《宮崎・早野論文が科学的に妥当でない根本的な理由は、不適切な計測で集めた出鱈目なデータを元にした研究だから》

自己ツイートに、補足文を追加してまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

宮崎・早野論文の件。未だに「早野氏の計算ミスで、それを修正すると言っているのだから、あの論文は適切で、早野氏は良心的」と主張する人がいる。 そもそも、論文の素材にされている住民のガラスバッジ計測が、科学的研究素材に仕えない雑な計測だった。(続く)

2019-01-12 15:10:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ガラスバッジ計測を「させられた」伊達市住民は、自身が受け取っていたガラスバッジで科学論文が作製されることを知らなかったし、論文作成に関する同意書も作られていなかった。 計測期間中ずっと神棚や物干しや雨どいに置かれたガラスバッジもあり、住民の被曝線量推計には、使えない筈のデータだ。

2019-01-12 15:10:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

住民が身に着けていなかったガラスバッジがどれだけあったのかも確認せずに、住民の被曝線量を推計しようなどという試みは、もし住民からの論文作成同意書を得ていたとしても、説得力がある研究にはならない。計算やプログラムの適切さの問題だけではない。 この研究の正当性を主張するのは、無理だ。

2019-01-12 15:10:47

ツイートでは字数が不足した部分を補足する。

住民にガラスバッジが配布された目的は「住民が不必要に、過度に被曝に対して不安を感じている。そこで実際に各自が実際に被曝した線量を測定できるガラスバッジで、被曝線量を計測し、住民の不安を払拭すること」だった。

このガラスバッジ計測によって、住民が本当に知りたい「原発事故による被曝によって、個人に県境影響が出るかどうか」ということは判らない事を、多くの住民は理解していた。

また。配布の目的からして「どのような結果が出たとしても、市や県や政府は『健康に影響があるかもしれない』とは言わないだろう」ということも、住民の多くは理解していた。

そこで「配布されたガラスバッジを24時間身につける」などという面倒なことを実行する住民は多くなかった。

ある住民は、一番被曝線量が高くなりそうな、雨樋の吐出口の下にガラスバッジを置きっぱなしにした。
別のある住民は、24時間屋外で生活したらどれだけ被曝するのかを調べようと、屋外の物干しに置きっぱなしにした。
さらに別のある住民は、紛失すると実費負担で弁償させられるので、無くさないようにと神棚に上げたままにしておいた。

上記いずれの行動も、ふざけて行ったことではなく、理由がある事だったのだ。
最も多い使い方は、ある程度の時間は市役所が言うとおりに身に着け、邪魔だと思う時には身体から離して保管する、というものだった。

つまり、論文作成時に自明の前提とされた「住民は24時間ガラスバッジを身に着けていた」ことそのものが、間違いだったのだ。

上記の様に不適切な計測方法で使用されたガラスバッジから得られた「被曝線量」をデータとして利用した「研究」から、住民の実被曝線量を推計することなど、最初から不可能だったのだ。

住民がなぜ、そのような「不適切」な計測方法をしたのか、というもう一つの理由は、もっと単純で、しかし宮崎氏と早野氏にとっては、より致命的なものだ。

住民は、自身のガラスバッジの計測データを使った「科学的研究」や「論文作成」が実施されることなど、全く知らされていなかった。だから、不適切な計測方法をしたとして、今後何か面倒な事になるとは考えなかったのだ。

もし、ガラスバッジのデータを使って何かの「研究」が行われると知っていたら、多くの住民はガラスバッジの着用を拒絶しただろう。「モルモットにされてたまるか」という思いは、多くの住民が抱いていた感情だからだ。