誰も聴いてなかった内田裕也
内田裕也というと破天荒な言動ばかりが有名ですが、ジュリアン・コープ『ジャップ・ロック・サンプラー』や巻末の近田春夫対談で評価されているように、フラワー・トラベリン・バンドのプロデュースをはじめ日本のロック黎明期に非常に大きな仕事をした重要人物でもあります。 closedeyevisuals.hatenablog.com/entry/2015/08/…
2019-03-18 03:52:12「内田裕也は単にエラそうにしてるからエラかったんじゃなくて,本当はエラい」のかもしれない根拠を探して検索しているが,これについて解説してくれそうなラジ先生もなんか歯切れが悪いので,やっぱり根拠ないのかなあ,と思いつつ,RTの記事を読む.
2019-03-18 07:00:57@tkshhysh ロックもまったくの素人ですが,羽生善治氏の言葉として出回ってる「…報われないかもしれないところで、同じ…継続…それこそが才能だと思っている。」ということの偉さなのでは?(調べるべきは内田氏の成果の解説ではなく,日本のロックの歴史の解説ではないか,という意味です)
2019-03-18 08:07:41@tkshhysh と思います.たしかに,見通しの無いところで頑としてやるというのは,新しいことが社会に定着するために重要な場合があると思うので,(そのとき見通し不能で後日社会に受け入れられた,という,条件下というところが難解ですが,)父(母)の称号(?)に値するかと
2019-03-18 08:34:59私もそう思ってYoutubeで確かめてみたことがあって→当時の 日本の中では それなりに なかなかいい 音楽やっていたなという感じを持った twitter.com/Kelangdbn/stat…
2019-03-18 07:56:47内田裕也の謎のボス感に自分が生まれる前に凄い実績(≒たくさんのヒット曲)があったのかと信じていたが別に何もなかった。「ボス」という芸風だった。矢沢永吉や大橋巨泉やにしきのあきらも同じ芸風だが(各人程度の差はあるが)そこそこ実績を伴ってしまっている。その点内田裕也は本物の贋物だった twitter.com/marxindo/statu…
2019-03-18 06:39:11内田裕也さんは確かに音楽的実績に欠ける人ではあるけれど、日本音楽界に寄与した業績は蔑ろに出来るものではない。 個人的に評価する彼の功績は沢田研二のザ・タイガースを見出した事、フラワートラベリング・バンドのプロデュースの2点、かな。 この項続く〜(以下悪口になるかもしれないが...) twitter.com/Kelangdbn/stat…
2019-03-18 13:46:34内田裕也、正直彼の音楽を一回も良いと思った事がない。でも彼の映画は面白かった。詳しく何をしてたか知らないけど、プロデューサータイプの人だったんだろか? twitter.com/kelangdbn/stat…
2019-03-18 10:38:33イベントのプロデュースがある意味本業でしたからね 「ロックイベントを企画して、箱に人を入れて、子分を食わせる」 彼が面倒を見ていた子分は、どちらかというと腕っ節伝説がある人が多かったから、その子分の存在も相まって、小さいけど確実な勢力はあったですよ twitter.com/kelangdbn/stat…
2019-03-18 14:11:30内田裕也凄いやんか。今聞くとコミックソングだけど。 ロール・オーバー・ベートーベン 1964 / Roll Over Beethoven youtu.be/U9p4LWq21SE
2019-03-18 08:02:52伝説の政見放送と言えばやっぱりこれ→内田裕也政見放送「完全版」: youtu.be/3BLp1IUEkik @youtubeさんから
2013-07-20 19:01:09内田裕也って人は結局、日本におけるロックの先駆者の1人ではあったものの、自身のヒット曲は無いまままだった。この有名な都知事政見放送で最初に歌うのもジョン・レノンでありエルヴィス・プレスリー。演説締めは自作曲だが、これも好事家以外にはあまり知られていないのが現実だったと思う。 twitter.com/allroundmagic/…
2019-03-18 06:58:52ミュージックマガジン誌に掲載されていた、大瀧詠一本人へのはっぴいえんど作品批判もなかなか酷かった記憶がある。現場にいたミッキー・カーチス氏に内田裕也が諌められていた場面すらあったぐらいで、その後の両者の商業的・音楽的成功の差を見ると色々考えてしまいますね。
2019-03-18 07:08:17また、一時期「日本でロック歌手としてデビューしたら内田裕也に挨拶しなければならない」とかいう体育会系みたいな話もかつて存在していて、ヒット曲も無いのに先輩風を吹かせる様は完全にダウンタウンのこれ状態だったことは否定出来ないかなと。 pic.twitter.com/gBDw6qFLNT
2019-03-18 07:11:52ただ音楽的な成果は多く残せなかったとしても、日本においてロックを定着させようと試行錯誤した先駆者の労には感謝せねばなるまい。音楽よりも自らのパーソナリティで世間に愛された人だったと思う。長い間、お疲れ様でした。
2019-03-18 07:15:51「日本語ロック論争」なんて遥か昔のことになりましたねぇ。ja.m.wikipedia.org/wiki/日本語ロック論争
2019-03-18 07:18:54音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争 「大滝君達が日本語でやるのなら成功してほしいと思う」 内田裕也氏が日本語のロックについて、1970年の夏に行われた座談会で語った言葉です。 tapthepop.net/extra/32212 pic.twitter.com/Tbses7goMT
2019-03-18 08:42:01ムーンライダーズ一派が生き残るためにスタジオミュージシャンを選んだのは、歌謡曲で飯を喰う利点がすごくあったからなのだろうか。 twitter.com/marxindo/statu…
2019-03-18 07:28:23いまの人には信じられないだろうが東京でロックをやって食っていくということが「裕也さんが仕切っている小さなコミュニティに属すること」であった時代があるのラジよ。日本のロックがそこから「解放」されたのはそれこそ1990年代くらいではないか。
2019-03-18 05:57:15確かにそうだよなあ。ニューイヤーロックフェス界隈とURCレコード系というか春一番コンサート界隈は今でも交わることはあまりないし。桑名正博さんも春一には出なかったし。桑名晴子さんは出たようだけど。 twitter.com/marxindo/statu…
2019-03-18 07:21:27洋楽ロックの市場は大きかったが、日本人ミュージシャンの生活を支えるほどジャパニーズロック市場は大きくなかった。芸能プロダクションに所属した歌謡ロックは、日本のロックファンには受け入れられなかった。そのJロック創世記から市場拡大のため様々な試みをしたのが裕也さんだった。 RIP twitter.com/marxindo/statu…
2019-03-18 07:36:03ロックファン=洋楽ファンに日本のロックを認めさせ市場を拡大しようとしたのが裕也さん。 しかし裕也さんの意図とは異なり、Jロック市場の拡大は洋楽ロックを聴かないJロックファン層の拡大による。その層が拡大したのが1990年代である。 twitter.com/yamaokashige/s…
2019-03-18 07:50:20@yamaokashige @marxindo ロックが、生き方ではなく職業として成り立つようになりましたよね。わかりやすい例だとB’zの台頭とかですかね。そして拡大した時期が1990年ってとこ、深いですよね。ちょうど昭和から平成に切り替わる激動の時です。今また平成から新年号に変わる瞬間を私たちは目撃しているんですよね。
2019-03-18 09:22:54