暴力と厳しさとを分かつもの

「暴力」と「厳しさ」とは見た目のうえでは似ておりますが、それを受ける当事者より見れば雲泥のちがいがあると思いますし、またそれを見ている周りからしても受ける印象はちがうと思います。 相手を批判する際に、批判する側が自分によって批判される者を想って自らも本当に(「本当に」という点がポイントです。)苦しんでいるか否かによって、暴力か厳しさかが分かれてくるのであると思います。
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大角 康 @koukaku0811

私がずっと前に接していたとある先生は、私に対して一度も声を荒げたこともキツイ言い方をされたこともなかったですが、その方の言葉や言い方は私にとって、次へと向かう気力を一々奪うものでした。その先生に接しているほぼすべての期間、私は不眠症でした。 それに引き換え禅の道場で私は師匠から twitter.com/pirotan21/stat…

2018-12-19 17:56:56
大角 康 @koukaku0811

毎日怒鳴られ叱られ続けましたが、その度に私は「よし!次につなげていこう!!」と思えました。道場へ行ってからは不眠に悩まされることもなくなりました。 「キツい言い方」と「トゲのある言い方」とはちがうでしょう。たとえキツくともトゲがなければ厳しさですが、ということはすなわち

2018-12-19 17:56:57
大角 康 @koukaku0811

優しさですが、キツくなくともトゲがあればそれは暴力です。 トゲのある言葉を誰かに向けて放つ時、人はその誰かのことを考えるゆえの葛藤を抱えて苦しんでいません。そこにはただ、自らが相手から与えられたとされる不快感があるのみです。葛藤を感じていないからこそ一方的に断定し、攻撃の対象に

2018-12-19 17:56:58
大角 康 @koukaku0811

できるのであり、そこにもし葛藤が挟まれていれば、言われた側も相手が自分を見てくれていると感じられ、それを攻撃だとは思わないゆえに、トゲを見出さないのでしょう。 トゲの有無とは葛藤の有無であり、自分もまた葛藤を抱えて苦しむことなく相手を批判する時に、人は自分では正義を為している

2018-12-19 17:56:58
大角 康 @koukaku0811

つもりのまま、暴力を為すのであると思います。

2018-12-19 17:56:59