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リンク Wikipedia 6 users 16 西園寺公望 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月23日(1849年12月7日) - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒。 戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として..
リンク Wikipedia 1 坐漁荘 坐漁荘(ざぎょそう)は、元老であった公爵・西園寺公望が1920年(大正9年)に静岡県庵原郡興津町(現在の静岡県静岡市清水区)に建てた別邸。 西園寺は、1916年(大正5年)から興津の旅館、水口屋の勝間別荘で避寒するようになり、興津の地が気に入っていた。そのためこの地に別邸を建てることとなり、1919年9月に竣工した。建設費用は西園寺の実弟住友友純の住友家が全額負担し、同年..
興津ってそんな交通の便よくないよね
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
西園寺が興津に住みだしたのは興津の風景を気に入ったのと、山縣有朋が小田原に住んで東京から距離を置いたのに倣ったっていうけれど、当時の時刻表見てたら小田原はまだ優等列車が止まるけど興津は止まらんから、東京から見るともうちょっと便のいいところに居てくれよ、って気がしないでもない。
T.NOK @261_bei
興津の西園寺邸、清見寺のところにあるので興津駅からは結構歩く。歩くのが嫌なら清水駅か興津駅からバスに乗るしかない。
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei いまの坐漁荘ってもとの位置にあるのかしら?
T.NOK @261_bei
@hirataitaisho 当時の建物は明治村に移築されたんだけど、興津にはかわりに復元した建物を建てて記念館にしていますね・・・。
リンク Wikipedia 興津駅 興津駅(おきつえき)は、静岡県静岡市清水区興津中町にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。駅番号はCA13。 東西両京を結ぶ鉄道計画で東京~名古屋・岐阜間のルートが中山道経由から東海道経由に変更された際、東海道五十三次17番目の宿場町であった興津宿では、小躍りして喜んだという。そして鉄道のことをよく知ろうと、ジャーナリストや経済・法律の専門家を呼び寄..
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei 歩きで20分弱、昔の道とは違うだろうけど、確かにちょっと歩きでは微妙に嫌な距離かな pic.twitter.com/7CJp7mFVef
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リンク Wikipedia 静岡鉄道清水市内線 清水市内線(しみずしないせん)はかつて静岡県清水市(現 静岡市清水区)内の港橋と横砂を結んでいた静岡鉄道の路面電車。 もともとは静岡清水線の一部として、1928年に港橋 - 江尻新道(現在の新清水)間が開業。翌1929年江尻新道 - 横砂間が開業するが、路線は東海道本線の線路で分断され、踏切による連絡を余儀なくされていた。 1933年に東海道本線を跨ぐ跨線橋が完成して全通。か..
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei 横砂駅というのがどこにあったのかわからないけど現在の「横砂本町」ならば坐漁荘まではそんな変わらないみたいね pic.twitter.com/KmmvNTYcTF
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T.NOK @261_bei
@hirataitaisho 横砂駅はもうちょっと先、いまの静岡市立横砂保育園にありました。そこで図ったら分かりやすい。
T.NOK @261_bei
@hirataitaisho 思ったけど横砂開業が確か昭和はじめくらいだから、西園寺邸通いをするなら東海道本線の普通列車に乗って興津で降りてタクシーでも拾うよりも急行列車で清水駅に行って静鉄線に乗り換えて横砂で降りた方が良いのではないか。
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei ふむん。確かに近くはなった。 いや、昔の新聞見てたら湯浅内大臣とか大命降下のときに東京・興津を日帰りで行ったりしてるから、駅から遠いところに坐漁荘あったら面倒だったろうなと気になって。まぁ当然駅からは車なんだろうけど。 pic.twitter.com/KCNJoErAy5
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リンク Wikipedia 5 湯浅倉平 湯浅 倉平(ゆあさ くらへい、1874年(明治7年)2月1日 - 1940年(昭和15年)12月24日)は、日本の内務官僚・政治家。位階・勲等・爵位は正二位勲一等男爵。初名は石川倉之丞。 山口県豊浦郡宇賀村(現在の山口県下関市)に医師の子として生まれる。のち実父が福島県士族湯浅家の養子となったため、倉之丞も同家の戸籍に入って「湯浅倉平」と改称した。豊浦中学、旧制山口高等学校を経..
