苦しみの存在を認めることより苦しみの生活は始まるが、しかしそれは同時に癒しへの道が開けてきたことの証である

最も深刻な苦しみとは、苦しんでいる自分自身でさえその存在に気が付かないような、抑圧され切って表面に浮かび上がってこないものでしょう。 この時に人は病気となったり急に死んでしまったり、もしくは人格が異様なまでに歪んでしまうのだと思われます。 自身が抱える苦しみの存在に気が付くことは、本人の主観においては苦しみの幕開けであるわけですから歓迎することなど到底できはしないものの、客観的に見ればそれは、癒しへの通路が開かれつつある証、または、本当の自分の人生の物語が展開され始めつつある証であると思うのです。
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大角 康 @koukaku0811

たとえば足先が冷えている最中には意外とそのことが気にならず、冷えた足が温められた時に足先がかゆくなってなってきて、そのかゆみによって自分が霜焼けになっていた事実に気が付くということがあります。 心の傷もこのようなものではないでしょうか。 癒えるきっかけを掴んだ時に心の傷は疼きだし

2019-01-11 14:48:57
大角 康 @koukaku0811

その時に初めて私たちはそれまで自分が傷付いていたことを知るのでしょう。 そこから先は傷の疼きとの生活となりますので、ある意味において本当の苦しみが始まりますが、この苦しみはかつての自分が認めることのできなかったもので、その存在を認めたうえで何とか生き抜こうと

2019-01-11 14:48:58
大角 康 @koukaku0811

するその最中に「光」が射してくるのでしょう。 以前には認められなかった苦しみのなかを生き抜くことは半端ではなく苦しいですが、「産みの苦しみ」という言葉があるように、苦しんでいるということは、より厳密に言えば「苦しめている」ことは裏から見れば、その者が癒される道へと踏み込んだことの

2019-01-11 14:48:59
大角 康 @koukaku0811

証でもあると思うのです。

2019-01-11 14:48:59