- arishima_takeo
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これ読み始めたけど、秋山清主観からの有島武郎推しから始まるオレのための一冊じゃないか…。 pic.twitter.com/C6WAqGfMZ6
2019-02-19 13:34:07「一九四〇年(昭和一五年)の夏休みに、鶴見は一時帰国し、柳宗悦を目黒区駒場の自宅に訪ねている。日本民芸館を数年前に開設し、筋向かいの家に彼ら一家は住んでいた」(黒川創『鶴見俊輔伝』)。へぇー。
2019-02-19 16:57:02黒川鶴見伝。『近代文学』と『思想の科学』の違い。前者は同人制を採り、自分たちが書く場を求めての媒体であったが、後者はこれよりも寄稿主義。外部に身を開き、エディターシップの自覚を強くもっていた。この観点は現在の批評同人誌を分析する上でも活かせそう。
2019-02-20 12:57:57黒川鶴見伝。チャールズ・W・モリスは鶴見俊輔を介して鈴木大拙に会っている。さらにモリスは柳田國男とも面会しているが、ここにも鶴見が介在していたのかもしれない。
2019-02-21 15:29:22「京都べ平連事務局長などをつとめた北沢恒彦は、私(黒川)の父親にあたる。つまり、先述した一九六一年六月一五日に生まれる北沢の長男・恒が、私自身の本名なのである」(黒川創『鶴見俊輔伝』)。マ・ジ・か。
2019-02-23 15:42:27「噂や疑心暗鬼に輪をかけるより、そういうものは「私のところで止めてしまう」。それが鶴見のやり方だった」(黒川創『鶴見俊輔伝』)。これは転向研究でも焦点化される、戦前左翼の地下運動で渦巻くスパイ疑惑の教訓からきているものなのかな?
2019-02-23 17:23:34テープ起こしをした原稿はね、少しずつ削っていこうとすると、なかなか所定の枚数まで減らせない。だから、まず最初に、ぜったい外せない発言だけを赤鉛筆で囲んでおくんです。そこを軸にして、あとは青鉛筆で、少しずつ増やしていくようにすると、所定の枚数に収めやすい。by鶴見俊輔
2019-02-23 17:26:17黒川創『鶴見俊輔伝』読了。幼いころから鶴見と親しんでいた者だから書ける評伝。面白かった。『思想の科学』が多くの伝手や縁でなんとかやってきたこともよく分かった。これでやっと「日本のプラグマティズム」の最終回を書くことができる(笑)。
2019-02-23 19:06:07