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山汐丸(陸軍護衛空母)

横浜市

伊達JKN@神社紀行ネット @Jinja_Kikou_Net
【山汐丸の錨】(陸軍護衛空母) 横浜みなとみらい地区の片隅に赤さびた大きな錨が展示してある。 山汐丸の錨 昭和19年に三菱重工業横浜船渠で2TL型タンカー5番船として起工された本船は昭和20年1月27日に竣工。形式上は民間船であったが陸軍指揮下で船団護衛艦兼用輸送船として運用予定であった。 pic.twitter.com/sfvLSO0f2D
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山汐丸(陸軍護衛空母) しかし既に南方航路も閉ざされており就役を待たずに石炭炊き貨物船(既にタンカー輸送船として運用出来ない為)に改造が決まる。三菱重工横浜船渠において係留待機中、昭和20年2月の空襲で大破着底し終戦。戦後の解体中に沈没。そのまま擱座状態で埋められ「山汐岸壁」へと。 pic.twitter.com/8CbtzJcIVP
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山汐丸(陸軍護衛空母) 明治24年以来、山汐丸をはじめ約1000隻の船を建造してきた三菱重工業株式会社横浜造船所は昭和58年に移転し再開発「みなとみらい」と生まれ変わる。 平成23年(2008)に、みなとみらいセンタービルの建設工事の際、「山汐丸の錨」が発見され同ビルの脇の広場に展示。 pic.twitter.com/7ccPPBMIIa
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山汐丸(陸軍護衛空母) Wikipedia「山汐丸」より ja.wikipedia.org/wiki/%e5%b1%b1… 「山汐丸」 特2TL型戦時標準船(2TL型油槽船5番船) 船団護衛空母兼用タンカー輸送船 三菱重工業横浜船渠 竣工1945年1月27日 排水量15,864t 全長148.0m 全幅20.4m 最大速力15kt 昭和20年(1945)2月17日、飛行甲板大破し浸水着底 pic.twitter.com/KMJRGT5K33
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リンク Wikipedia 山汐丸 山汐丸(やましおまる)は、日本の特2TL型戦時標準船。護衛空母兼用仕様のタンカーで、就役後は日本陸軍の指揮下で運用される予定であった。 「山汐丸」は、山下汽船の発注により、1944年(昭和19年)9月11日に三菱重工業横浜船渠で2TL型タンカー5番船として起工された。日本陸軍により特2TL型としての設計変更が指示されたため、同型姉妹船よりも優先的に工事が進められた。同年11月14..
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山汐丸の錨(陸軍護衛空母) 山汐丸は大洋に漕ぎ出すこともなく竣工から沈没までを三菱重工業横浜船渠(三菱重工業横浜造船所)の地で過ごした。 埋められた錨は、みなとみらい再開発でよみがえり、今は三菱重工業横浜造船所の跡地にそびえ立つ「三菱重工横浜ビル」の方向を見つつ静かに鎮座している…〆 pic.twitter.com/ExrU7NY6ug
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宇品丸(陸軍輸送船)

