【備忘録】若狭遠敷のお水送り

毎年3月2日に行われている若狭遠敷のお水送りに関するツイートをまとめました。
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Juratic(ジュラチック)PR隊 @JuraticPR

今日は小浜市でお水送り!奈良の東大寺まで今日送ったお水が届くという伝説があるじゅらよ✨ pic.twitter.com/latYIswSgG

2019-03-02 20:00:04
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嶋津 蓮 @shimazu_ren

3月2日は「お水送り」の日です。 福井県小浜市で「若狭と奈良が地下でつながっている」という言い伝えによる神事が開催されます。 漫画でも描かせて頂きましたので、どうぞ♪ ふくい椿ファイル | 教育に新聞を 福井NIE新聞 nie.fukuishimbun.co.jp/tsubaki/index.… #福井 #お水送り pic.twitter.com/TIqj58DSCL

2019-03-02 20:12:56
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祈りの山旅 中澤 広隆 @inorinoyamatabi

お水送りの神事で福井まで来てます。 奈良、東大寺の「お水取り」の霊水は福井 若狭の鵜の瀬から送られています。 初めてのお水送り、楽しみです。 とその前に、琵琶湖の白鬚神社さまと若狭の天徳寺さま、瓜割の滝を訪れています。 pic.twitter.com/NXyfKzvNQc

2019-03-02 14:21:07
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祈りの山旅 中澤 広隆 @inorinoyamatabi

お水送りの神事までに若狭巡り 下根来八幡さま pic.twitter.com/cCEMD1dBCE

2019-03-02 17:06:53
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ダッ @5rimuchuuuuu

弟が出番のおかげで小6以来8年ぶりのお水送り卍 pic.twitter.com/mNW1V2AKyR

2019-03-03 02:30:43
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@202nire

3月2日 若狭神宮寺お水送り 達陀松明を持つ火天とお香水を持つ水天。 pic.twitter.com/z5S5UOLfsp

2019-03-04 23:33:50
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@202nire

若狭神宮寺のお水送り、本当は午前からやる山八神事から行きたかったけど(見れないけど)時間が合わなくて午後入りに。下見だけでも〜と思ったけど、やっぱり諦めて境内にいたらちょうど法華懺法の法要が始まって格子越しに座って聴講出来たのでよかった。 pic.twitter.com/htHR2rRKAE

2019-03-05 00:11:58
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小浜市公式ツイッター @obama_city

『炎が照らす一筋の水注ぐ お水送り』 3月2日(土)に、神宮寺(神宮寺)や鵜の瀬(下根来)で、若狭地方に春を告げる伝統行事「お水送り」が営まれました。 facebook.com/city.obama/pos… pic.twitter.com/eR7DUBOGmG

2019-03-06 08:48:31
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みょうこう @asahiji_myoko

元々は下根来八幡宮の送水神事であり、確かに神宮寺も昔から関与はしていたようではあるが、現在のような松明行列などはなかったはずで、鵜ノ瀬での送水も昔はどうだったのか。古来の姿を知りたいものである。

2019-03-02 22:53:13
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

「お水送り」が現行の盛大なイベントになった時期は、実ははっきりしていて、昭和36年(1961)。(あまりにも最近…(笑))「再興」ということになっているが、この時、小浜市が観光行事化の路線を打ち出して、現在の二千人規模の松明行列大パレードなどが行われるようになった。あの、あまりにも…

2019-03-06 20:03:17
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

…カッコいい白頭巾装束などが確定したのもこの頃だった筈。 とは云え、もちろんそれ以前から催行が続いていることは間違いなくて、明治41年(1908)の記録『お水取行法記』に、松明行列と送水式の記述はあるそうなので、長く遠敷地域で(のみ)守り伝えられてきた行事としてあったのだろう。

2019-03-06 20:03:18
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

では、どんな祭式が、いつごろまで遡れるのか、となると、これは皆目…。 「火」と「水」による清めの祭式は、原初的なものなので、極端な話、松明行列はいつの昔から存在しても全然不思議ではないのだが、やはり「奈良」への「送水」という特殊性は気にかかるところ。

