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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
今の時代、最も費用対効果がある先行投資は株でも投資でもなく身体のゲッティンシェイプだったりするのが何だか悲しい。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
子どもへの高学歴なんてしょせん位置エネルギー稼ぎ。ないよりはあったほうが有利にきまっているけれど、人生は重力のなすがままとなるジェットコースターではなく、あるところから自分自身の動力が問われる。ここでいう動力とは何か?そういう難しいこと聞かないで姫様。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
中学英語からやり直しましょう本のきょうだいに、中学英語でここまで通じるよ本がある。こっちはいいものがけっこうあるのですが…結局どちらも大学入試を乗り越えた経験者つまり大卒者向けなんですよ。学校英語(さらに受験英語)に一度染まった方の「使い物にならへん」コンプレックスをくすぐるの。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
私の今度の本も、当初はそのセンで取り掛かったのでした二年(もっとか)前に。というか、結局感染後にしか効かないワクチンを開発したところでそれはワクチンと呼べるのか?という根源的疑問にやがて気が付き、書き進められなくなった。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
これから感染していくひとのためのワクチンでなければ何一つ新しくない――そう腹を括って、書き溜めたぶんをすべて捨ててしまって、再スタート。するとこれって中学三年分の英語教材をひとりで開発するのと同じだと気が付いた。そして現在の検定済み英語教科書が、どんなジレンマのもとに開発されたのか
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
追体験することになった。「a」や「the」の用法や使い分けについて、ミズ・ベーカーは何も語らないけれど、それは手抜きというよりは、触れたくても触れようがない、カリキュラム上の必然だと気が付いた。 pic.twitter.com/tgeFb1TE7E
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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
このページはホームパーティのお話ですね。「But my parents have some rabbits in Boston.」 これがどんなに無茶苦茶な英語かわかるかな?
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
うちの姫様の耳にはこう聞こえている。「しかし私の両親は違うよ、ちゃんとボストンにウサギをそろえているんだから」 まず「in Boston」がいらない。どうしていちいち「ボストンで」と強調するのか?まるで何か戦略があるように聞こえてしまう。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
But my parents have pet animals. They love rabbits.」(ただ私の両親は生き物を飼っているよ。ウサギ好きだから)とするべきです。 ウサギがペットと呼べるような動物なのかどうか知らないけれど。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
今、私は「some」を使わなかった。どうしてかわかるかな?
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
高校英語で「some ⇔ others」「some ⇔ the others」 のペアは習うのだけど、実はもうひとつ「some ⇔ 単数形/複数形」のペアが英語にはあります。これを中学で教えないといけないのですが。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
① My parents have a pet. ② My parents have pets. ③ My parents have some pets. ①は文が続いていくニュアンスがあります。日本でも「俺には家族がある」と切り出されると、そこから「だからこの国の行く末が気になるんだ」とか続いていく感じ、しませんか。これと同じです。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
「私の両親は一匹ペットを飼っていてね」と切り出して「Guess what it is. It's a Totoro!」(何だと思う?本物のトトロよ!)と続いていく、そんな感じ。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
「a」にはこのように、続く文に係っていく裏機能があります。日本語だと  吾輩は 猫である      名前はまだない      どこで生まれたのかとんとわからぬ のように「~は」には、続く文に係っていく機能がありますね。あれに似ている。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
一方で②の「My parents have pets.」にはそれがない。「うちの両親はペットを飼っているよ」で会話がいったん途切れる感じ。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
文が続いていくニュアンスを出して、同時に複数形であることも表すには、②が一番です。「My parents have some pets.」(うちの両親はペットを何匹か飼っていてね、それでね…)
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
こうやって「some」のニュアンスを教えていくのがベストなのですが…日本ではいまだに「some=多少」と公式化して教えこんでいる。それでこんな変てこな会話文が教科書に載ってしまう。教科書検定がネイティヴチェックとしては機能していないこともうかがえる。 pic.twitter.com/a7kMRd2VDU
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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
今の教え方なら、いわゆるニホンジンの英語に染まらないよう生徒たちを導いていけるのだけど、そのかわりちょっとまだるっこしいし、理屈っぽい。教わる側にすれば「some=多少」のほうが丸暗記で済むぶんラク。 学校英語は後者。これに染まりきった後に、今の教え方をすると皆さん衝撃を受ける。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
昭和50年にこんな論争がありました。「日本の中高校生全員に英語をマスターさせるなんて実際には不可能。5%の英語学習有望な生徒に絞って英語の授業を行って育ててれば、日本国は十分に海外とりわけ欧米圏で堂々とわたりえる」と元外交官の自民党参議院議員が教育改革案を党に具申したのです。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
これに上智大学の英文科教授が正面から反駁し、あるオピニオン誌で激突。決着つかず。どちらの主張にも弱点があったから。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
全員に英語マスターなんて不可能」は正論で、それに反駁する「教育機会の平等理念に反する」も正論だったのです。 あれから40年を経た今、日本の英語教育はどうなったのか?両者の折衷で回っています。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
「some=多少」なんて割り切った教え方のおかげで、とりあえず全員が中学英語は乗り切れるし、高校英語もこれの延長でいける。「全員に英語マスターなんて不可能」という主張をあいまいにできるわけです。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
しかし実際にはこういう英語はありえなくて、それでモノホン英語に進もうという向きは、私が先に示した「some」解説をネイティヴ英語学校や教材をとおして学んで「な、なんだって!」と驚き、ここで挫折する者としない者が選別され、最終的に5%にまで絞られていく。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
教育機会の平等の理念は保持しつつ、「5%の人間がマスターすれば国はまわる」という現実にも対応できる、二重構造がここに回っているのです。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
平等と選抜。民主主義が抱える根源的ジレンマ。それが日本の英語教育には色濃く感じられる。開国と敗戦という二大ショックを味わった国ゆえに、とりわけこのジレンマが英語教育にはにじみ出る。
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コメント

ヤマキ祐弘 @FLSPVhksQwT2Bg4 12月14日
日本って共産国だっけ。
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