- JunNakagawaWork
- 657
- 1
- 0
- 0
私の歩む道を確定したのは、E.F.コッド氏(リレーショナル・データベースの生みの親)だった、と言っていいでしょう。勿論、当時はそう思っていなかった── 論説の 1つ(コッド 関係モデル)を学んだだけのつもりでいました。
2019-03-17 09:56:09当時の気持ちを正直に言えば、私はデータ設計に興味がなかった、私の当時の専門領域はDBA(Data Base Administrator)でした。寧ろ、データ設計を「口先だけの」仕事とみなして蔑視していました。
2019-03-17 09:57:22リレーショナル・データベースのデータ設計は、コッド関係モデルという数学理論(集合論とリレーショナル代数演算)に基づいています。数学が嫌いで文系を選んだ私は、コッド論文を読んでも、ちんぶんかんぶん でした。
2019-03-17 09:57:55数学をどうやって学習したかは、私のホームページのエッセーで綴っているので割愛します。コッド論文を読んでみて、私は、2つの論点を問題視しました──「並び」と nullです。
2019-03-17 09:58:24それらの論点をセミナー(ビル・トッテン氏といっしょに講師をした「トッテンズ・セミナー」)で述べました。リレーショナル・データベースが 当時 新しい話題になっていて、海の物とも山の物とも いまだ わからなかったのですが、セミナー・アンケート は おおむね好意的でした。
2019-03-17 09:58:53しかし、私に対する聴衆の反感は すさまじかった。セミナー・アンケートのなかには、次の様なコメントもありました──「若造が知ったかぶりして、世界的権威(E.F. コッド氏)に対して、言いたい放題を言っている」と。当時、私は30才代でした。
2019-03-17 09:59:24私は、E.F. コッド氏を尊敬しています。そうでなければ、データ設計を仕事にしなかった。ただ、彼の論の中で 2点が論点となると述べただけです──しかも、E.F. コッド氏も自らその 2点の論点を認めています。
2019-03-17 09:59:58整合的な理論に関して、部分的な反論(原論通りでも齟齬はないのだけれど、そのままだと実務的に使いにくいので考慮したほうがいいくらいの反論)を 即 全体的な否定として考える人がいる事を知って、私は愕然としました──30数年くらい前の話です。
2019-03-17 10:00:28ゲーデル氏との出会いも私の人生では忘れられない(TMを生む切っ掛けを与えてくれた人物です)。ゲーデル氏の他にも、ウィトゲンシュタイン氏、カルナップ氏、デイヴィドソン氏、本橋信義氏、田中一之氏との出会いも──書物を通してですが──、TMの制作に影響を与えました。
2019-03-17 10:01:06私の壮年期(40才代、50才代)は、TMを作る事に費やされました。TMは私が成熟していった場所でした。TMという ささやかな論にも、数多くの人物との出会いが絡んでいます。
2019-03-17 10:01:33頭が良くて社会と反りがあわない人々は、絶望を粧う事に巧みです──自分が絶望に酔って、他人が阿房に見えるのでしょうね。そういう人々から、私は、かつて、次の様に皮肉を言われた事があります──「オマエには、何の悩みもないだろう」と。
2019-03-27 18:25:38自分がみじめな状態にあると思っているのなら、そのみじめな状態をとことん凝視すればいい。失望の中にあってそれを凝視する事に腰がひけているヤツは絶望を気取る。しかし、我々は、それを目敏(めざと)く見抜く。
2019-03-27 18:26:45見せ掛けだけの絶望なら慢心と気取りさえあれば充分だけれど、ほんとうの絶望は実に多くの才(人生を今まで送ってきた才の通計であって、一時的な落ち込みではない)を必要とするはずです。
2019-03-27 18:28:04いかなる生活にも心労は存するでしょう──かつての夢が破れたら、新たな夢を見ればいいではないか。希望を抱いて出掛けても、雨に濡れながら帰る事もありますが、望み通りにならなかった過去は過去として、自分のために、それを変えていこうという意志こそ甦生の ちから でしょう。
2019-03-27 18:28:38