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「相手の」言葉を聴くということ ‐対話・人間性・温かみ‐

自分が相手の声を聞いているからといって、相手の話を聴いているとは限らないように思われます。 相手の話を聴くことは「相手の言葉」を聴くことであり、そして言葉というのは文字のことを言うのみならず、相手の心がそれを通して自己を語っているとみなされるすべてのもの(たとえば身振り、表情、仕草など)のことを言うのだと思います。 記号を了解することと、言葉を受け取ることというのは全然ちがうと思うのです。
言葉 敬意 温かみ 情報伝達 話を聴く 人間性 コミュニケーション 信じる 対話
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大角 康(宗純) @koukaku0811
相手の言葉が耳に入ることと、相手の言葉を聴くこととの間には大きな差異があると思います。 相手の言葉を聴くことは、「相手の」言葉を聴くことであるゆえに、相手がその言葉を発する背景に目を凝らそうとしなければ、どれだけ言葉を聞いたとしてもそれは「相手の」言葉ではもはやなく、自分の twitter.com/Goethe_ja/stat…
大角 康(宗純) @koukaku0811
言葉であることでしょう。 誰しも相手になり切ることはできないので、誤解の可能性はどこまでも解消し切れないものの、しかし常に自分ではない「相手の」言葉の固有性へと目を凝らそうとすることもまたどこまでもできるわけですから、この姿勢のないままに話を聞くことを「相手の言葉が耳に入ること」
大角 康(宗純) @koukaku0811
と私は言いたいのです。 文字という記号は耳で聞くことができますが、言葉という心の表現物は心で聴くしかありません。 耳が聞こえていても相手の言葉が聴こえているとは限らず、逆に耳が聞こえなくとも相手の言葉を聴いている方は少なくないと思っています。 言葉を聴くこと、それは相手の心に目を
大角 康(宗純) @koukaku0811
凝らすということであり、発せられた記号はあくまでも相手の心を見る手掛かりにすぎず、手掛かりにすぎないものを証拠物件であるかのように扱って、相手の言葉を自分の言葉へと変換している自分を戒めることのないままに、ただ相手の言葉を耳に入れるだけでは対話は成り立たないのであって、
大角 康(宗純) @koukaku0811
そのような姿勢で相手の言葉を聞いてしまうと、相手の様子や身振りや表情が、相手の心を雄弁に語るものとして、すなわち言葉として自分に迫ることはないでしょう。 相手の言葉を「相手の」言葉として聴こうとすると、相手の表情や何気ない仕草の一つ一つが言葉となって迫ってきます。こういった、
大角 康(宗純) @koukaku0811
文字にはならない言葉の語りが基礎となって、文字となる言葉を用いたコミュニケーションが成立するのだと思われます。 文字にならない言葉を無視した言葉のやり取りを交わすことを私は「情報伝達」と言いたいのであり、それに対してそれらをも言葉として扱うやり取りを「対話」と呼びたい
大角 康(宗純) @koukaku0811
思っています。 情報伝達だけではなく、対話を為し得るということこそ「人間性」ではないでしょうか。情報伝達だけであればコンピューターでもできる、否、むしろコンピューターの方がはるかに私たちよりも優れています。コンピューターは記号を扱いますが、私たちは言葉を交わします。 人間が
大角 康(宗純) @koukaku0811
人間である所以を為す「人間性」というものは、対話の可能性を持っていることだと私は考えますし、この可能性へと開かれることこそ「温かみを持つ」ことであり、この可能性を閉じてしまって情報伝達に終始する度合いが強いことを「冷たい」と言うのだろうと思っています。 「温かい」とは
大角 康(宗純) @koukaku0811
人間味に溢れることであり、そしてそれは対話へと開かれていることを意味していて、対話へと開かれることというのは相手の言葉を「相手の」言葉として聴く姿勢を持つことだと私は考えます。そしてこのような姿勢を持つことは「相手を信頼すること」、「相手に敬意を払うこと」とも言い換えられると

コメント

石部統久 @mototchen 2018年12月21日
人間は訓練しないと相手のいうことをきちんと聞けないのです。 ‪listening(リスニング 傾聴)は相当な訓練が必要なスキル ‬ ‪https://matome.naver.jp/odai/2140465809863187501
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