茂木健一郎さんの「『坊っちゃん』に登場する清(きよ)について」

脳科学者・茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの5月5日の連続ツイート。 時代遅れになっても情愛に生きる清に思うことを綴られています。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(1)このところ、時々『坊っちゃん』( http://bit.ly/lGy5U0 )の中の「清」(きよ)のことを思い出す。震災以来、人を批判する言葉よりも見守り育む言葉に注意が向くようになった。そんな中で、きよのことを書いた漱石の気持ちを、いろいろ考える。

2011-05-05 07:47:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(2)明治の日本は追いつけ追い越せだった。そんな中、漱石も洋行エリートとして英国で勉強に励む。「国家」を背負って、大英帝国の繁栄の秘密を探ろうとする。そんな中、漱石は、絶望的なまでに行き詰まる。「夏目狂す」とまで言われる。

2011-05-05 07:48:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(3)漱石は、なぜ、英文学が徹頭徹尾嫌いになってしまったのか。背後にあるアングロサクソン的な進化論、資本主義の思想。世界が今も駆り立てられている強迫観念。そのような文明の圧迫から、漱石は、「降りて」しまった。

2011-05-05 07:49:47
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(4)人々を「より良く、より高く」への競争と駆り立てるその現場から降りてしまった漱石に、見えてきたのが「きよ」のような存在。時代遅れである。世界情勢など見えていない。えこひいきといっていいほどの情愛がある。坊っちゃんが立身出世しなくても、そのままで受け止める。

2011-05-05 07:51:09
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(5)『坊っちゃん』の中で文明の趨勢に沿ってうまく立ち回っているのは赤シャツや野だいこである。しかし、漱石の情愛と共感は、明らかに時代遅れの「きよ」へと向けられている。そして、漱石がその限界を見抜いた進歩主義、文明の圧迫は、今もなお続いている。

2011-05-05 07:52:25
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(6)グローバリズム、インターネット、英語。今の日本人を圧迫している文明の趨勢に、ある程度応えるのは不可避である。一方、「降りて」しまった人にも豊かな人生はある。何もわからず、ただ情愛に生きる「きよ」のような存在に輝きはある。

2011-05-05 07:53:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(7)『坊っちゃん』( http://bit.ly/lGy5U0 )のラストで、きよと貧しいながらも一緒に暮らすことができた、その文章の持つ至福の感覚は、一体何なのだろう。ネットや英語、グローバリズムと騒ぐのも大切だが、一方では「きよ」の持つ温かい感触も忘れないでいたい。

2011-05-05 07:55:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(8)漱石は、一高や東大で教える忙しい日常の中で、2週間程度で一気に『坊っちゃん』を書き上げたと言われる。人生にさまざまな迷いがある中で、「きよ」の物語を書くことは、漱石自身にとっても癒しであり、救いなのだろう。

2011-05-05 07:56:39
茂木健一郎 @kenichiromogi

きよ(9)自分を棚に上げて他人に「あるべき」とする「批判」の言葉が届いていないと思うのは、物事の本質は悪意や怠慢よりもむしろ無能力(incompetence)と感じるから。誰の中にも「きよ」がいる。そのことをわかった上で、切磋琢磨し、「自分の」能力を高めたい。

2011-05-05 07:58:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する「清」(きよ)についての連続ツイートでした。『坊っちゃん』は、青空文庫でも読むことができます。 http://bit.ly/lGy5U0

2011-05-05 07:59:40