新潟市

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【軍用船宇品丸慰霊塔】(新潟市中央区) 初の日本陸軍保有軍用輸送船「宇品丸」 陸軍運輸部・船舶部隊の拠点が置かれた宇品の名を冠した船。 昭和20年8月10日「新潟空襲」 新潟港に襲来する米軍機に対し唯一応戦した宇品丸は米軍機1機を撃墜。宇品丸の船員3人、兵員16人が戦死している。 pic.twitter.com/vQaO3oShYs
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軍用船宇品丸慰霊塔 宇品丸慰霊塔建立の趣意書 大東亜戦争の終戦間近い昭和20年8月10日米軍の戦斗機(グラマン)数機により新潟港湾附近の空襲を受けた際、偶々同港山田町側に停泊中の軍用船宇品丸の兵士は敢然としてこれを迎撃奮戦した為に米軍機も攻撃目標を宇品丸に集中して… pic.twitter.com/nmm62gDkbJ
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弾丸のほとんど全部を撃ち尽して逃走した。その為港湾施設及び市街は最小限度の被害で済んだが宇品丸の乗員はほとんど玉砕した。 昭和29年地元山田町外有志相図り新潟市の救神となった宇品丸勇士の英霊を慰めようと慰霊塔建立の議あり。茲に当時の市長村田三郎氏の筆を得てささやか乍ら建立を実現し…
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以来毎年町内会にて慰霊祭を執り行ない英霊に感謝の意を表している次第である。 嗚呼悲壮  宇品の勇士花と散り その名も数も無きあとの  霊なぐさむと伏し拝む pic.twitter.com/zJgI63sZLh
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【軍用船宇品丸慰霊塔】(新潟市中央区) 歌碑  ああ悲壮  世界平和を   夢に抱き  玉砕しけり  宇品の勇士 pic.twitter.com/WHnEjjnMpn
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歌碑裏 大東亜戦争の終戦間近い昭和20年8月10日新潟港湾付近の空襲を受けた際、山田町側に停泊中の軍用船宇品丸の勇士は国土防衛に敢然として迎撃奮戦し乗員はほとんど玉砕した その慰霊50年忌に当たり、永遠の世界平和とミタマの安らかなるご冥福を祈念しここに之れを建立する 平成6年8月吉日(以下略 pic.twitter.com/GSgjVF6xVL
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リンク Wikipedia 宇品丸 宇品丸(うじなまる)は、日本陸軍が保有した軍隊輸送船。軍需輸送や上陸戦の訓練などを目的として貨物船を購入のうえ改名・改装したもので、陸軍運輸部を代表する顔的な船だった。太平洋戦争末期に機雷と空襲により大破したが、戦後に復旧されて民間で使用された。 本船は1919年(大正8年)にアメリカ合衆国で建造された。総トン数2214トン、三連成レシプロエンジンを主機とする小型貨..
リンク 産経ニュース 【戦跡を行く】軍用船「宇品丸」慰霊塔(新潟市) 「戦禍から新潟市民を守ってくれた」と語り継がれているのが、第二次世界大戦中に兵員や食料の輸送などで活躍した陸軍軍用船「宇品丸(うじなまる)」(2216トン)だ。…
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宇品丸 日本陸軍運輸部保有の輸送船。 米国にて1919年(大正8年)竣工、総トン数は2214トンの小型貨物船。 1929年、陸軍省は当時「宗安丸」として民間就航していた当船を購入し「宇品丸」と命名。 陸軍省運輸部の拠点にして陸軍船舶部門の中心が宇品であった。
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宇品丸は陸軍所有の初の輸送船として、そして陸軍運輸部の顔として宇品を拠点に訓練に従事。 海軍とも協力し、茂木上陸船訓練なども実施され、また軍需輸送にも使用された。 1941年の大東亜戦争開戦後は主として瀬戸内海を拠点に輸送や訓練に活躍。
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修正 謝 茂木上陸船訓練 正 模擬上陸戦訓練 酷い誤変換で失礼しました…
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昭和20年、宇品丸は日本海での食糧輸送に就く。7月6日、新潟沖で米軍敷設の機雷に接触し浸水、沈没防止の為に信濃川河口で擱座。 8月10日、新潟市はF6F戦闘機16機の空襲を受ける。 宇品丸は高射砲・機銃あわせて6門で応戦し米軍機1機を撃墜するも被弾炎上。150人の乗員のうち船員3人兵員16人が戦死。
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昭和21年5月、戦後も放置されていた宇品丸のサルベージが開始。浮揚に成功し舞鶴港に曳航され修理。 昭和25年のポツダム命令によって宇品丸は朝鮮郵船に払い下げられ、1958年には室町海運に譲渡、1966までは持ち船として船名が確認できていた。
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宇品丸慰霊塔 「宇品丸」が座礁していた場所に近い山田町町内会をはじめとする有志らが、8月1日の交戦により死亡した兵士・船員の霊を慰めるため、昭和29(1954)年、に「軍用船宇品丸慰霊塔」を建立。慰霊祭は8月10日。 平成8(1996)年からは地元有志が興源寺で慰霊祭を続けている。 pic.twitter.com/CVZX2k8jXa
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近くの入船みなとタワーからみた信濃川河口と日本海。 宇品丸は信濃川河口に擱座していた。 ちょうど対岸には「あざれあ」(新日本海フェリー)も停泊。 先日、新潟にを訪れる機会がありましたので、ちょっとだけ足を伸ばして「宇品丸慰霊塔」に参拝をしてきておりました… 〆 pic.twitter.com/tQgQh76xqE
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