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創作とは、自らが作り出したものによって逆に自らが作られてゆくことにほかならない

私の場合、「心」というものを個人のなかに属するものとは考えずに、個人というものがそこにおいて成立する場所であるのみならず、そこにおいて個人と個人という独立した自由なもの同士が互いに関係し合うことのできる場所であると考えています。 つまり私は「心」を「私たちがそこにおいて生きる世界」と考えているということで、人が自分の生きているこの世界に開かれる時に起こるものこそ、本当に自由な行動としての創作活動だと思うのです。
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大角 康(宗純) @koukaku0811
文章を書く時には何かしら必ず前以て頭のなかに書きたいことがあるものですが、しかし書いているうちに自分にとっても予想外のものが出てくることが書くことの醍醐味と思いますし、この予想外のものに支えられて初めて創作は成立すると思います。 予想外のものの含まれないものは報告書で、創作物では twitter.com/EssentialWord1…
大角 康(宗純) @koukaku0811
ないでしょう。書き手によって書かれたものでありながら、書き手自身をも変貌させて育てていってくれるもの、それが創作物としての文章であり、このような文章を私は文学と言いたいのです。 文学とは、それを書くことで書き手が段々擦り減ってゆくようなものではなく(だから私は「命を削る」や
大角 康(宗純) @koukaku0811
「身を削る」という表現が好きではありません。)、むしろそれを書くことで、心が新たな空気を吸って生まれ変わりを果たすものであると思います。 報告書は頭のなかだけでできますが、文学は決して頭のなかだけではできません物語の生まれる場所は決して頭のなかではなく、心のなかである
大角 康(宗純) @koukaku0811
思います。 「頭」という語を「人間一人一人の内面」と解釈するならば、「心」という語は「互いにうかがい知ることのできない頭同士がそこにおいて関係し合える場所」であるとしてみたいです。 「心」という場所に頭が開かれることで、うかがい知ることのできないはずの他の頭との交流が初めて
大角 康(宗純) @koukaku0811
果たされるのだと思っていて、ゆえに心との交流は他の頭との対話であり、他の頭との対話とは心との交流にほかならないと考えています。 心とはいわば頭と頭との媒介者であり、心において頭と頭とは手を取り合うのであると思います。 文学的創作とは、頭のなかにあったものを書き出すことを皮切りと
大角 康(宗純) @koukaku0811
して、頭が心へと開かれてゆくことだと思うのです。だからこそその過程において頭には予想外であったことが心より贈られるのであり、この想定外の贈り物に支えられながら書き手が育ってゆくことこそ、人が作品を生み出すことだと信じています。 文学作品を生み出すこと、それは心からの贈り物を
大角 康(宗純) @koukaku0811
受け取ることにほかならず、仏教において「無心」や「無我」、「無念無想」などと言われるのは、心からの贈り物を受け取りうるよう頭が心に開かれていることだと思うのです。

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