『それを自ら望んで身につけたかのように装いつつ押し付けるのは教育ではない。インパール作戦から、原発事故から、何を学んだのか?』(2018.11.27作成)
- uchida_kawasaki
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認識が社会の相対的な権威によるマウンティングに服従し存在に対応しないとき、社会の相対的な権威が存在と乖離したかたちで決めたことを「決まった」とあたかも存在の要請であるかのようにすり替える。
2018-11-26 07:40:53それを自ら望んで身につけたかのように装いつつ押し付けるのは教育ではない。インパール作戦から、原発事故から、何を学んだのか?
2018-11-26 07:42:24「決まったからにはよいものを」? 「せっかく今夜の食事のために採ってきたのだから料理を工夫して美味しく食べられるようにしよう。」? ドクツルタケはどんな風に料理しても致死的な猛毒だ。
2018-11-26 07:45:49「決まったからには良いものを」「作ってしまったからには安全に」という思考が「良いもの」や「安全」を確保できることは論理的に言って、ない。「からには」がまさに最初からそれを放棄する態度の表れなのだから。
2018-11-26 07:49:00A.「せっかく作ってくれたんだからみんなで美味しく食べようよ。」 B.「いえ、私はアーモンドアレルギーだからこれは食べません。」 C.「いえ、私はドクツルタケは食べません。皆さんもそしてドクツルタケは食べてはいけません。」 Bを個人の尊重。Cを認識という。
2018-11-26 07:57:27個人の生死を含む人権よりマナーが大事、モラハラオヤジの気分を害さない振舞いが大事・・・というのと同質の反応なのだから。
2018-11-26 08:06:26ここで問題になっているのは「わかっている」ことと「わかっていると思い込んでいること」の違いで、とりわけ言語における思考についてはこの両者を区別することが難しい。
2018-11-26 08:26:12例えばRSTにより診断可能となった領域についてRSTを手がかりとすることで可能となった「わかる」と「そこでカバーされていない領域」を我々が語るときにその領域について我々が有している「わかる」とを同質のものとみなしてしまいがちになる。
2018-11-26 08:27:45バーリンのトルストイ論の中でトルストイが歴史(学)の「説明」に納得していなかったという下りがあったはず(記憶曖昧)。何が「説明」を構成するかは自明ではない。
2018-11-26 08:31:11「それには納得しません」と「それがどうして説明を構成するのか」とは、前者が後者の意味で用いられることはあるとはいえ、異なる。後者の言葉を、それが反語質問ではないことを明確にしつつ、使うようにしよう。
2018-11-26 08:37:26前の二つのスレッドで、「認識」と「納得」はインスタンスによって少し違う意味で用いられている。いずれも妥当な範囲だし整合性からわかるから放置しておく。
2018-11-26 08:55:12教科書の言語表現を分析し記述的に明らかにする作業をする人たちと、それが明らかになったとたん「そんなことは自明だ」と言ったり「学習指導要領を見ればよいのでは?」と言う人たちとの間にあるのは、「何が説明を構成するのか」に対する基準の違いだと考えてみよう。
2018-11-26 08:58:14そうすると、かなり私自身が経験していることの説明(笑)がつく。両者の認識の差異に関する認識が一方向的であることを含めて。
2018-11-26 09:00:04「受け入れられている」説明がどうして説明を構成するのかわからないなら、「ディシプリン」から逸脱せざるを得なくなる。また、ほぼ必然的に「素人」っぽくなる。
2018-11-26 09:01:56