信じることと疑うこととの関係性

人が人を信じる姿は美しいですが、その美しさはどこから来るのでしょう。 思うにそれは「疑いがない」という態度から来るものではなく、「疑いが現れるたびにそれを否定するという決断を敢えてし続ける」という粘り強さから来るのであると思うのです。
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大角 康 @koukaku0811

疑いがなければ信じることは成り立たず、疑いなく決め付けることは、盲目的に思い込むことにすぎないでしょう。ゆえに誰かを信じるとは、その誰かを疑う可能性自体がないことではなく(私たちが人間である限りそのようなことはありえないでしょう。)、その可能性を否定するという決断を twitter.com/hideKoba_bot/s…

2018-11-23 18:29:56
小林秀雄 botcast @hideKoba_bot

喜びを新たにするには悲しみが要り、信を新たにするには疑いが要る。 (好色文学)

2018-11-23 17:05:02
大角 康 @koukaku0811

絶えず下すことであると思います。したがって信仰というものも、一度獲得されればそれで終わりなのではなく、それは絶えずその都度獲得されてゆかねばならないと思うのです。信じる者は絶えず誘惑に曝されており、誘惑に曝されてもなお信じるからこそ意味があるのだと考えます。#幸田露伴#五重塔

2018-11-23 18:29:57
大角 康 @koukaku0811

が感動的であるのはまさに、信じるという営みのなかの上記のような二面性を描いているからであると思います^_^

2018-11-23 18:29:57