自然災害と自然への畏敬、あるいは自然神
- ryojikaneko
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ダライ・ラマ法王が、五大の変化によって、世界にいろんな現象が起こるって言ったのは、人々が龍神なんかの自然神をちゃんと供養していないからだっていう神仏習合的見解を言外に含んでいますよ。→地神と四大の女神に対する供養文 http://t.co/W7rOo4x
2011-05-05 21:02:09拝読しました。チベットの民間宗教者の仰ることも分からなくもないですが、比較的自然信仰のある地域でなぜ起こったのか、という問いも必要ではないですか? QT @goyou:末木文美士先生 @bunmao のブログにコメントしてきたよ。 http://t.co/dYZMHAe
2011-05-05 22:04:50人類が太古から、このような甚大な自然災害を、自然への畏敬の念を養う機会としてとらえてきたのだという認識を宗教民俗学者が示すことは間違っていないと思う。
2011-05-06 00:32:30ちょっと忘れていましたね。正直、もう昔のようにはいかない、大丈夫だろうとも思いかけてましたが・・・。@goyou 人類が太古から、このような甚大な自然災害を、自然への畏敬の念を養う機会としてとらえてきたのだという認識を宗教民俗学者が示すことは間違っていないと思う。
2011-05-06 00:35:36私もそこが重要なポイントだと思います。勧善懲悪的な天罰思考は浅はかです。大事なのは畏敬であって恐怖ではない。そこにシフトするのに必要なのは時間ですかね。“@goyou: 自然災害に遭いやすい場所だからこそ、自然に対する信仰が根強く残ってきたのだとも言えるのかもしれません。”
2011-05-06 01:27:26@ryojikaneko そうですね。そこが天罰という言い方をしてしまう人々に賛同できない点です。決して恐怖感を煽ってはいけないです。そういう感情は、政治権力とか宗教組織とかからめとられて行きます。
2011-05-06 01:29:15正に恐怖は政治と宗教に絡め取られて行く。ただ言ってる人は必ずしも意図しているわけじゃなく、人々の恐怖心に感応している面もあると思います。だから、僕はそういう発言する人を非難するつもりもなくて、ただセンシティブなんだなと思います。そこが逆に質が悪いとも言えますが。@goyou
2011-05-06 01:40:48ちなみに、恐怖や怒りに感応している人に対して、さらに怒りをぶつけるというのは下策である。そうはいっても、やりきれなくて、誰かに当たりたいこともあるだろう。しかし、それはそういう風になっていると認識する必要があるのだ。
2011-05-06 01:45:18大規模な自然災害に直面することで生まれてくる人々の自然への畏敬の念というものは、ものすごく繊細に扱わなければならないものであり、とくに近代社会の中で政治権力や宗教的・学問的権威をもっている人が言及する時には、相当に注意を払わなくてはならない。ということなんだろうとおもいます。
2011-05-06 04:41:45