柳宗悦を中心とした白樺派、民藝運動の動向と所感およびリスト(主に自分用)
白樺創刊~我孫子移住まで
「白樺創刊」「学習院時代」
「白樺」総目次 - 国立国会図書館サーチ iss.ndl.go.jp/books/R1000000… #ndlsearch 創刊号に武者小路実篤(無記名)は「十年後を見よ」と書いているが、里見弴は「大将株はこの雑誌に何かエライ意味があるように思ってよろこんでいるが」これは子供が望むような「ぼんやりした願」と書いてて温度差がすごい
2019-02-03 00:03:20「発刊に際して」のばらばら感がすごいんだけど、このばらばらのまま行っちゃうところが白樺のふところの深さなのかなと思った。先鋭化しないがそれぞれに深化しちゃう感じ
2019-02-03 00:11:01里見弴「二人の作家」に「先輩、後進というような、階級的な感情に乏しく、時にはそれを軽蔑し、蹂躙したがるような気風が、今は知らず、近衛篤麿を院長に戴いていた頃の学習院にはあり、」とあり、はー道理で柳が志賀にも武者小路にも敬語使わないんだ…。というやっとの納得
2019-03-17 14:42:02当時の学習院言うたら、華族の子息と少数のその他の階級(の良家)の子息が共に学んでいたわけで、そこでフラットな関係が希求されるというのは、なんか近代教育の勝利って感じする。現代の学校教育の方が儒教の影響受けすぎでは?とすら思う。
2019-03-17 14:43:14と同時にこの作品の中で里見弴が「世俗的の意味で謂う「成功者」の多くが、その生家や生育からみて、一種「成金」のように思われ、」と庶民に対する蔑視を悪びれず表してるところもエモ
2019-03-17 14:53:06武者小路実篤と乃木希典の項がなかなか面白い。白樺派が卒後(志賀武者など)、在学中(柳長與など)の学習院院長だった乃木をものすごく嫌っていたのは有名ですが(そもそも軍人が嫌いだし)、乃木は親しかった森鴎外に「白樺諸家の言論に注意すべきことを託」(鴎外1912.4.24日記より)している。
2019-11-16 23:24:05実篤が1907年に学習院での講演で乃木の顔をにらんで「人間の価値を知らないものは××(軍人)ですッ」とやった(志賀談)り、柳も当時院長の乃木を攻撃して学習院を退学になりかけたという話をどこかで聞いたことがあるので、この白樺派の面々に乃木は割と直接的に攻撃されていたにもかかわらず、
2019-11-16 23:32:34卒業後の彼らの動向を非難するというのでなく、気にかけていたのかな、と思うと、あくまでも元生徒、直接でないにしろ教え子として彼らに注視する教育者としての乃木希典の態度が見えて、ちょっと意外な思いがした。
2019-11-16 23:32:34『白樺』1910(明43).11月号「ロダン号」 斎藤与里、柳敬助、高村光太郎など、画家、彫刻家にも寄稿を得ての大特集号である。ロダンをよく知らないらしいのに、短いながらも寄稿する柳敬助のお人柄…。
2020-02-01 23:46:29ロダン作品の写真を多く掲載しているのだが、その原版を得るのには相当苦労したようで、 「有島武郎のクラーデルの本は、この必要の為から十枚ばかりの挿画をはぎ取られると云ふ悲惨な目にあった。」 当時の洋書って…とってもお高いんでしょ??? かわいそう…
2020-02-01 23:55:40「宗教家としてのロダン」柳宗悦 全体的に若い! 深いようで浅い! でも畳みかけるように迸るロダンへの熱情を綴ったところなんかは私の好きなあの宗悦ですね… 「不幸にして本邦に於ける現代の芸術家、宗教家及び学者の前に跪づく可き幸を得ない吾等は、遠く西の国に隔りたる彼らに向ひて→
2020-02-01 23:53:09年度を調べたら、この年柳宗悦は東京帝国大学へ入学したばかりだから、まだ鈴木大拙と出会ってない?? 出会ったばかり??くらいなんだな。 「宗教家及び学者の前に跪づく可き幸を得ない吾等」ていうのがあまりに違和感だけど、まだホントに、本当~に若かったんだな。
2020-02-04 00:18:46我孫子時代
白樺派の文人たちと手賀沼―その発端から終焉まで 感想 山本 鉱太郎 bookmeter.com/books/4344209 #bookmeter @bookmeterさんから この方の文章すごいステキだなあ。めっちゃ面白い。読みやすい、分かりやすい、偉そうじゃない、卑近。
2019-04-18 23:29:24大河ドラマ「いだてん」で活躍中の嘉納治五郎は、柳宗悦の叔父。この嘉納治五郎が我孫子に持っていた別荘地の一隅に柳宗悦夫妻が移り住み、続いて志賀直哉、武者小路実篤らが移住、白樺派の我孫子時代を作った遠因はこの嘉納治五郎だと言えるかも。
2019-02-03 20:31:01高村光太郎を頼って日本に来たバーナード・リーチが、たまたまエッチングを習いに来た白樺派と接近し、独自の立ち位置で順調に日本に居場所を築いたのに対し、封建的な日本画壇で閉塞し孤独を深めていく高村ていうのエモい。
2019-04-20 23:28:35バーナード・リーチがすごい努力家だったから日本語すぐうまくなったけど、志賀直哉や柳宗悦のぶっきらぼうな言葉をそのまま使うからはじめての人はびっくりするっていうのヤバおもしろい。「志賀いるか、柳帰ったか!」
2019-04-29 20:43:54「自分は自覚して勉強する様になった時から殆ど凡ての友達を失ひだした。然し少数の友達によって自分は温かい此数年を過ごした。」 全文読むと、友人関係で色々あったらしいことが窺われる。手賀沼の自然に惹かれての我孫子移住なのは間違いないが、東京の友人関係に疲れたところもあったかもしれない
2019-02-19 21:21:12バーナード・リーチと激しい口論の末、翌日リーチが「昨夜は brilliant discussion だった」と言ってきて、友情を深め合う話が出てくるが、逆に言うと brilliant discussionでは終われない人もあったんだろう。あの周辺みんな我が強そうだしな。ちなリーチと赤城山行ってる。白樺派は赤城好きだな
2019-02-19 21:28:25