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マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか?

マンガにおける「ネーム」とは、ごくごく簡単に言えば「ラフな下書き」のこと。まずはコマ割り、構図、セリフなどを大まかに描き、編集者のチェックを経て、本書きに移るのが一般的なマンガ制作のプロセス。今では描くことが当たり前になっているが、ではいつからこのシステムは確立されたのだろう? 実作者のみなさんの証言を集めました。
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藤井ひろし・ごみ @fujiihirosigomi

まあでも絵コンテで持ち込みできるというのは働きながら漫画描いてる人間には時間の節約ができて有り難い面もある。編集者がげんなりするまで持ち込み繰り返して力押しで掲載にこぎつけられるぞ! twitter.com/fujiihirosigom…

2019-02-22 00:05:30
藤井ひろし・ごみ @fujiihirosigomi

80年代から出版社による漫画家の囲い込みが強くなってきて漫画家の立場が弱くなった気がする。この時代の新人は安保闘争世代でもなく従順だし。少女漫画家さんは元から立場が弱く(原稿料も少年誌より安い)従順だったから、力関係というのもあるかもしれない。 twitter.com/fujiihirosigom…

2019-02-21 23:59:06
藤井ひろし・ごみ @fujiihirosigomi

つのだ☆ひろのお兄さんの「君はその他くん」ではみんな完成原稿で持ち込みしてたよね。なじみの編集者相手でも。70年代半ばのつのだ☆ひろのお兄さんの感覚ではまだ絵コンテ持ち込みはなかった事になるのかな。

2019-02-22 00:13:14

新谷かおる先生、ゆうきまさみ先生の場合

リンク Wikipedia 新谷かおる 新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫(読み同じ)、1951年4月26日 - )は、日本の男性漫画家、同人活動家。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。 妻は『緋の稜線』などの作品で知られる漫画家の佐伯かよの。 代表作は『エリア88』など多数。 中学生から漫画を描いており、高校3年の時には篠原とおるのアシスタントを務めながら『少年キング』に投稿していた 。当初は飛行機の操縦士を目指していたが、色覚異常が確認され断念。高校卒業後は航空貨物関係の仕事を経て20歳で上京し、本格的に漫画の道を志す。 197 2 users 1
ゆうき まさみ @masyuuki

まんが家です。twitterでは自分で想像してた以上につぶやいてます。よろしくお願いします。

yuukimasami.com

ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya @atsuji_yamamoto 1979年に新谷かおる先生のところでアシスタントさせてもらいましたが、ネームを原稿用紙に描き写すという作業は普通に行われてました。僕自身はその前年に同人誌用にネームを作ってましたから、遅くとも70年代後半にはネームを作るのは常識になっていたと思います。

2019-02-21 18:53:44
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@masyuuki @atsuji_yamamoto そのネームで編集さんと打ち合わせとかはあったんでしょうか?

2019-02-21 23:20:14
ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya 言われてみると、どうなんでしょうね。ネームを作ってからの打ち合わせはなかった気がしますね。僕もネーム後の打ち合わせはよほどのことがないとやりませんし。

2019-02-21 23:32:47
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@masyuuki 新人、ベテラン、新連載、などでそのへんもネームの立ち位置はいろいろありそうですね。

2019-02-21 23:43:15
ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya 僕の場合はせいぜい電話で「○ページの△コマ目のセリフの表現は××した方がいいのでは?」「あ、そうっすね」といった会話をする程度です。

2019-02-21 23:49:52
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@masyuuki それも信頼があるからということなのかも知れませんね。

2019-02-21 23:53:17
ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya @h_yuzuki だいたい僕は、漫画の描き方なんてよく知らないでこの世界に入ってきたものですから、駆け出しの頃はどう描いたらいいか困ることはよくありまして。ですからその頃は、ネームの途中で、打ち合わせじゃなくて相談をよくさせてもらいました。「他の先生はここどうやってますか?」みたいな。

