キャラクターの現前性について

iwa_joseさんのまどマギ論と、hondejuさん(鍵付なので下に入れられず)のそれに対する反応を見て、キャラとか現前性とかについて再整理してみた。
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H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

「まんが・アニメ的リアリズム」についても『テヅカ・イズ・デッド』流に「もっともらしさ」と「現前性」を区分してみると、実は大塚は曖昧な部分もあるが、両者についてそれぞれ触れている。『キャラクター小説の作り方』では「もっともらしさ」を支えているのが、現実との整合性ではなく、(続く)

2011-05-05 00:03:49
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

(続き)マンガやアニメなどのオタク文化のデータベースとの整合性であるような小説の持つ独自の「リアズム」を言っている。一方『アトムの命題』などでは大塚は「現前性」の問題に接近している。「記号的身体の呪縛」として大塚が指摘しようとしているのは、要するに次のようなことだ(続く)

2011-05-05 00:06:31
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

(続き)つまり、マンガ/アニメのキャラクターの現前性≒生々しさは「生身の身体」としてのそれではなく「類型化された図像」としてのそれであって、故に、アニメーテッドカートゥーン的な不死性、身体の可塑性しかリアリティを持ち得ないし、だから内面的な奥行きも演出できない。

2011-05-05 00:10:23
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

現前性に近い形で大塚が「まんが・アニメ的リアリズム」という時は、そうした「記号的身体」の限界を言う時もあれば、手塚を起点にそうした呪縛にも関わらず「傷つき死にゆく身体」の描写をリアリティを持って提示した(大塚によれば)矛盾したあり方を指す場合もあるようでごちゃごちゃしている。

2011-05-05 00:15:25
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

先のツイートでも触れたが大塚はマンガのキャラの身体/像が根本的に複数性によって支えられていることを見落としている。ここで細かくは書けないが、この複数性が「傷つき死にゆく身体」をリアリティをもって提示することを可能にしているのであり、それはマンガ的な人間像の描きかたで矛盾ではない。

2011-05-05 00:29:51
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

一方で、こうした身体/像の複数性を利用して内面の奥行きや身体のリアリティを構築する、キャラクターを立ててゆく方法は、マンガが「動かない」こと、時間や運動を比喩的にしか表現できないこと、その代補的なものとしてあるのではないかという気がする。

2011-05-05 00:34:29
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

たとえば性別越境や分身といったモチーフはマンガの中で頻繁に用いられるけれど、これはもともと演劇からの影響が強いだろう。しかし、演劇や映画において成立するようなスペクタルは、可塑的な像で描かれ、時間的連続がないマンガでは難しい。だから内面的主題との絡まりで発達したのではないか?

2011-05-05 00:39:39
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

と、ここまで考えると、ゲーリア的なループ構造がノベルゲーで発展した意味も見えてくる。ノベルゲーは記号的なマンガ・アニメ的もっともらしさのキャラ絵を用いている上に、動かないし、身体の複数化もない。ゲームとしての能動性も、ジャンルの発達とともに後退してゆく。(続く)

2011-05-05 00:48:44
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

(続き)つまり、そうした欠如を引き受けた上で、受け手の感情をドライブさせるリアリティのある立体的キャラクターを成立させるため、ループ構造が導入される結果になったのではないか。身体/像の複数化によりキャラクターにリアリティを与える「マンガ的リアリズム」に対する「ゲーム的リアリズム」

2011-05-05 01:05:12
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

身体/像の複数化や世界/現実の複数化(ループ構造)が、映像的なスペクタルが生じさせるリアリティの代替物として、キャラクターに生命を与える(animate)するためのものなら、BD的なアニメ的なループとゲーリア的ループが違うものになるのはある意味当然かもしれない。

2011-05-05 01:09:19
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

で、まどマギだが。さわやか・村上対談でも触れられているように、オタクコンテンツのデータベースを巧妙に利用して最低限の描写で「ああ、あれね」と分かるような人物描写が、とりわけ中盤まで多い。1クールでぐいぐいとストーリーを展開させていく上ではエコノミカルだし、巧いとも言えるが(続く)

2011-05-05 01:13:42
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

(続き)個人的には「段取り」臭が強いというか、マンガ・アニメ的な「もっともらしさ」は成り立ってるけど、人物描写に「現前性」的なリアリティがあるとはあまり感じられなかった。ぶっちゃけ、意味は分かるけれど引き込まれなかった。

