Masahiro Hottaさんの「震災直後の仙台で行われたこと」–––震災の夜の星空

震災直後,仙台でこんな努力が行われていました。そして東北の空に星が瞬いていました。
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仙台市天文台広報担当 @SAO1300

【震災特別番組 関連情報】仙台市天文台が制作したプラネタリウム番組「星よりも、遠くへ」につきまして、テレビにてご紹介いただけることとなりました。 3/8(金)19:30- NHK「東北ココから」(東北6県) 3/9(土)7時台 NHK「NHKニュース おはよう日本」(全国) sendai-astro.jp/news/2019/03/p…

2019-03-07 10:00:17
NHK仙台放送局 @nhk_sendai

今年も、「3月11日」が近づいてきました。 …みなさん、あの日どんな夜空を見ましたか? NHK仙台放送局では、番組が募集した震災の夜の星空体験記を展示しています。pid.nhk.or.jp/event/PPG03302… 展示は24日(日)までです。

2019-03-07 19:00:04

Masahiro Hotta @hottaqu

震災のような市民が無力感に潰される事態の中では、普段忙しかった人達でも、夜空を見上げる時間が長くなる。停電のせいで、数多の星が目に入る。無数の流れ星も。それで昼間は押し隠していた感情も一気に吹き出る。シリアやイエメンなどの紛争地域でも、今多くの人々は同じ数多の星を見ている。

2019-03-09 07:17:47
Masahiro Hotta @hottaqu

震災直後の4月、仙台市は学校人事異動を敢行した。被災沿岸部の小学校にも、先生が多数外部から赴任してきた。その校長はまず着任した全員を近くの津波被害地区に送り出した。帰ってきた先生の顔は変わっていた。校長は言った。これから先生方が受け持つ生徒達が見た光景です。よろしくお願いします。

2019-03-09 07:20:05
Masahiro Hotta @hottaqu

「流れ星は天国へ向かう魂なのだ。その多さに耐えられなくなり目を伏せてしまいました。」 「見たこともない美しい星空に、ためていた涙が一気にあふれだした。仙台はこんなに星が見える街だったんだ」   hazardlab.jp/know/topics/de…

2019-03-09 07:21:01
Masahiro Hotta @hottaqu

JRが復旧していないため、東日本大震災直後に津波被害が大きかった亘理方面へ行くには、地下鉄長町駅で臨時バスに乗り換える必要があった。地下鉄は早朝で空いている時間帯だったが、隣の車両には乗客が一人だけ見えた。その人は長椅子に一人座り、ただ天井の1点に顔を向けながら、静かに泣いていた。

2019-03-09 07:21:54
Masahiro Hotta @hottaqu

震災直後のある時、中央通りアーケード裏の小さな魚屋が開いてたのを見つけて物色していたら、寒むそうな薄めの黒コートを着た男性が魚のショーケース前で棒立ちし、声をかみ殺して泣いていた。石巻から歩いて仙台に逃げてきた人だった。魚関係のお仕事をしてたらしく、思い出してしまったのだそうだ。

2019-03-09 07:22:24
Masahiro Hotta @hottaqu

知り合いの自宅の手前まで津波が来た。沿岸から巻き込んできた何台もの車が玄関前に転がった。救助の手もなく、車中には運転手の御遺体が手つかずに何日もそのままだった。周囲には音が無い。鳥も含めて、全ての音源が消え去った。その静寂の中では不思議と怖いという想いは出なかったとも。

2019-03-09 07:22:56
Masahiro Hotta @hottaqu

いろいろなことがあった。被災地への棺はピストン輸送しても足らないと、トラック運転手の友人が疲れた顔で言っていた。墓も流され、火葬場もパンク状態で、野球場などの場所に仮りの土葬をされた、数えきれない御遺体。

2019-03-09 07:25:18
Masahiro Hotta @hottaqu

津波で家屋1階が流され柱だけとなって、2階に居た知人がいた。行政支援を待ってたが、それは無理だと見切り、悩みながらも自ら未来を切り開くため、家を捨てることにした。勇気のある人だ。最後に壊す前に、愛着のある家をボランティアに手伝ってもらってきれいに磨き上げ、丁寧に別れを告げていた。

2019-03-09 07:27:42
Masahiro Hotta @hottaqu

捨てる家なのに、なぜボランティアに泥かきを頼んだのか。またボランティアもそれを知っていて、なぜ引き受けたのか。それは人間の尊厳のためだった。泥にまみれてしまった、その愛着のある家をきれいに磨き上げる作業をすることで、自分達の心に踏ん切りをつけようとしていたのだった。

