文化醸成の方法と温故知新〜シンプルな人のシンプルな思考〜

文化醸成に必要だと思える事をまとめてみた。しかし他にも考えられるんとちゃいますか。
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
建国記念日&結婚記念日。ずっと仕事続きで、考えていたことを吐き出せなかった。今日はそれを吐き出そうと思う。
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テーマは「文化醸成にはどのような事が必要か。」だ。これがふと降りてきた理由は、やはり韓国のあの態度全般であり、考え方がどこから来たのかという疑問だ。ずっとその疑問をもっていて、アフリカが発展できない理由にももしかしたら同様の何かが絡んでいるような気がした。つまりだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
しかしその直感こそが問題解決を行うのには必要な気がする。それがいわゆるアイディアというやつかもしれないが、実は今回の吐く内容にはこのアイディアに関する解説も入っているように思える。
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まず考えたのが、シンプルな人間のシンプルな考え方だ。これはいわゆるモデル化して単純化して考えてみようという最初のアプローチともいえる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それはシンプルなその人間の機能が、今のアフリカや韓国にしたのではないか、この仮定をもってその人間の機能を考えてみたいと思う。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そもそも文化醸成をする人々とそうでない人々との違いは何かを考えてみる。 まず文化を定義してみる。文化とは何か。それは土地の特性を活かした技巧と言えるのではないでしょうか。その時代のその技巧に向き合う人間の特性が残っているともいえます。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
言い換えれば、その技巧を残してきたセンスが技巧自体に残るのです。 それではもっとセンスについて語ろう、時代に残った人間の特性とは何でしょうか。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
時代を語るにはやはり人間のシンプルな思考について考えます。その証左について知るには自分自身の思考そのものを見つめる必要でした。学ぶ時、食べる時、寝る時、色々な場面の私自身を見つめる、その場面場面の私に何が起こっていた(作用していた)かを観る。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
すると見つけたのが、作用でした。感情という作用と、機微に呼応する思考、その両輪が回っている。ここで我々が気付かなければならない事実は、その状態は決して能動態でも受動態でもないという事だ。そこにあったのは中動態という事実。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
中動態とは➡︎私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」 gendai.ismedia.jp/articles/-/513… #現代ビジネス 次の通りにある通り、色んな要因が機微に関わり、選ばされる、または成立する作用とも言えます。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
まさにその作用は感情が湧いて、それに呼応する思考の関係性そのものであり、それを私たちは「意志」と呼んでいます。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
人の「自由意志」は脳の1つの部位ではなく「ネットワーク」によって生み出されるという考え - GIGAZINE gigazine.net/news/20181129-…
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
すると意志と時代に残る人間の特性が繋がる事がわかります。つまりはすでにこの時点で感情と思考は両輪の様に駆動しているわけです。それには心の整理や整理に追いつかない人間の心理的葛藤があるのでしょうが、それでも駆動しているわけです。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
感情の作用には明らかに認知が必要です。例えば気付きという単語を語るには、認知と感情のセットが必要です。そして気付きに作用するように思考が機微動いていくのです。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
であるならば認知されたものに感情は作用するということは、物事全てに感情は作用するわけで、物事とは自分が経験した事や、勉学で学んできた知識や洞察されうる今見ているイメージや触った何か、聴いた何かに。さらに思い出、好き好んで読んだ漫画や作品全てに。これはつまり何を言えるか。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
今生きるあなた自身、これまでの感じてきた(感情)ことが思考としてきたことは、新たな認知を生み、また感情を生み、思考されるという事だ。自明だと思うだろうが、これをずっと行う事は非常に体力、エネルギーを使う事であり、こんな事を常態化すると、社会的に生きる上で大変です。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
なので脳の話をするが、その為に省エネモードが脳には存在する、つまりそれが記憶だ。例えば一番わかりやすい例は、私たちが目を通して見ているものは一回観た記憶で見ているということだ、見るんじゃあなく観る、という事でないと、本当に観る事は出来ない、家で鍵を無くして出かけられない、
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
何処だ、何処だと探している内に、さっき探していたところから、見つかるという経験はないだろうか、これは最初見ていたからで、決して観ていたわけではないのだ。観るという事は記憶に頼らないという事だ。なので失くした物を探す時は記憶に頼らず、まさに観る、洞察しなければならない。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
脳は省エネと称して、エネルギーを使わないように思考を停止させる働きがある。という事を考えれば、それは脳が疲れるだけではない。体も同様だ。体を酷使させれば、脳は生命維持するように脳の働き、認知、感情、思考という作用をシャットアウトしようとする。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
そしてその経験が齎すのは、思考を停止する方法を認知したという事だ、それがいわゆる「慣れ」というものになる。だがそれが悪いとは一概には言えない、この慣れが生むのは、作業するにもチカラを入れるべき箇所とそうではないところの判別をする思考の余地を与えてくれる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それを実践すればまた思考する余地が出来るわけだ。そうやって個人の技術の成長する余地は生まれるわけだ。ここでわかる事がある。それは個人の苦行なる経験や、認知、思考は個々別々にあるという事実だ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
さらにそれはこれまで生きてきた親から、土地からの風習や因習、判断基準にも晒されて出来上がる私がいるわけだ。まさに頭の中でもあった中動態が、その頭の外側でもあるわけだ。それは人間そのものが機能が中動態という状態と評する事ができるわけだ。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
それでは認知、感情、思考の過程から得られるものが何かを考えてみる。物事を捉え、感情が湧き、思考するというのは、その認知した何かに対して分析して例えばそこでパターン認識して思考できる論理性をもたらした事になる。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
赤ん坊はそれを無意識にやる。そしてもたらされた論理性により判断する。そこから基準を認知し、さらに構造化を図る。人間なので誰かと共有するための音を用いて言語化し、その論理性をも共有する。
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru
また認知、感情、思考の流れが気付きを生む。認知、感情、そして最期の思考の段階で気付きの前の方向性である疑問(アンテナを立てて)を持って 観れば、気付きが生まれる。
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コメント

shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru 2019年2月13日
まとめを更新しました。デコった
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