2011-05-05 01:16:40
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

これは9話時点でもそうで、ループ構造を1話でダダダっと説明されても「いわゆるあれですか」という感じ。ここまでは秀作、という印象だった。しかしラスト二話は良かった。まどかはほむらのことを「一番の親友」と言ってくれるわけだが、そんなあって一月くらいじゃん!とは余り思わなかった。

2011-05-05 01:20:29
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

ひとつには、実際にくどくど複数化された世界を描かなくても映像的リアリティがそれを補ってくれたからだろうか。もう一点としては、最終的にまどかが、ほむらというプレイヤー視点のキャラクターを理解し見守る、いわば「視聴者」視点のキャラクターとして「おれら」の期待に応えてくれるから。

2011-05-05 01:27:30
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

、まとめると、まどマギは言わば、ゲーム的リアリズムに基づいた物語、つまりゲーム文化のデータベースを参照したフィクションというより、ゲーム的リアリズムのフィクションをデータベースにした物語なんじゃないかと思う。まだまとまりきってないけど。

2011-05-05 01:31:18
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

というか、本当はアニメーションとしての魅力、というか映像のリアリティこそが大切なのだけど、そこを論じるだけの準備がないのがな。新房・シャフト作品としての流れについても考えなきゃならんわけで。正直いうと、9話あたりまで、画面こそが一番の評価ポイントで、話はそれほど…と思っていた。

2011-05-05 01:35:21
H.イワシタとラカクーニ @iwa_jose

@hondeju まどマギはエコノミカルな表現としてかなり洗練されてる、という印象です。それも人それぞれと言えばそうですが。ただ「人それぞれ」というのは究極的な結論過ぎるので、主観的印象を客観的記述に落とし込むことを目指したいですね。

2011-05-05 01:45:35
シノハラユウキ @sakstyle

うーん、むずいな。RT:protected むしろ「現前性」も、表現側の問題というよりは読者側に依存する部分が強い(読者が勝手に感じたり感じなかったりするもの)ので、人それぞれという水準の話になっちゃいそう。

2011-05-05 01:30:46
シノハラユウキ @sakstyle

「現前性」とはそもそも何か、というと、確かにこれがなかなか客観的な言葉で説明できなさそうなところがあるのだが、一方で、現前性が完全に読者側の問題かというとなかなか。現前性を高めるような表現をつくる方法とかはありそうなので

2011-05-05 01:34:45
シノハラユウキ @sakstyle

2時になってしまったが、『テヅカ・イズ・デッド』から「現前性」についての議論を見てみる。現前性とは、目の前にあるように感じることのことだが、特に「没入」のことを指していて、それは例えば映画だと、カットのつなぎに気付かないとかがあげられている

2011-05-05 02:03:11
シノハラユウキ @sakstyle

マンガにおいて、現前性を含むリアリティを担っているのは、「コマ構造」「言葉」「キャラ」とされる。よく知られている通り、『テヅカ・イズ』はこの中で「キャラ」について論じている。この3つは、斎藤宣彦が「絵」「コマ」「言葉」を挙げたことをうけている

2011-05-05 02:05:18
シノハラユウキ @sakstyle

伊藤は、「絵」を「キャラ」に変えたわけだが、それはこの3つが「時間的継起性」を担っているから。伊藤の「キャラ」というのは、この「時間的継起性」と関わっている。ただの絵ではダメで、時間を通じて同一性を保っている絵が「キャラ」とされる

2011-05-05 02:06:48
シノハラユウキ @sakstyle

「キャラ」というのは、通時的な同一性のことだと思う。そしてさらに言えば、それ以上のものではない。そしてそれが「現前性」を担っている。そう考えると、「現前性」はそれほど主観的なものでもなく、またそれほど多くを要求していない概念なのではないだろうか

2011-05-05 02:10:03
シノハラユウキ @sakstyle

「「キャラの強度」とは(略)複数のテクストを横断し、個別の二次創作作家に固有の描線の差異、コードの差異に耐えうる「同一性存在感」の強さであると考えることができる。(p.108)」ここでいうキャラの強度が現前性であるならば、現前性は二次創作をどれだけ喚起しているかで計れるのでは?

2011-05-05 02:17:39
シノハラユウキ @sakstyle

とすれば、まどマギの登場人物に現前性があるのかどうか、はほとんど明らかなのではないか。彼女たちの二次創作は豊富であり、また文脈を変えても、その同一性は維持されている

2011-05-05 02:20:13