16 18:23:13・一人、何カ国語も話し、徒然草を読んでしまう天才を知っている。反体制の人のためあまり接触できない。 ・政治学=不毛。地理学に同じ。 ・司馬の本、良し。 ・日本語は北朝鮮人が扱っているとか。 ・ルーマニア・ハンガリー国境には砂丘があるとか。 ・郵便事情:10回に2回は届かない。
2017-11-16 18:24:25・本や英和辞書はuseful. ・ソ連かハンガリーかどこでなくなったかわからん。 ・新聞1週間遅れでドイツより日本大使館のポストに取り寄せている。 ・人民大学にも日本語学科がある。 ・チャウシェスクは元気らしい。12年おきに92年あたりにこの国で革命が起こりそう。ビルマ、フィリピンほどではない。
2017-11-16 18:25:33・日本は近世国家。たるんでしまった。韓国の方がまし。外からの屈辱的影響しか変化の可能性はない。この点、ドイツ人はインデペンデント。 ・ルーマニアの歴史は服従的。森の民。 ・この国に学ぶこと、人と人との近さ。親切、今や多くの国家で失われた美徳。
2017-11-16 18:25:57佐々田先生はその後1989年12月21日正午の革命現場に居合わせた。チャウシェスク大統領夫妻が処刑されたクリスマスに、燃え盛る革命の余波を避けソフィアに一週間だけ避難、1990年1月1日午前9時にはブカレスト北駅に戻られたという。
2017-11-16 18:29:422100佐々田先生とお別れし、電話局へ。ティミィに電話12分90L。バス84番で帰る。酔っ払いの若者の歓声響く車内の空気の冷たいこと。これもどこをどう通ったのか駅に着く。よーわからん。
2017-11-17 00:32:04出国に向け、アラドでの違法民泊を隠すべく、ティミショアラ、シギショアラ、ブラショフ、ブカレストのホテル名と夜行列車を組み合わせて偽装滞在日程を作る。 0000シャワー浴びれず、寝る。
2017-11-17 00:32:30