10周年のSPコンテンツ!
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読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
『公共図書館の冒険』(みすず書房)です。ようやく登場した、カウンターの外にいる私達のための図書館史です。 書評を書きたいと思って書き出したのですが、収集がつかなくなってまだ途上のままです。 #マシュマロを投げ合おう marshmallow-qa.com/kurubushi_rm?u… pic.twitter.com/fQEcBJ1YJZ
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今年も残りわずかなので、書評の書き出しだけでも放流しておきます。
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「図書館について話すとき書くときはいつも、次のような想いを抱いている。 「図書館はこんなもん(この程度のもの)じゃない」 この想いにはじめて共鳴する図書館史が登場した。 この書はその知の求めるところにおいて、正しく人文の書と名乗ることを許された書物である。
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何故なら、人文知の任務とは、人が忘れたこと(忘れたいこと、知らないままでいたいこと)を覚えておき、必要ならば掘り起こして、現にあるものとは異なる可能性があることを知らせ、切り開くことにあるからだ。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
極端な言い方を自分に許すなら、この書は、図書館のカウンターの外にいる我々のための図書館史である。
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図書館についての専門文献の多くは、図書館員や司書のために、さらに言えば図書館員・司書という専門職を再生産するために書かれてきた。つまり個人レベルでは司書資格の専門課程のために、集団レベルでは司書という専門職を確立するためのものだった。
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図書館史についても、司書課程の一科目として書かれたものか、司書という専門職がその来歴の中に自身のアイデンティティを確認し再構築するためのものだった。 再生産に奉ずるものがすべて現状追認や自己正当化に終わるとは言わない。
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しかし我々が知りたいのは、「図書館は市民の知る権利の守り手である」といった〈神話〉ではない。 印刷、出版、流通から、識字やそれを支える教育まで、我々が本を読むことを支える様々な仕組み/諸制度は、今日大きく形を変えつつある。
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雑誌が消え、書店が消え、取次が消え、出版社が消え続ける時代に、我々はいる。 その渦中では、誰もが断末魔の声を上げながら、やせ細る利益を奪い合い、リスクを押し付け合う。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
減り続ける発行部数を埋め合わせるために発行点数は増え続け、新たな書き手が日々サルベージされ、市場に投じられ、使い捨てられる。 この仕組み/諸制度の一環として図書館が問われることは、これまで多くなかった。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
しかし、例えば「何故図書館は無料貸本屋と批判されるのか?」という問いに、あるいは「何故日本の公共図書館ではレファレンス・サービスが低調なのか?」という図書館のネガティブな側面に切り込む疑問は、・・・
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
我々が本を読むことを支える様々な仕組み/諸制度の中で、図書館とは何であったか、そして何であり得たのかを問うことでしか答えられないはずだ。 今ようやくこうした問いに応じようという図書館史が現れた。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
この書の図書館の歴史が、他の図書館史と違っているのは、図書館の現在を追認するためでなく、図書館があり得たかもしれないオルタナティブを追求するためだ。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
我々は、今日の当たり前を構成する様々なものにも歴史があったことを普段意識しない。日常を円滑に回すには不要どころか邪魔にすらなるものだから。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
しかし日常のあり方を離れようというとき、これまで通りではうまくいかないと気づいたとき、歴史を知ることは変わらない日常を相対化し、変えるために役に立つ。ほとんど必須とすら言える。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
正史が勝ち残ったものが己の正当化のために書き上げる歴史なのだとしたら、本書が描くのは正史を相対化し図書館の可能性が生きる隙間を穿つために書かれた歴史である。 そのためにこの書は、挫折と断絶と忘却の積み重ねとして、この国の図書館の歴史を描くだろう。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
前口上が長くなった。 この文章の主張はシンプルである。 およそ読むこと、そして考えることに関心を持っている人ならば、この本を読むべきだ。手元に置き、繰り返し参照すべきだ。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
著述家や編集者が「図書館に行かない/行ったこともない」と嘯いても無事でいられる、悲惨なこの国の知的状況にあって、「およそものを考える人には図書館が必要だ」という主張は虚しく響くかもしれない。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
しかし評者は、この風潮に抗する。 今、書店に並ぶ書籍のひとつひとつの後ろには、何冊もの書物が存在している。その何冊の書物のひとつひとつにも、同様に多くの書物がある。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
どのような知も、それを生み出す知的営為も、決してスタンドアローンでは存立し得ない。 自覚するにせよしないにせよ、我々は皆、巨人の肩の上にいるのだ。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
このことを我が事として捉え直し、自分の力とするには、書店という河を流れる新刊書だけでは足りない。こうして図書館という読書装置が必要となる。 もちろんリアルな図書館は、その理想には程遠い。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
しかし図書館にとって、とりわけ公共図書館にとって「可能性」は、その最初から、最も重要なものであったことを思い出そう。 例えば。 ライプニッツは図書館と関わったこともある、汎知(パンソフィア)の最後の巨星だが、彼は公共図書館をこう考える。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
いかに巨大でも個人の(例えば王の)蔵書は、図書館とは何が違うのか? 誰が訪れるか予め決まっていない公共図書館は、その蔵書を誰かの特定の趣味や目的に限定することができない。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
誰もが来る可能性が有る図書館は、誰が来ても対応することができるためにあらゆる分野あらゆる難易度の書物が(少なくとも可能性としては)蔵書されなくてはならない。
読書猿『問題解決大全』『アイデア大全』 @kurubushi_rm
例えばその配架と分類のシステムは、(可能性としては)あらゆる資料に対応できなくてはならない。あらゆる目的に向けて、その可能性を開いていることこそ、公共図書館が個人蔵書を超えるところである。

コメント

書物蔵:古本フレンズ @shomotsubugyo 2018年12月18日
ちなみに、図書館と出版界の関係に焦点をあてて書かれた書評はこちら(σ・∀・) 編集者さん書店、出版社さんにはこっちのほうもオススメ。 「率直に言って、図書館員が書く図書館の本は専門的だったり個別具体的すぎたりして、図書館界の「外」にいる読者には届かないものが多い」 https://dokushojin.com/article.html?i=3612
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