2019-03-06 20:08:41
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

まるでまとまらない話なのだが、気にかかるポイントをいくつか取りとめもなく書いてみる… 元々、送水神事が行われていた下根来八幡宮は、奈良の手向山八幡宮(ご存知、東大寺二月堂お隣のあそこ)からの分祀ということになっているらしいが…すると「お水送り」ありき、で創建されたのか。それとも…

2019-03-06 20:37:57
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

…後付で、由緒の改変があったのか。いずれにしろ、なぜそれほど奈良に水を送りたかったのか、という心意が気にかかる。 いや、「神話レベル」ではその理由付けはなされているのだけれど、一地域の民間行事として守り伝えられるその心意はどんなものなのだろう、と思う。

2019-03-06 20:37:57
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

東大寺開山の良弁の高弟にして、二月堂を創建し修二会「お水取り」を始めた僧・実忠。 知ってました? インド人だったらしいですよ、実忠和尚。インドからの渡来僧だったとされています。十一面悔過の最中に須弥壇の下に消えてしまった、というその最期の光景とともに、「お水取り」までなにやら…

2019-03-06 20:59:36
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

…マジカルな呪法にさえ思えてきます。 (私の中ではもう、魔比達・呪比達(※)の同類にイメージされています(笑) ※柴田錬三郎版『真田十勇士』に登場する天竺波羅門の怪僧。) さて、その魔比達…ではなく、実忠は、それ以前、若狭神宮寺に居住していた、という云い伝えが残っているそうです。…

2019-03-06 20:59:36
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

…貝原益軒が「山上の神宮寺、これ古の僧実忠が住せし処なり」と云い伝えを書き留めたのはずっとずっと後世のことですが…これが史実にせよ、架空の伝説にせよ、インドからはるばる海を渡って、おそらくは大陸からの玄関口・小浜に着いた渡来僧が、若狭から都へ、というルートが想定されており。

2019-03-06 21:08:52
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

若狭、遠敷・下根来から奈良に向かったのは、渡来僧・実忠だけではありません。 …実は、その師、大僧都・良弁もまた―!! 良弁が赤子の時、鷲(とか猛禽類)に攫われてきた、という話は、歌舞伎や人形浄瑠璃の“良弁杉”でお馴染みのとおり。で、その赤子入りの籠はそもそもどこから攫われてきたのか…

2019-03-06 21:25:13
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

…となると、伝承は各地にある(幼子が攫われることは全国各地で頻繁にあったでしょうし)のですが、「お水送り」の下根来集落もその伝承地の一つ。ご当地H家の出身とされています。(若狭の昔話では、この小僧・後の良弁が鵜の瀬の水を求めたことを「お水送り」の起源とするものもあるようです。)

2019-03-06 21:25:13
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

で、これが「昔話」の域にとどまらず…良弁の実家たるH家のご当主は、現在まで「お水送り」の「井太夫」という役割を担われ、行列では御幣を持ち、鵜の瀬では祝詞をあげ大護摩に点火されているそうで…。 若狭、遠敷・下根来から奈良へと向かう心意の、何層にも重なった底知れぬ時間を思います…。

2019-03-06 21:34:42
奥原佳津夫 @KatsuoOkuhara

断片的な話ですが、先年、若狭歴博で得た若干の知識と、あとは、以前紹介したこともある下記の書籍などに負うております…ご興味ある方は、ぜひどうぞ ↓ 『若狭の聖水が奈良に湧く』 kamogawa.co.jp/kensaku/syosek… 『若狭の海幸山幸物語』 fubaisha.com/search.cgi?mod…

2019-03-06 21:40:51
天竺屋洒落幸兵衛 @jinja_origin

@KatsuoOkuhara 良弁は近江の出身だと思っていましたが、相模とか若狭とか、いろいろな説があるのですね。若狭には「お水送り」に関わる昔話があって、御実家まで残っているとは知りませんでした。

2019-03-06 22:36:21
伎波都久 @koshijigata

お水送り、大学の図書館にあった本(書名忘れた)では、カナート説が唱えられていた...

2019-03-06 22:55:12
伎波都久 @koshijigata

つまり、奈良の都にはシルクロードを伝って中近東ら辺からも人が来ていた。で、故郷にあるカナートが若狭から奈良まで通ってるとしてお水送りを始めたとかすごくザックリいうとそんなことが書いてあった気が。

2019-03-06 23:00:57