2019-03-09 07:28:43
Masahiro Hotta @hottaqu

被災地や紛争地などで、優先されるべきは人間の尊厳の回復。そのため外部から入った人間は、独断や押し付けは最も避けるべき事柄だ。まず現地の人々の声を聴くこと。次にあらゆる決定プロセスに現地の人々を参加させること。今後の激動の時代を生きる若い人達には、是非このことを覚えておいて欲しい。

2019-03-09 07:29:19
Masahiro Hotta @hottaqu

震災では人間捨てたものではないとも感じた。津波被災地の泥かきボランティアでは様々な方が集まって力を合わせた。日の丸背負った右翼青年と共産党のロゴが入ったベストを着た初老夫婦が一緒に、人々の日常を破壊した津波が残した泥をかくのだった。人の尊厳の回復と幸せのために泥を一緒にかいてた。

2019-03-09 07:29:50
Masahiro Hotta @hottaqu

原発事故の思い出。直後から放射能汚染の状況が分からず、仙台市内では多くのお母さん方がパニックになっていた。避難すべきなのか、留まるべきなのか。ネット上でも、多くの市民の皆さんの阿鼻叫喚に溢れていた。

2019-03-09 07:32:37
Masahiro Hotta @hottaqu

うちには原発とは関係ない基礎物理研究者が、偶然事故当初から研究室の機械を使って放射能のデータを測ってた。そのデータは皆に重要だろうと自発的にネットでも公開した。一方原発や放射線医学関係の専門家は、ほとんどダンマリ。主に理学部系の人間達がファーストペンギンとしてデータを供給してた。

2019-03-09 07:34:04
Masahiro Hotta @hottaqu

幸い仙台市内の放射能汚染の状況は軽度だった。ところが一般市民の中には誤解して、それを信じず、正確なデータを公開してあげた理学部の人間を、政府の回し者や工作員となじった。そして、大学に電凸して業務妨害をする人も現れたのだった。彼らは、もう敵と味方の区別がつかない状況だった。

2019-03-09 07:35:34
Masahiro Hotta @hottaqu

そこで理学部の人間は、正しい放射能の知識が一般人にはないことが原因であると悟り、正しい知識の提供が必要と考えた。まだ地震の混乱が続く市内を探し回り、やっと会場を見つけて、放射能の一般講演会を開催したのだった。そこには子供さんを持ち、心配の極限にあった親御さん達も集まった。

2019-03-09 07:37:12
Masahiro Hotta @hottaqu

講演は皆さん熱心に聴いてくれた。ただ聴衆の全員がそれで納得したわけではなかった。終了後には講師を取り囲み、様々なことを真剣に質問されていた。正直、殺気立った雰囲気だった。子供がいる親御さんは本当に心配だったに違いない。避難するべきか留まるべきか。それは各家庭で重大な決断だった。

2019-03-09 07:40:07
Masahiro Hotta @hottaqu

だが自分が驚き感激したのは、質問に取り囲んだお母さん方の中に、非常に理知的で科学を尊重する人達がいたこと。工作員かもと我々をまだ若干疑いつつも、彼らは道理のある科学の話をよく理解してくれたのだった。

2019-03-09 07:41:31
Masahiro Hotta @hottaqu

そのお一人がAさん。ご自身が甲状腺を手術で取られてた。ネットにデマが流れてたため、子供が甲状腺癌にならないかと深刻に案じてた。仙台から他県への転出を計画されていた。放射能問題で頭がいっぱいになってもおかしくないのに、Aさんは私がしてた津波被災地域の支援を手伝うと申し出てくれたのだ。

2019-03-09 07:44:10
Masahiro Hotta @hottaqu

Aさんはまだ心配で仙台に住みたくないと考えており、自分達と意見が異なっていた。が、津波被災者に対する支援では協力をしてくれるというのだ。感激した。

2019-03-09 07:44:45
Masahiro Hotta @hottaqu

南三陸町の海辺の崖の上にあるホテルには沢山の被災者の方がいたが、水道が止まったまま。皆が大変な苦労をしていたが、Aさんはある会社と交渉をして海水を真水にする機械をそのホテルに送ってくれたのだ。これは多くの被災者の方々を助けた。

2019-03-09 07:45:21
Masahiro Hotta @hottaqu

これはとても有難かった。Aさんは個の自立をした最強のビジネスウーマンだった。自分の最大の懸案である放射能問題を棚上げにして時間を作り、津波被災者を助けてくれたのだった。

2019-03-09 07:46:01
Masahiro Hotta @hottaqu

当時は原発がまだ安定化していない状況も考えられて、Aさんは大事をとって子供達を連れて他県に移られたが、Aさんは決してデマに騙されて動くタイプではない、強い人だった。私は今でも、そのAさんを尊敬している。

2019-03-09 07:46:57