誰も聴いてなかった内田裕也
内田裕也氏が亡くなったそうだが、音楽的功績がよくわからない、後の世代の音楽好きに聴かれてる様子も一切ないのに謎に「ロック界の大物」として通っていたので、むしろゲーノーカイの象徴だったと思う。
2019-03-18 03:52:06内田裕也氏って立ち位置的に和田アキ子氏と大差ないというか、和田アキ子の方がまだ歌手として後輩からのリスペクトも多少は受けてるよねという感じなんだけど、和田がヘイト集める割に内田は謎に許されてるの不思議だなと常々思ってた。奇人変人枠の実質芸人として面白がられてたということなのか。
2019-03-18 03:59:12音楽的功績が見当たらない内田裕也氏がロックンローラーの典型とみなされてきたことと、ロキノンの精神論批評には通底するものがあるかもしれない。ロックは音楽ジャンルではなく生き様なのだみたいな大変気持ち悪いアレ。
2019-03-18 04:10:14古代日本のヒップホップ界でも「ブラザーコーンに逆らうとやばい」みたいなのあったようだが、一リスナーからすると、ブラザーコーン?何でブラザーコーンが偉いの?バブルガムブラザーズなんか誰も聴かなくない?みたいな感じだったので、ゲーノーカイって本当にゲーノーカイなんだなあという感じ。
2019-03-18 04:27:17そもそも内田裕也って、そういった音楽功績をロックで成せる土壌を日本に形成した、あるいは日本の音楽業界に接続した点で評価されるべきで、彼のミュージシャンとしての功績はあまりないので端から見ると実像は掴みづらいのは確か。後進の世代をフックアップして行ったこと自体が彼の功績かと。<RT
2019-03-18 10:15:39内田裕也さんが「石巻は英語で言えばロックンロール、何かの縁を感じる」と、バナナ690本とミカン690個を被災地に届けた宮城県石巻市においでよ
2019-03-18 04:50:44高校生のころに同級生数人が六本木を歩いていたら道路の反対側に裕也さんが歩いていたので「裕也さ〜ん」と呼びかけたら裕也さんは間髪入れず手を高く振り上げて「お〜っ」と応えたのだそうだ。いつもその話を思い出す。
2019-03-18 05:35:34その後自分もバンドをやるようになって「ロックの世界」の人から裕也さんの話を聞くことが少しあった。けっしていい話ばかりではなかったがどの話も「だけど裕也さんだけはしょうがないよね」的に終わるのが印象的だった。
2019-03-18 05:38:53いまの人には信じられないだろうが東京でロックをやって食っていくということが「裕也さんが仕切っている小さなコミュニティに属すること」であった時代があるのラジよ。日本のロックがそこから「解放」されたのはそれこそ1990年代くらいではないか。
2019-03-18 05:57:15@marxindo それこそ小室哲哉だってデビューまでは内田裕也バンドのローディだかPAをやってて、サポートメンバーに抜擢されたと聞きました。
2019-03-18 12:49:22物心ついたころには既に「なんでか分からんけどとにかくエラそうにしているので,エラい人であるらしい」人の代表格だった,大橋巨泉と並んで(と書くと「大橋巨泉は本当にエラかった時期があったんですよ!」というコメントをいつも頂戴する).
2019-03-18 06:31:16内田裕也の謎のボス感に自分が生まれる前に凄い実績(≒たくさんのヒット曲)があったのかと信じていたが別に何もなかった。「ボス」という芸風だった。矢沢永吉や大橋巨泉やにしきのあきらも同じ芸風だが(各人程度の差はあるが)そこそこ実績を伴ってしまっている。その点内田裕也は本物の贋物だった twitter.com/marxindo/statu…
2019-03-18 06:39:11RT、謎のボス感、贋作、わかる。それでも、何度か映像で観たニューイヤーロックフェスティバルの内田裕也はかっこよかったし、歌うまかった。R.I.P.
2019-03-18 07:33:52ああそうだったのか謎のボス感。自分にはの映画恐縮です!のセリフしか覚えてなくてこれといったヒット曲もない元祖ヒモ亭主で晩年は何故か希林さんとのおしどり夫婦のイメージ。あと別居夫婦のお手本か。合掌
2019-03-18 07:25:27内田裕也は大物ではなく小物で、喧しいだけで内容がなく、政界に例えると小物界の大物の山本一太や平沢勝栄みたいな存在だったのか。ロック界の山本一太。死者に鞭打つ発言はよそう
2019-03-18 07:24:12