多田道太郎『しぐさの日本文化』読書メモ集

多田道太郎『しぐさの日本文化』(角川文庫、1978)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

「西洋での宗教的戦慄の体験者であり表現者でもあるパスカルが、同時にパテント(特許)の最初の主張者であるというのは興味ある事実である」(多田道太郎『しぐさの日本文化』)。へぇー。

2018-11-19 18:14:36
荒木優太 @arishima_takeo

「つまり、身体の触れあいを避けさせる「文化」が、欧米にはかなり普遍的にあるらしい、ということだ。私たちの文化には、これはない。むしろ、私たちの間では、人と人との「触れあい」が大事なのである」(多田道太郎『しぐさの日本文化』)。んなわきゃねーだろ。

2018-11-19 18:16:30
荒木優太 @arishima_takeo

「概していえば、私たちには「触れる」ということについての禁忌がない。だから町で肩と肩が触れても(ぶつかれば別だが)、とくにどうということも感じないだろう」(多田道太郎『しぐさの日本文化』)。いや、だからんなことねーだろ。

2018-11-19 18:17:57
荒木優太 @arishima_takeo

そもそも、西洋人は握手する習慣があるのに日本人は…って話を前段でしてんのに、どういうことなのか。握手超触れてんじゃん。

2018-11-19 18:18:57
荒木優太 @arishima_takeo

そういえば、人を呼ぶとき「ちょっと」と呼びかけるのは、呼びかけというどうしようもない不作法に対する和らげの気持からである。by多田道太郎『しぐさの日本文化』

2018-11-20 11:13:59
荒木優太 @arishima_takeo

なじみとは、個の認識の上に立つものではない。それは双方の適当なへだたりと、同時に適当な融合の認識の上に立つ。そのへだたりの間、つまり人と人との間に私たちの「神」が湧出うる……。by多田道太郎『しぐさの日本文化』

2018-11-20 11:15:41
荒木優太 @arishima_takeo

はじめにことばを切りだすのは、なかなか勇気のいることである。何だか世界中が自分に敵意をもっているような気がする。そこで思い切ってエヘンとやる。いわゆる咳払いである。勇気をふるいおこすには、伝統的にはこの咳払いという術があった。by多田道太郎『しぐさの日本文化』

2018-11-21 11:25:36
荒木優太 @arishima_takeo

クサメの語源は「休息万妙、急々如律令」というとなえごとの訛伝だという説があるが、柳田国男はこれを間違いだとして、クサメとは「糞はめ」であって、「クソクラエ」と同じ言葉だという説をたてた。つまり魔物を圧伏する威勢を示す言葉だという。by多田道太郎『しぐさの日本文化』

2018-11-21 11:30:00
荒木優太 @arishima_takeo

「休み」とは、もともと人間世界をはなれて、ひとり、神々のふところに憩うことであってみれば、あくび現象は、集団理性をはなれて、ひとり、自分の無意識の世界に憩うということである。あるいは無意識の世界が肉体をまねくしるしといってもよい。by多田道太郎『しぐさの日本文化』

2018-11-21 11:32:54
荒木優太 @arishima_takeo

多田道太郎『しぐさの日本文化』読了。啓発されるディテールもあるが、西洋との対比のなかで、どうかな、と疑問に思うところも少なくない。あと、やっぱり鷲田清一。むしろ、あれか。出版文化には鷲田的多田的な文体とポジションへの需要が常に一定数あると考えるべきなのか。…ベンヤミン枠?

2018-11-21 11:37:20
荒木優太 @arishima_takeo

私も多田ー鷲田ラインを引き継いで物書きたい(京都感ないからムリッ)。

2018-11-21 11:39:09