ジャイアント馬場とは、何者だったのか~没20年で、関連本や記事、追悼興行など
プロレス&格闘技雑誌『KAMINOGE 』を主戦場にフリーのライター・編集者をしています。
Number Webのコラム更新しました。今回は、没後20年で再評価される“プロレスラー・ジャイアント馬場”について。 今の新日本隆盛を半世紀前に先取り。ジャイアント馬場を正当に評価する。 number.bunshun.jp/articles/-/833… #プロレス @numberweb
2019-02-06 12:39:08今の新日本隆盛を半世紀前に先取り。ジャイアント馬場を正当に評価する。(堀江ガンツ) #プロレス #ジャイアント馬場 number.bunshun.jp/articles/-/833…
2019-02-06 10:00:41スポーツ総合雑誌『Sports Graphic Number』&『Number Web』公式アカウント。NumberWebの毎日の記事をお届けします!
新日本プロレスに王道プロレスをされて悔しく思う、全日本プロレスファン。 今の新日本隆盛を半世紀前に先取り。ジャイアント馬場を正当に評価する。 number.bunshun.jp/articles/-/833… #プロレス @numberwebから
2019-02-07 21:34:44馬場の没20年につき回想。馬場はディック・マードックを評価しておらず、その理由を「アイツはギャラ分の仕事しかしない」と語った。ギャラ分の仕事するなら上等やんけ搾取する気満々か、というのが現代の感覚。プロモーター馬場は昭和の妖怪で、ギャラの10倍の働きを求めた。ブラックにも程がある
2019-02-08 01:33:01馬場の晩年にその理想を体現したのが四天王プロレスだった。馬場は彼らが可愛かっただろう。しかし馬場の死後三沢はリングで亡くなり、小橋はボロボロになった。その責任のいくばくかは馬場にあるし、支持した我々にもある。世のブラック企業を批判しながら、リング上にアレを求めた我々は罪深い。
2019-02-08 01:39:31@pencroft 新日と違い全日は派手なコメント、マイクアピールを許されてなかった。コスチュームも新日に比べて地味でしたし。だから試合で認めてもらうしかなかった感じがありますね。
2019-02-08 01:44:57四天王プロレスは初代タイガーマスクと同じ究極の肉体言語で、ある時代の奇跡、オーパーツみたいなもんだ。今のプロレスラーにはあれを目指さないでほしい。もっとこう、長州がギスギスしたマイクアピールして何言ってんだか全然わからないけどメチャ盛り上がるとか、そんな可能性もあるんだ
2019-02-08 01:46:00ホームページUP![本棚]日本が生んだ偉大なプロレスラー、ジャイアント馬場の知られざる足跡を追う旋風プロレスノンフィクション!『1964年のジャイアント馬場(双葉文庫)』(双葉社) two-three.com pic.twitter.com/iXiKZZFSKS
2019-02-05 13:15:00柳澤健の1964年のジャイアント馬場、週プロの市瀬さんが全日本の四天王時代前夜あたりからマッチメイクを担当してたと ターザンが出てくると急に胡散臭くはなるんだけど、馬場のマッチメイクセンスが時代にあわなくなって、ファン上がりの市瀬さんがファンの心を掴む。それをしたG馬場すごいなって
2019-01-31 10:08:49中堅・若手からマッチメイク改革がはじまり、熱狂がはじまっていく 武道館が満杯になり、年何度も武道館興行を行い外国人に偏りすぎてた時代の借金を完済して、G馬場は初めて経営者として全日本やってて良かったと噛み締める けども、それを武道館から決して出ることはない熱狂だったと柳澤健は書く
2019-01-31 10:20:37それは自分の感覚にもあってるし、新日本は豪華絢爛、全日本はものすごいけど地味、というのと、ドームやアリーナツアーをやる新日本が羨ましくて仕方なかった 馬場は現場のつきあげもあり、三沢に現場の全権をゆずる そして、急逝する その後の全日本、プロレス全体の動乱を見ないまま
2019-01-31 10:29:41ただ、馬場を語った 馬場を語るには日米プロレスの歴史が、猪木が、とありながら、元子夫人に関して掘り下げて欲しかった 馬場さんに寄り添う元子さん もう故人になった関係者にじかに話をたくさん聞いている本 元子さんの話も出てきただろう 馬場を語るには元子さんも必要だったろうと思う
2019-01-31 10:32:31選手のグッズの売上が選手に反映されてなかったとか、新日本のアントンハイセルほどではなくても、1、2ページはさいて掘り下げてほしいところだった 少し、残念だった けれど、戦前・戦後の日米プロレス史を馬場視点を軸に四天王時代まで書いてくれたのはありがたかった 面白かったです
2019-01-31 10:35:32ところが、まったく意外なことに、馬場の帰国は一本の国際電話によってあっさりと決まってしまう。 馬場に電話をかけてきたのは、山口組三代目組長にして日本プロレス副会長の田岡一雄であった。 (『1964年のジャイアント馬場』 柳澤健 双葉文庫) 頁をめくる手が止まった。頁の端を折った。
2019-02-03 23:06:52柳澤健『1964年のジャイアント馬場』、今週文庫が発売されるが、書籍解説も手抜かりなく《大谷翔平がアメリカ中を熱狂させた2018年。そのおよそ半世紀前、同じ「ショーヘイ」の名を持つ男が全米にその名を轟かせていた。男の名前は、ショーヘイ・ババ。》とアップデート。futabasha.co.jp/booksdb/book/b…
2019-01-06 14:26:41「1964年のジャイアント馬場」電車で読んでたら涙。関係者の証言から一部抜粋。 「日本のファンはババに、普通の人間とは違う何かを見ていたと思う」(ブルーノ・サンマルチノ) 「日本に来て仏像を見るたびに、いつもババの事を思い出す。イエス。ババはブッダなんだよ」(ザ・デストロイヤー)
2019-01-30 12:32:42「1964年のジャイアント馬場」より一部抜粋 「僕にとっての馬鹿さんは、地上に降りてきた神様みたいな人でした」(仲田龍) ~略~ しかし、プロレスラーとしての成功が、馬鹿の本質を変えることは一切なかった。馬場正平はひとりの心優しい日本人として生き、そして死んだ。
2019-01-30 12:41:271964年のジャイアント馬場読んだ。586ページもあったけど面白くて2日で読んだ。アメリカ時代の馬場さんの格好いいこと!その大成功の馬場さんを日本へ呼び戻すのは田岡の三代目の一本の電話だったという…昭和史にシビれる
2019-02-04 22:42:121964年のジャイアント馬場が、とにかく面白い!力道山とカールゴッチの確執、鉄人ルーテーズのプロレス観、ジャイアント馬場が真のプロレスラーとは何か?気付いていく過程が明確にわかり、たまりません!
2019-01-30 20:51:22でも、やっぱり心に残るのは、プロレスラーに至るまでの馬場さんの挫折と葛藤。大きすぎる自分、好奇の視線を受けることにコンプレックスを抱き常に下を向き、小さくなれと願う日々。巨人軍の投手になる程の運動神経を持ちながら、優秀にもかかわらず不遇をかこち、そして脳腫瘍、転倒、左肘の腱断裂…
2019-02-04 22:54:56