個別的なものは常に一般化の枠組みからはみ出る

人間関係や人間の内面を描く理論というのはあくまでも、自分の目の前にいる「その人」の心の動きを理解するための便利な道具にすぎないのであり、どんな理論もその枠内に当てはめる形で人を見ようとするや否や、もう「その人」を見えなくさせるのであると思います。 どこまでも一般化しえないものを孕むものだけが「掛け替えのないもの」なのだと思いますし、固有名を持つことというのは掛け替えのなさを有することだと思うのです。
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大角 康 @koukaku0811

理論」というのは難しいもので、それは個別的なものを理解する大きな足掛かりとなるものでありつつも、それと同時に、個別的なものを排除した一般化の末に成り立つものでもあるわけですので、個別的なものすなわち掛け替えのないものに向き合う時には、 twitter.com/hideKoba_bot/s…

2018-11-08 12:27:46
小林秀雄 botcast @hideKoba_bot

子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さを、母親に保証するものは、彼女の悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも、人間の理智は、物事の掛け替えの無さというものに就いては、為すところを知らないからである。 (ドストエフスキイの生活)

2018-11-08 12:05:02
大角 康 @koukaku0811

どうしても一旦いかなる理論をも忘れ去って相手を見る必要が出てきます。理論は個別的なものを理解する近道を示すものですが、直通の道を開くものではありえない、という大前提は忘れられがちでありますので、特に私のような、日頃から論理にかかわる者ほど気を付けなければならないなと痛感します。

2018-11-08 12:27:46
大角 康 @koukaku0811

どんな理論を学ぶにしても、理論はあくまでも目的地へとたどり着くための道具にすぎず、歩くのはいつも自分であることを忘れてしまってはならないでしょう。理論はそれを忘れる者に味方をし、それに依りかかる者を突き放す、と言えると思います。

2018-11-08 12:27:46