南相馬・小高の和田智行さんによるクラウドファンディング
1)福島県の南相馬市について、外部の人間が何か言うなんて、南相馬の方々には申し訳ないけれど、少し、そこの小高区でのクラウドファンディングについて、コメントしたい。そもそも南相馬市が出来たのは2006年、平成の大合併によってであり、原町市とその南の小高町、北の鹿島町が合併してできた。
2018-09-28 22:32:012)南相馬市のあたりは相双地区と呼んで、相馬郡と双葉郡の地域。小高、原町、鹿島の3地区が南相馬市に合併する前は、大高も鹿島も相馬郡の一部だった。それがたまたま原発から10~20kmのところが小高区、20~30kmが原町区、30~40km付近が鹿島区だった。これが事故後の対応を非常に複雑にした。
2018-09-28 22:32:233)南相馬市の原町区から京都に避難して来られた方にもお会いした。その方には原町も案内してもらった。原町区は人口も多く、線量率も高くなかったので戻れても、特に小高区の山側には線量率の高い場所もあって、山からまた汚染が戻ってしまうというような風評から、当初は、戻らないままだった。
2018-09-28 22:33:294)南相馬市の小高区の山側には、2018年でも線量率が高い場所が残っている。そこにある一軒を除いて、小高区の全域が避難指示解除になったのは2016年7月。これはかなりギリギリのタイミングで、最後に避難指示解除になった飯舘村、浪江町、富岡町など4地区の2017年3月末の、わずか半年前だった。
2018-09-28 22:34:025)避難指示が解除になっても、すぐに人が戻れるわけではない。例えば浪江町の場合、2017年3月末に解除になったが、その年の9月にゼミ学生15名と合宿研修で来た時、浪江町の保養施設の前のテニスコートは、一時帰還のための宿泊施設になっていた。帰還するかどうか、すぐには決められないからである。
2018-09-28 22:34:436)浪江町を例にとると、2017年9月、解除の半年後だから復興公営住宅が立派なのができていたが、それも実は空いている。それは建設前に行政が、何度も何度も確認しても、その頃には事情が変わるからだという。だから学校も集約して再建。小中一貫校の隣に、認定こども園も建設されるといった具合。
2018-09-28 22:35:037)浪江町の場合、避難指示解除のあと、2017年度の一年をかけて、まずは町役場の機能を復活、住宅を整備し、駅を再建、学校を作り、仮設商店街をつくり(浪江の場合「まち・なみ・まるしぇ」)、慰霊碑、震災遺構、工業団地、一時帰還施設を作り、(病院も整備して)やっと一年後に、帰還が始まった。
2018-09-28 22:35:458)南相馬市の場合、その一番南の小高区では、2016年7月に避難指示解除になっても、なかなか人は戻らない。小高駅前に双葉屋旅館というのがあるが、そこは当初、道路にペンペン草が生えていた。この地区で特に特徴的なことは、世帯数が激減、取り壊した家の多さだ(3400世帯中3000世帯とか)。
2018-09-28 22:35:599)私は2018年8月末に開沼博先生のご案内で、南相馬市小高区に宿泊し、現状を知ることとなった。ホームページには、東町エンガワ商店、飲食店(浦島鮨、双葉食堂、島魚、十割そばこごた、更紗)営業再開。コンビニ営業再開。魚屋、帽子カバン店、衣料品店等の商店が営業再開。などとなっている。
2018-09-28 22:36:26訂正後。10)この中の2つ、東町エンガワ商店と双葉食堂の2箇所にも、我々は行った。驚くべきことに、この2つを再開させたのは、一個人、和田智行さんという人の想像力とアイデアと行動力。そんな空虚な言葉が霞むほとの、実践と成果を目の前にして、驚嘆したことを忘れない。
2018-09-28 23:05:1211)2011年夏以来毎年、京都女子大の水野ゼミでは学部3回生と共に福島へ合宿研修に来ていた。そして多くの事実を学んできた。しかし今年度は(私が現役最後で)ゼミ生ゼロだったから、開沼博先生に特別講義をお願いし、その研修で福島に来た。そこで遭遇したのが、南相馬市小高区の和田さんだった。
2018-09-28 22:38:1512)和田さんは、南相馬市小高区出身で、まだお若く、東京でIT系の社長等を経験したあと、南相馬の小高にUターン。そこで遭遇した震災と原発事故、その後の5年半に及ぶ、人口ゼロの時期を経験し、ゼロからの出発を決意する。その一つが、前述の双葉食堂の再建だった。
2018-09-28 22:38:3913)双葉食堂は常磐線小高駅に近く、避難指示解除になっても再開しなかった。和田さんは逆に、そこを借りて食堂を再開。除染作業者の食事だけでなく、一時帰還の地元の人達にも好評となる。それを見た元の食堂経営者もついに、帰還を決意。それが市役所のホームページにも出ていた双葉食堂だ。
2018-09-28 22:39:2314)まだある。市のページにも出ている「東町エンガワ商店」だ。これもまず、人が暮らすための買い物ができないと、街の機能が再開しないことから、慣れない中でも和田さんがオーナーとなり、開店。「縁側」として、学校を再開した小高区で地元の高校生が立ち寄れるように、腰掛けるバーも設置した。
2018-09-28 22:39:5715)他にも、HARIOランプファクトリーという作業場創設の物語も興味深い。この話は、NHKでも紹介された。2018年8月22日「人が暮らすためには何が必要なんだろう?」 nhk.or.jp/doutoku/onmywa…
2018-09-28 22:40:1416)実は先日から、この彼らのNPOがクラウドファンディングをやっていた。私も少し貢献。なぜならこの2018年8月末に、小高でこの和田さんの講演を直接に聴いたから。いったいビジネスをするとは、どういうことなのか。なかなか考えさせられる事象である。
2018-09-28 22:41:2917)この活動のクラウドファンディングの広報ページ。和田智和さんご本人による解説。 makuake.com/project/lwf-od… makuake.com/project/lwf-od… makuake.com/project/lwf-od… makuake.com/project/lwf-od…
2018-09-28 22:42:1118)こういう発想ができる人がいるとは。「福島の原発事故被災地で起業しようと考える人が首都圏にいるなんて、普通の人は考えられないかもしれません。しかし、「原発事故被災地こそゼロベースで社会を構築できるフロンティアである」という考えに共感し、(続く)
2018-09-28 22:42:4119)(承前)「むしろチャンスだと考え飛び込んでくるチャレンジャーが一定数いらっしゃるのが事実です。起業プランには、それを成功させるための合理的な根拠が必要です。しかし(中略)続かないという側面を持ちます。そうならないためには、」 makuake.com/project/lwf-od…
2018-09-28 22:44:1320)2018年8月は最後の避難指示解除から1年半。南相馬市の小高区は2年の段階。楢葉は3年。今回の京都からの福島研修旅行は、京都女子大学と立命館大学の合同企画、開沼博先生に案内・指導をお願いした。その各地で我々が目にしたものは、日本の夜明けといっても過言ではない、そんな姿だったと思う。
2018-09-28 22:44:4921)和田さんには、まずはクラウドファンディングの達成を祝したい。 makuake.com/project/lwf-od… (以上)
2018-09-28 22:45:21福島に関わるようになって思うことは、こういった卓越した個人の能力が、誰がなんと言おうが、どこに行っても、感じられること。本当に、どこに行っても、という感じがする。
2018-09-28 23:09:24