【昭和12年】 皇居から静岡県興津まで列車で日帰り出張してみた結果 【湯浅内大臣】
- hirataitaisho
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興津ってそんな交通の便よくないよね
西園寺が興津に住みだしたのは興津の風景を気に入ったのと、山縣有朋が小田原に住んで東京から距離を置いたのに倣ったっていうけれど、当時の時刻表見てたら小田原はまだ優等列車が止まるけど興津は止まらんから、東京から見るともうちょっと便のいいところに居てくれよ、って気がしないでもない。
2017-11-16 22:36:35@hirataitaisho 当時の建物は明治村に移築されたんだけど、興津にはかわりに復元した建物を建てて記念館にしていますね・・・。
2017-11-12 00:41:16@261_bei 歩きで20分弱、昔の道とは違うだろうけど、確かにちょっと歩きでは微妙に嫌な距離かな pic.twitter.com/7CJp7mFVef
2017-11-12 00:57:42@261_bei 横砂駅というのがどこにあったのかわからないけど現在の「横砂本町」ならば坐漁荘まではそんな変わらないみたいね pic.twitter.com/KmmvNTYcTF
2017-11-12 01:05:10@hirataitaisho 思ったけど横砂開業が確か昭和はじめくらいだから、西園寺邸通いをするなら東海道本線の普通列車に乗って興津で降りてタクシーでも拾うよりも急行列車で清水駅に行って静鉄線に乗り換えて横砂で降りた方が良いのではないか。
2017-11-12 01:19:44@261_bei ふむん。確かに近くはなった。 いや、昔の新聞見てたら湯浅内大臣とか大命降下のときに東京・興津を日帰りで行ったりしてるから、駅から遠いところに坐漁荘あったら面倒だったろうなと気になって。まぁ当然駅からは車なんだろうけど。 pic.twitter.com/KCNJoErAy5
2017-11-12 01:22:28@hirataitaisho というのは、西園寺邸通いが行われていた頃の一二等特急「燕」が東京から静岡までちょうど3時間かかった。現在の普通列車で東京から静岡までおよそ3時間(場合によって3時間を切ったり切らなかったりする)。普通列車で静岡の手前の興津まで行くのは大変だっただろう。
2017-11-12 01:24:48@261_bei 今ちょっと手元に宇垣内閣流産のときの新聞があってコレなんだけど、見た感じ静岡経由で興津行ってるみたいやね。 pic.twitter.com/1BR4dAmD06
2017-11-12 01:30:13@261_bei 二十九日午後一時半東京駅発興津へ向つた、夕刻興津着、直ちに坐漁荘に西園寺公に聖詞を伝達(中略)内府は午後六時静岡発、同九時東京駅着、ただちに宮中に参内(後略)
2017-11-12 01:35:47@hirataitaisho それで分かりました。東京駅13:30発の列車は二三等特急「櫻」に他なりません。静岡駅には4時20分に到着します。この人たちの身分からいってJR静岡駅から車で行ったんでしょうね。ちなみに特急さくらは下関行きで、下関から関門連絡線を介して九州管内の優等列車に接続します。
2017-11-12 01:41:26@261_bei 静岡駅から車で24分……昔の車やし道も悪かろうから、倍とはいわんが40分ぐらいかな? pic.twitter.com/myqpkq11yV
2017-11-12 01:48:09@hirataitaisho 何気にこのナビ七ツ新屋のところから静清バイパスにはいってんなこれ 国道一号線(旧道)沿いを通るのでこうなるはず pic.twitter.com/JxcpsqetwS
2017-11-12 01:54:27@261_bei ……4時20分に静岡駅ついて、5時に坐漁荘入ったとして、6時に静岡駅から列車乗ろうとしたら、坐漁荘に居られるの5分10分ぐらいじゃね…?
2017-11-12 01:50:57@hirataitaisho 静岡鉄道の新静岡駅(当時は鷹匠町)から路面電車横砂駅直通列車に乗ってももっとかかっちゃうだろうね。当時の電車の性能では。
2017-11-12 02:01:36