【横山光輝「三国志」講座198「教門国」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第198話「教門国」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。 ※今回の話は、大判・横山光輝「三国志」第11巻に収録されています。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座198「教門国」01】 第198話です。前回までは西涼と馬超対曹操との壮絶な戦いが繰り広げられていましたが、曹操の勝利と相成りました。馬超の台頭を抑えた曹操。三国志の勢力図に変化が生まれます。この報は各地にもたらされましたが、一番驚いたのは漢中の師君、張魯でした。

2019-02-06 12:37:39
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」02】 これまで漢中の話題がなかったので、唐突な印象を受けます。ただ、これからのストーリーに漢中が入り込んでいますので、一話を漢中の説明に宛てております。珍しく本編に地図のコマが入っております。長安と剣客の中間あたりにあるのが漢中です。

2019-02-06 12:40:12
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」03】 この漢中は、一種の道教によって国が治められていました。いわゆる五斗米道と言われるものですが、今回の話は一種の道教という表現になっております。教主のことを「師君」といい、当時は張魯が三代目師君でした。

2019-02-06 12:43:53
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」04】 道を学びたいといってくる者をすべて鬼卒(きそつ)といい、頭だった者を「祭酒(さいしゅ)」、多くの鬼卒を率いる者は「治頭大祭酒」と呼び、官吏はおかなかったようです。

2019-02-06 12:46:38
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」05】 その教えは、誠実を第一とし、人をあざむくことを許さない、病気にかかった者は祭壇に来させ、静かな一室に住まわせ、それまでに犯した罪や過失をよく反省させ、それを告白させたのちに祈とうをしてやります。

2019-02-06 12:49:00
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」06】 祈とうの法は、病人の姓名を書き記し、罪に服する文三通を造ります。これを「三官手書(さんかんしゅしょ)」と呼び、その一通を山の頂上において天に奏し、一通は地にうずめて地に奏し、一通は水中に沈め水官に届ける。

2019-02-06 12:51:08
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」07】 およそ科学的な根拠はありませんので、これで病気が治るとは思えませんが、反省室でこもったり、反省文を書いたりすることができる程度の病人であれば自然に回復したんでしょう。こうして病気が治ると、米五斗を謝礼として持参させます。

2019-02-06 12:53:18
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」08】 五斗がどれくらいの量かというと、1斗が約15kgのお米ですので、五斗だと75kg。ちなみに、1俵が10斗です。米俵半分程度が謝礼となります。これが多いのか少ないのかはわかりませんが、例えば、10kgのコシヒカリが4〜5000円として、3万円から37,500円程度。

2019-02-06 13:04:19
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」09】 病気以外の話でいえば、義舎を建て、そこには米、たきぎ、肉などを用意してあり、旅行者に自由に食べさせます。しかし、必要以上にむさぼる者は天の咎めを受けます。大食いの人は気をつけなければいけませんね。基準は義舎のスタッフの主観でしょうか。

2019-02-06 13:07:17
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」10】 領地の人民が法を犯した時は、三度まで許します。それでも改心しない時は刑罰を加えます。このように、漢中は一種の道教によって治められている国です。そこにはいろんな不条理があったのでしょうが、漢中という狭いエリアでは機能していたのでしょう。

2019-02-06 13:09:00
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」11】 いわば独立国家の体をなしていた漢中。後漢がまだ精強だったころでは、このような存在は許されなかったと思われます。宗教組織であった黄巾党を弾圧した漢朝が、三十年にわたってこの地を征伐しなかったのは、土地が不便すぎて、兵が出せなかったからです。

2019-02-06 13:12:47
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」12】 そこで漢朝は、懐柔策をとり、張魯に鎮南中郎将という官職を与え、漢寧の太守に封じ、毎年貢物を届ければ、その道教も認めるという政策をとっていました。しかし、漢は弱体化し、曹操が台頭。西涼軍が滅んだとなると、漢中の地も安泰とは言えません。

