佐藤正美Tweet_20190301_15

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佐藤正美 @satou_masami

「教養」 は──この ことば は、今日、軽薄に使われているので、「ほんとうの教養」と言ったほうがいいのかもしれないのですが──、自分を ごまかさないで物事を正確に凝視する事を学ぶ事であって、それには存外に多大な年数を費やさなければならないのでしょうね。

2019-03-03 08:00:34
佐藤正美 @satou_masami

「教養の真のあらはれは、その人の『はにかみ』にある」(亀井勝一郎)。私は亀井勝一郎氏のこの意見に反対はしないけれども、そうある事は現実社会の中で とても難しいと感じています。

2019-03-03 08:01:13
佐藤正美 @satou_masami

「繊細な感受性」を持った人であっても、愛に──特に、恋愛に──「せっかち」である事は青年期には多々観られるのではないかしら。果たして、30歳以前の青年が(ニュアンスを鋭敏に感じ取っても、)ニュアンスを味わう精神的余裕を持っているかしら。

2019-03-03 08:01:58
佐藤正美 @satou_masami

若い人がニュアンスを味わう心を持っていたとしたら、すでに老成した爺むさい不自然さを我々は感じるのではないかしら。そして、ニュアンスに鋭敏な青年は、相手の仕草から相手の気持ちを見抜くのが巧みだけれど、自分に関係のない事には とても鈍感である事が往々にして起こる。

2019-03-03 08:02:31
佐藤正美 @satou_masami

文学をやろうと考えるほどの人たちは、たいがい、ニュアンスには鋭敏です。しかし、それだけでは繊弱な気質でしかないでしょうね。いっぽうで、社会に対する、己の人生に対する疑念(あるいは、苦悩)を宿していなければ、体(てい)のいい「優しい」人と見做(みな) されるだけでしょう。

2019-03-03 08:03:02
佐藤正美 @satou_masami

亀井勝一郎氏は、実際、28歳の時、彼の著作「人間教育」で自身の生きかたを烈しく凝視しています。本Twitterで引用した彼の文だけを読めば、亀井勝一郎氏の「柔和な」性質だけを読み取って、「人生論」を披露している様に思い違いされそうなので、一応、注書きして置きます。

2019-03-03 08:03:43
佐藤正美 @satou_masami

「人間は、語り難いところで親しくなるものである。愛情とはさういふものだ」、これを疑う人はいないでしょう。自分の心など得たいが知れないし、得たいの知れない自分の心に探りを入れて頭の中で描いた自分が本来の自分自身であると確信していても、他人はそう思っていない。

2019-03-03 08:04:53
佐藤正美 @satou_masami

嘘だと思うなら、恋愛の体験を振り返ってみればいい。恋愛ほど、生身の二人を「ありのままに」顕す事態はないのではないかしら。恋愛では、当人たちは逆上(のぼ)せている様に見えるけれど、これほど直接に間近に他人を観る事態はないでしょう。

2019-03-03 08:05:31
佐藤正美 @satou_masami

青年においては恋愛は「せっかち」であるけれど、これほどニュアンスに鋭敏になる事態もないでしょう。古来、「相聞」(と「辞世」)が語り続けられて来たのは、相手の生々しい人柄を(「語り難いところで」)しっかりと掴んでいるからでしょうね。しかし、その気持ちを語ろうとしても「語り難い」。

2019-03-03 08:06:03
佐藤正美 @satou_masami

「ニュアンス に鋭敏な心を養いなさい」と言われても、促成で養える訳ではないでしょうね。その人が過去の体験の中で自然と身につけた性質でしょう。日々の仕事や仕事の中での対人関係に疲れ、我々は、ついつい、がさつ になってしまいがちです。

2019-03-03 08:06:35
佐藤正美 @satou_masami

しかも、がさつ になっていく事を社会人としての必要悪(現実的な態度)だと思い込んでいるのではないか。だから、亀井勝一郎氏が言っている事は、頭でわかっても実感できる人たちは そう多くはないのではないかしら。

2019-03-03 08:07:08
佐藤正美 @satou_masami

そして、「教養」が(ニュアンスを鋭敏に感じる)「はにかみ」として現れるとしたら、いったい、どれほどの人たちが「教養」を身につけているのかしら。私も、勿論、心許(こころもと)ない。

2019-03-03 08:07:36
佐藤正美 @satou_masami

私は、仕事上 独りになって考える事が多いので、「一匹狼」の様に思われる事が多いのですが、師友は多いほうです。考え事は孤独の裡に積まなければならないのですが、考えた事の実践は社会的営為です。そして、類は友を呼ぶ。

2019-03-10 11:28:49
佐藤正美 @satou_masami

世間の人びとがいなくてもやっていけるだけの力が自分にはあると思っている人は慢気ぷんぷんの天狗になっているのでしょう。というのは、我々は他人との出会いを通して、他人から継承しているものが多いはずです。我々は社会の中で育っているのだから。

2019-03-10 11:29:22
佐藤正美 @satou_masami

テクノロジーを仕事にしている人たちは、先駆的技術を時代的制約の中で十分でなかったというふうに見下す傾向がある様です。自分が最先端に立っていると思い込んでいるのでしょうね。自分には祖先がある(相伝相続の関係にある)とは考えられないのかしら。自分も後世から観れば、古くなるのだから。

2019-03-10 11:29:51
佐藤正美 @satou_masami

我々は、先代に成された事を継承的に改良するか対蹠的に一新するのでしょう。そういう関係の中で、自分が果たす事のできなかった──探究の途上で終わった──夢を後世(あるいは、師友)に託すでしょう。

2019-03-10 11:30:33
佐藤正美 @satou_masami

私が生まれた時から今日に至るまで、色んな邂逅が(それが書物であれ、生身の人たちであれ)糸になって織り成した織物が今の私でしょうね。20歳以後、これらの邂逅に反応した出来事が私の人生の幹体を形作っているのは確かです。

2019-03-10 11:31:08
佐藤正美 @satou_masami

もしあの時に あの人に出会わなかったら、私の人生は どうなっていただろう──そういう人たちが私にも何人かいます (書物もふくめて)。

2019-03-10 11:32:06
佐藤正美 @satou_masami

私の人生に対して(書物を除いて、生身の人の事を言えば、)良い意味でも悪い意味でも、のっぴきならぬ影響を与えた人物の面影が、眼を閉じれば、当時の点景の中で(当時の姿のままで生々しく)現れます。

2019-03-10 11:32:40
佐藤正美 @satou_masami

当時は、その出会いが後々の人生に影響を与えるとは思ってもいなかったのですが、今になって思えば、私が歩んだ道に確実な影響を与えています。

2019-03-10 11:33:14
佐藤正美 @satou_masami

今の私は過去の堆積物ですが、どうにもならない過去は過去として思い出の中に生きているのみで、私は今後も(去世するまで)歩き続きなければならない。その道中で どういう出会いがあるかを私は期待しています。

2019-03-10 11:33:50