私を映す鏡としての他者と過ごす時間

いつの世においても結婚というのは人生の重大事でありますが、結婚のみに限らず、ちがう背景を有する人間同士が一緒に暮らしてゆくということはいつの世においても困難であります。 他者と過ごす時はそのなかで自分が何者であるかが否応なく映る鏡であると思うので、最も自己反省が進む場所、最も厳しい道場であると思っています。
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大角 康 @koukaku0811

時の淘汰は恐ろしくもありがたいもので、時間をともに長く過ごせば過ごすほど、一緒に過ごしている人が本当はどのような人であるかがごまかしようもなく明らかとなってきます。だからこそ一緒に暮らすというのは凄いことで、それは他者の正味の姿に接する道へ踏み込むことと同じであると言える

2018-11-20 08:09:40
大角 康 @koukaku0811

でしょう。相手が、そして自分がどんな者かが否応もなくバレてしまうのは恐ろしいことですが、しかし逆に言えばその道は、本当に他者と出会わせてくれる道でもあると言わねばなりませんゆえに、人と本当に出会おうと思うのなら、私たちは他者とともに多くの時を過ごさねばならないと言えるでしょうし、

2018-11-20 08:09:41
大角 康 @koukaku0811

そのなかでしか自分の本当の姿もまた見えないと言えるでしょう。他者との関係性のなかに映されてこそ初めて自分が見えると思います。 他者とともに多くの時を過ごすこと、それは他者と出会うことを通して自らを見る道を行くことであり、これこそ最も厳しくかつ、最もありがたい修行であると考えます。

2018-11-20 08:09:41