名作は私たちに見られるものであるとともに、私たちを見るものである。すべての名作は顔を持つ。

人は誰しも顔を持つ。顔を見ることは単にそれを見るのみならず、それから逆に見られることをも意味している。つまり顔を見ることは、双方向的な営みである。そしてそのゆえに対話である。 対話とは顔を見ることであるが、名作の鑑賞という営みもまた、顔を見ることと同じように、私たちはそれを為す際に作品を単に見るのみならず、逆に作品の方より呼びかけられ、それに対し返答することで初めて成立するものである。 名作の鑑賞とは顔を見ることにほかならず、それはすなわち対話である。
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大角 康 @koukaku0811

何の分野においても人が本当に一所懸命に作ったものは、それに近付く者に対し、単にそれに触れることのみならず、それと対話することまで求めるものだと思いますし、面と向かって対話しなければ素顔を見られないものだけが、人の心を打つ力を持っているのでしょう。心のこもった作品は、 twitter.com/TAKAHIRO3IURA/…

2018-11-15 19:23:55
大角 康 @koukaku0811

生きた人間と同じように、きちんと自分を見てくれる者だけに本当の顔を見せるものだと信じています。真の作品は個人から個人への呼びかけそのものであるゆえに、真の作品に触れることは、自分がそれを見る、聴くことと言うよりも、作品の方から名前を呼ばれ、それに返事をすることだと思っています。

2018-11-15 19:23:55
大角 康 @koukaku0811

ゆえに名作を本当に鑑賞する者は、単にそれを見て満腹となって立ち止まるということがなく、その者もまた作品に対する応答として、自ら何かを生み出すことへと駆り立てられます。名作の鑑賞は人を満腹にして立ち止まらせるどころか、創作への飢餓を人に与えて益々前へと歩ませるものだと思うのです。

2018-11-15 19:23:55