家具デザインの歴史 _ ドイツ・イタリア編(1945-1970)

書籍「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェ」をベースにしています。 今後随時掘り下げの更新をしていく予定。
ウルム造形大学 家具 ブラウン社 デザイン イタリア ドイツ オリベッティ社
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キル八 @kiruhachi
突然だけど今、「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェを読んでいるので、読書メモを始めようと思う。かなり中途半端なところからだけれども^^;
キル八 @kiruhachi
今読んでいるのは、「1945-1960 奇跡の経済復興」という章。戦後のデザインの変化過程について書かれている。その中心は言わずもがなアメリカなのであるが、アメリカは飛ばしてイタリアから始めよう^^(おい
キル八 @kiruhachi
引用すると、(戦後イタリアでは)「アメリカの消費習慣は特殊なイタリア的個性によって独自のデザインに、そして時間の経過とともに前代未聞の豊かなデザインに変えられた。「イタリアの路線」はすでに1955年頃には国際的にモダンで洗練され、世界主義的な生活様式の典型であった。」(続く
キル八 @kiruhachi
「まず鉄鋼産業が躍進し、それによって自動車、タイプライター、自動二輪などのような器具が躍進した。最も有名なイタリアの戦後の製品はまがいもなくヴェスパ・スクーターとフィアット500であった。」未来主義的精神ととアメリカの影響をミックスさせて生まれたのが、"イタリアモダン"なのである。
キル八 @kiruhachi
ヴェスパは最高にかわいいよな。最初のヴェスパが生まれたのが1946年。それ以前のスクーター(1枚目)と比べるとその革新具合がわかる。2枚目の写真は「ローマの休日」の有名な写真。 pic.twitter.com/cejpDc2v3G
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キル八 @kiruhachi
1957年に登場した2代目フィアット500もかわいい。 fiat-auto.co.jp/archives/FIAT_…
キル八 @kiruhachi
またこの時代のイタリア人デザイナーといえばジオ・ポンティが有名だろう。彼は1951年に「スーパージェレーラ」という椅子をカッシーナとともにデザインしている。この写真が最高にいい。 pic.twitter.com/SHboOOwaYL
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キル八 @kiruhachi
このような豊かなデザインが多く生まれたイタリアの背景をさらに引用しておく。「ドイツ(理論的)とアメリカ(マーケティング的)のデザイン把握とは対照的に、イタリアのデザインは、むしろ即興によって、ことに昔からの文化的伝統によって形作られてきており、(続く
キル八 @kiruhachi
続き)ここでは芸術とデザインと経済ー美術と機能ーが相互にそれほど厳格に分離されていなかった。」「特別なデザイン教育が存在せず」 「ことに家具産業においては芸術的な想像力と小規模な融通のきく家内工業の伝統との共同作業が目立ち、実験の喜びがダイナミックで独特な形態を導いた。」(続く
キル八 @kiruhachi
続き)「展覧会、設計競技会、雑誌が重要な役割を果たした。トリエンナーレと並んで、経済的に近代イタリア・デザインを支え、それに理論的な展望台を提供したのは、ミラノの百貨店ラ・リナシェンテが1954年から提供したコンパッソ・ドロー賞であり、また雑誌『ドムス』と『カサベラ』であった。」
キル八 @kiruhachi
こんな感じ。即興的な、手元の材料や技術の"手繰り寄せ"によって生まれたのがイタリアモダンなのである。たのしげで、いい文化である^^
キル八 @kiruhachi
そんなイタリアン文化の色を強く感じられる、忘れてはならないデザイナーといえば、アッキレ・カスティリオーニであろう。ここに詳しく紹介されている。high-brands.com/interior-brand…
キル八 @kiruhachi
「物資が不足する戦後の時代に「安価で有用な物」をつくることを、アキッレは自らの使命としたようだ。デザインとは装飾的な付け足しのことではない。物のフォルムと機能は常に結びついていなければならない。人間生活のある場面と直結していてこそ、物の存在動機はある。」>前ツイ
キル八 @kiruhachi
カスティリオーニについては近々しっかり勉強したい。こんな本があるらしい。 アキッレ・カスティリオーニ自由の探求としてのデザイン 多木 陽介 amazon.co.jp/dp/4900450782/… @amazonJPさんから が、すでに絶版らしく高い…。図書館で探すか…
キル八 @kiruhachi
今日の勉強。これの続き。今日はドイツ編。 twitter.com/kiruhachi/stat…
キル八 @kiruhachi
引用から始めると、「戦争は500万戸を超える住宅を破壊しており、今や緊急のでデザイン課題となったのは軽量で可変的で多機能な家具の備え、少ない素材と費用で立てられる最小限住宅の建造であった。」 「しかし、50年代中頃から、(続く
キル八 @kiruhachi
続き)奇跡の経済復興中に再び増大する体面的需要が生じ、偽りの古風な家具で新たに充足されたときに、実用的で簡素なこれらの家具は少なくとも上流階級からは姿を消した。」「矛盾した10年」
キル八 @kiruhachi
どうやらドイツの50年代は、イタリアのように"実験的喜び"の方向性へ吹っ切れることはできなかったようだ。 「市場は、擬古典主義の家具から全くモダンな流線型までの、全てを売っている」byミア・ゼーゲル(1953) は有名な言葉。(らしい
キル八 @kiruhachi
さらに引用すると、「1947年にはドイツ工作連盟が再建され、…1945年以降も機能主義の信奉者であり、あらゆる歴史的なものの強調並びに有機的な形態を拒絶した。彼らは「グーテ・フォルム」の概念を支持した。…グーテによって指し示されていたのは、(続く
キル八 @kiruhachi
続き)美的で完結で機能的で、無駄な装飾を伴わないすべてのものであった。…これは70年代に至るまでもドイツのデザインの教条であり続け、」 やはりドイツ工作連盟的、バウハウス的思想が非常に根強かったのだろう。 「グーテ・フォルム」と聞いて思い浮かべるのは、マックス・ビルだろう。時計の人。
キル八 @kiruhachi
マックス・ビルは時計だけではなく、1949年に「グーテ・フォルム」という名の展覧会をバーゼル(スイス)とウルム(ドイツ)にて開催。1957年には同名の書を公刊しており、この概念を広い範囲の人々に知らしめた人物である。戦後ドイツに多大なる影響を与えている。
キル八 @kiruhachi
ビルはバウハウスの精神を継ぐべく、ウルム造形大学設立にも尽力したという。このウルム造形大学こそが、ドイツのデザインの礎に決定的に影響を与えた。
キル八 @kiruhachi
今日はここまで。(はやい 次はウムル造形大学を掘っていく予定。
キル八 @kiruhachi
ちなみにマックス・ビルのプロダクトについては、このページが良さそう^^ metrocs.jp/special/maxbil…
キル八 @kiruhachi
いま、「近代から現代までのデザイン史入門 1750-2000年」 / トーマス・ハウフェを読んでいる。今日は戦後のデザインの変化過程について書かれている「1945-1960 奇跡の経済復興」という章のドイツ編の続き。ウルム造形大学について。
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コメント

はるきち @kiruhachi 2018年12月7日
まとめを公開しました。
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