2019-02-06 13:15:18
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」13】 張魯は、善後策を協議します。前提として、漢中は、西涼の馬騰と親しくしていた関係もあり、その西涼軍が滅んだちうことは、漢中の地も安全とはいえず、時機を見て曹操は必ず攻めてくる、という見立てがあります。

2019-02-06 13:17:21
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」14】 曹操がせめて来る前に、自分たちも態度を決めておかなくてはいけません。曹操に帰順するか、対抗するか…。配下の者の話を聞いた張魯は、思わず、むむむ、と言います。

2019-02-06 13:18:42
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」15】 ある日のことです。漢中で農作業に勤しむ農民。こちらの方々も鬼卒でしょうか。農機具になにやら引っかかりが。箱が埋められておりました。なんだろうと、拾い上げて、中を見るとなにやら不思議なものが。この農民は見たことがない代物です。

2019-02-06 18:44:26
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」16】 農民達にとって見たことはないものですが、なんだか高価なものだということはわかります。そこで、学者に見せようということになります。学者先生の家に向かい、掘り出し物を見せる農民。学者はひと目見て、これは玉璽だ、と言います。

2019-02-06 18:46:49
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」17】 当時の識字率は低かったと思われますが、さすがは学者先生。書かれている文字から帝の位に持つ者が持つ印鑑、すなわち玉璽だと見抜いたのです。田舎の学者先生、多分初めて見たのでしょうが、本物か偽物かは疑いもしません。

2019-02-06 18:49:43
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」18】 さて、この漢中の国の地中から出てきたということは、誰かが埋めたのでしょうが、農民の一人が、これはきっと我々の師君様に帝になれという天のお告げだ、と言い出します。そうかもしれぬ、と師君、すなわち張魯に届けることにいたしました。

2019-02-06 18:51:52
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」19】 直接この農民が張魯に届けたかどうかはわかりません。祭酒、もしくは治頭大祭酒を通じたものと推測。ともあれ、張魯の手に、この玉璽が届けられます。張魯はむむむ、まさしく玉璽だ、と本物であると言います。

2019-02-06 18:55:24
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」20】 配下の者は、これは曹操が攻めてきた時に、師君様が漢寧王と名乗り、曹操を防げとの天のお告げではありませぬか、といいます。流石にいきなり皇帝を名乗るのはおこがましい。しかし、漢寧の太守ではなく、漢寧王と名乗ってもいいじゃないかと。

2019-02-06 18:57:50
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」21】 しかし、別の配下の者が、たしかに玉璽を持った今、漢寧王と名乗ってもおかしくはないが、もっと国を大きくしてからでも遅くはない、と言い出します。張魯は国を大きくするとはどういうことか、と尋ねます。

2019-02-06 18:59:34
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」22】 この漢中というのは、戸数は十万あまりと、あまり大きな国とは言えませんが、財政的には豊かであり、食糧も満ち足りています。さらに、西涼から逃げ込んできた百姓や兵も数万に及んでいることから、人的資源も十分。この状況を活かして、蜀を取れと。

2019-02-06 19:01:23
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」23】 漢中の隣が蜀です。蜀41州を取ってから、帝王を名乗ってもおかしくはないという部下。張魯は、むむ、と言って、そう簡単に蜀が取れるのか、と疑問を呈します。しかし、蜀の劉璋は惰弱な暗君、苦労はありますまい、との答え。

2019-02-06 19:04:03
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」24】 漢中だけなら小国ですが、漢中と蜀を合わせれば、一大国家となります。後に劉備が成し遂げることになりますが、それより先に蜀を狙い始めたのが、この張魯となります。張魯はさっそく、蜀攻略の策を練ろと命令します。

2019-02-06 19:05:51
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【横山光輝「三国志」講座198「教門国」25】 こうして、ようやく三国志で蜀が注目されるようになります。次回はその蜀についてのレクチャーとなります。今回はここまで。

2019-02-06 19:07:45