T.NOK @261_bei
@hirataitaisho というのは、西園寺邸通いが行われていた頃の一二等特急「燕」が東京から静岡までちょうど3時間かかった。現在の普通列車で東京から静岡までおよそ3時間(場合によって3時間を切ったり切らなかったりする)。普通列車で静岡の手前の興津まで行くのは大変だっただろう。
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei 今ちょっと手元に宇垣内閣流産のときの新聞があってコレなんだけど、見た感じ静岡経由で興津行ってるみたいやね。 pic.twitter.com/1BR4dAmD06
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T.NOK @261_bei
@hirataitaisho よく見えないな・・・。静岡駅とか書いてありますか?
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei 二十九日午後一時半東京駅発興津へ向つた、夕刻興津着、直ちに坐漁荘に西園寺公に聖詞を伝達(中略)内府は午後六時静岡発、同九時東京駅着、ただちに宮中に参内(後略)
T.NOK @261_bei
@hirataitaisho それで分かりました。東京駅13:30発の列車は二三等特急「櫻」に他なりません。静岡駅には4時20分に到着します。この人たちの身分からいってJR静岡駅から車で行ったんでしょうね。ちなみに特急さくらは下関行きで、下関から関門連絡線を介して九州管内の優等列車に接続します。
リンク Wikipedia 10 さくら (列車) さくら・櫻は、かつての鉄道省、日本国有鉄道(国鉄)およびそれを引き継いだJR各社で運行されていた(運行されている)特別急行列車である。 この列車愛称は歴史上、次の4列車で使用されている。 本項では、上記のうち1 - 3について解説するものとする。 「櫻」「さくら」の列車愛称は、鉄道省・国鉄・JRの歴史上においては、第二次世界大戦前の1923年7月に鉄道省が東京駅 - 下関駅間..
清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei 静岡駅から車で24分……昔の車やし道も悪かろうから、倍とはいわんが40分ぐらいかな? pic.twitter.com/myqpkq11yV
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T.NOK @261_bei
@hirataitaisho 何気にこのナビ七ツ新屋のところから静清バイパスにはいってんなこれ 国道一号線(旧道)沿いを通るのでこうなるはず pic.twitter.com/JxcpsqetwS
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清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho
@261_bei ……4時20分に静岡駅ついて、5時に坐漁荘入ったとして、6時に静岡駅から列車乗ろうとしたら、坐漁荘に居られるの5分10分ぐらいじゃね…?
T.NOK @261_bei
@hirataitaisho 静岡鉄道の新静岡駅(当時は鷹匠町)から路面電車横砂駅直通列車に乗ってももっとかかっちゃうだろうね。当時の電車の性能では。
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コメント

T.NOK @261_bei 2月20日
よく見ると国鉄時代のはずなのに「JR静岡駅」とか書いちゃってますね。反省。
はやたま@ヤマト新たなる旅路へ・・・ @hayatama1975 2月20日
この時期の道路用信号機の数気になりますねえ。横浜から宮城まで以外と信号引っかかる事なく走れそうですねえ。
はやし・しのぶ @Hirarinmac 2月20日
まぁ当時は車も少なかっただろうし深夜なんてそれこそ横浜だろうが東京だろうが人も出歩かなかっただろうし(震え声)。
K2 @K__R_K_ 2月20日
内大臣乗り鉄説には草生えるけど、こういう検証は興味深い。
あーばんふらいやー @JRChiba201 2月21日
東海道本線優等列車の時刻(と微妙に不便なところに住む西園寺公)のおかげで妙に忙しない内府が面白い。興津ってなんだかんだ言っても遠いもんな……。しかし林の時の東京駅9時着9時5分参内って、いくらあの距離かつ東京駅着→皇居入構の時間と考えてもこっちも相当速いような。
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