弱さと優しさ、および自信

自信を持つことは人からの影響を受けなくなるということでしょうか。私にはそうは思えません。 自信を持つということはむしろ、人の意見にいつでも耳を傾けられ、その意見がどのような意味を持つものであるかをじっくり考え抜く姿勢ができていることだと思うのです。 ゆえに本当に自信がある人とは、人と対話できる人だと思っています。
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大角 康 @koukaku0811

人に話をすることは、「人に」話をすることである以上、聞いてくださっている相手方の姿勢によって話す側が影響を受けるのは至極当然と思うのです。もし全然影響を受けないとすれば、それは相手が誰であれ自分がただ話したいというだけであり、それは独白ではあっても決して語りではないと思います。 twitter.com/eu_central_2/s…

2018-11-04 10:12:12
Margarita🚁 @eu_central_2

私もこれはよくあります。 相手が聞き上手だと多様な表現を用いてうまく話せるのだけど、相手に聞く体勢がないと、かなり片言でどもってしまいます。 t.co/dXZPoJBYKi

2018-11-04 07:01:32
大角 康 @koukaku0811

@matzbodz 相手の様子が気にならないことが強いことであるとすれば、強さは冷たさを意味することとなると思うので、その意味では弱いままでいたいものですね。相手の様子が気になるのはなぜかをその都度自分に問うことを忘れさえしなければ、弱さこそ私たちを優しくたくましくしてくれるものだと信じています。

2018-11-04 19:37:57
大角 康 @koukaku0811

自信というのは疑いを伴わない確信を持っていることではなく、いつでも疑ってかかれる潔さを絶えず持っていることだと思います。疑うことを恐れることより、凝り固まった自信満々の態度と思考が生まれるのでしょう。自信があるとは、間違いを潔く認める態度ができていることだと考えます。 twitter.com/hideKoba_bot/s…

2018-11-07 19:35:03
小林秀雄 botcast @hideKoba_bot

自信というものは、いわば雪の様に音もなく、幾時の間にか積った様なものでなければ駄目だ。そういう自信は、昔から言う様に、お臍の辺りに出来る、頭には出来ない。頭は、いつも疑っている方がよい。難かしい事だが、そういうのが一番健康で望ましい状態なのである。 (道徳について)

2018-11-07 17:05:02
大角 康 @koukaku0811

禅宗や仏教に興味を持つ方のなかには、悟りを得たと称して自信満々に持論を展開し、人に意見を申し上げる際にも相手の見方に即する努力を全然為さらない方もおられますが、それはその人の悟りを証するどころか、かえって自身が悟りから最も縁遠い者であることを告白しているようなものだと思うのです。 twitter.com/hideKoba_bot/s…

2018-11-01 18:31:44
小林秀雄 botcast @hideKoba_bot

心に疑惑の火を絶たぬこと、これが心に皺がよらない肝腎な条件に思えた。 (年齢)

2018-11-01 17:05:01