2019-02-22 00:11:59
ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya @h_yuzuki 担当さんがベテランだったので、色々な先人のやり方を教えてくれました。あと、その担当さんから「あなたいきなり原稿でも描けそうだからやってみたら」と言われて、2、3回ネームなしで原稿を描いたこともあります(^_^;)

2019-02-22 00:29:15
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@masyuuki @h_yuzuki 「あなたいきなり原稿でも描けそう」の判断がどこから来たのかすごく興味があります^_^。いやきっとそれはキャラが生き生きとテンポよく動いていたということなのでは。

2019-02-22 00:42:50
ゆうき まさみ @masyuuki

@009usaya 自分ではよく分からないんですけどf(^_^;)

2019-02-22 00:45:07

大友克洋先生の場合

リンク Wikipedia 大友克洋 大友 克洋(おおとも かつひろ、本名同じ、1954年4月14日 - )は、日本の漫画家、映画監督。宮城県登米郡迫町(現在の登米市迫町)出身。宮城県佐沼高等学校卒。血液型はA型。 1973年『漫画アクション』にてデビュー。代表作に『童夢』『AKIRA』など。ペンタッチに頼らない均一な線による緻密な描き込み、複雑なパースを持つ画面構成などそれまでの日本の漫画にはなかった作風で、80年代以降の漫画界に大きな影響を与えた。息子はイラストレーターのSHOHEI(大友昇平)。 1988年、自作を元に自ら制作したアニメ 4 users 4
鈴木淳也 SUZUKI Jun'ya @JunyaTheSphere

@009usaya かなり昔(50年代?)から、ネームに類するものを用いた打ち合わせというもの自体は存在していたそうですが、まずネームを編集者に見せてオーケー出たのち作画!というのが当たり前になった経緯が最近気になっています。大友さんも新人の頃からネームを編集者に見せたりしていないですし。

2019-02-21 17:29:02
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@JunyaTheSphere これは新人育成からどこかでシステムとして定着していったかと思うのですが、雑誌、出版社、編集部によって違いがあるでしょうね。大友さんがネーム見せてたら『FIRE BALL』も『童夢』もあんなにふうにはならないですよね(笑)

2019-02-21 18:10:47
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

大友さんの『傷だらけの天使』シリーズなんてネーム見せられてもアドバイスなんて出来そうにない(笑)

2019-02-21 18:13:43
鈴木淳也 SUZUKI Jun'ya @JunyaTheSphere

@009usaya 大友さんから全てを聞いた訳ではないですが、最初の4作は原作を用意されて、5作目はフリーにしたらフリーすぎて6作目はまた原作付き、でもその後はフリーに傷天などを描かせていたけれど、76年半ばからは増刊でお題付きを描かせるようになり、78年頃からまたフリーに。編集者の手綱捌きは感じますw

2019-02-21 20:32:58
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@JunyaTheSphere 4作目は『橋とそして…』なのでオリジナルでは?6作目は『上海かぜ』なるほど原作付きですね。そして76年は乱歩が来ますね。そうかこれは編集サイドの意向だったんですね。それにしてもそのへん確認してたら、大友さんの単行本は60本も描いてからなんですね。遅かったんだなぁ。

2019-02-21 23:09:18
鈴木淳也 SUZUKI Jun'ya @JunyaTheSphere

@009usaya 「橋とそして」は「アウルクリーク橋の出来事」の翻案ですね(2012年『芸術新潮』インタビュー)。恐らく「週刊アクション増刊チャレンジコミック特集」第6号のために描かれたものの、その増刊シリーズが打ち切りになったので本誌で掲載したのではないかと思われます。乱歩は、大友さんの希望かも。

2019-02-21 23:25:09
飯田耕一郎@うさ爺 @009usaya

@JunyaTheSphere なるほど!またトークで大友さんのそういう一作ずつの裏話を語っていくと面白そうだなぁ^_^

2019-02-21 23:31:41