ア・デッカーガン・イズ・マイ・パスポート #6
ヒートリー、コマーキタネー。ミスージノ、イトニー。壁一面の液晶パネルにスローモーションで踊るオイランが映し出される。蛍光色のドット・ライトに、ザゼン状態の老人のシルエットが滲む。アゾットは壁に背をつけ、腕組みして、老人のザゼンを見ていた。やがて声をかけた。「食わんのか」 0
2019-03-30 15:09:16「……」老人は返事をしない。アゾットは己のIRCモヒカン・ヘアーを撫でた。彼は色褪せたミリタリー・コートを着ており、首元にはサイバネティクスがのぞいていた。右腕につけた赤い腕章には「アナーキーイ」とカタカナが書かれていた。そして彼はメンポを装着していた。彼はニンジャである。 0
2019-03-30 15:11:13アゾットは壁から背中を離した。しゃがみ込み、老人の膝元の重箱の蓋を開けた。ウナギである。「いいウナギだ。俺が食わせてやろうか。ノボセ=サン」アゾットが言った。老人は片目を開いた。 0
2019-03-30 15:13:56ノボセの片目は眼帯で覆われている。そして両手の指は三本欠けている。今できた傷ではない。過酷なるネオサイタマのデッカー時代に経て来た勲章めいた傷痕の数々であった。ノボセはアゾットを凝視した。相手がニンジャであろうと、微塵も恐れていないのだった。「嘆かわしい事だ」 1
2019-03-30 15:18:53「そう来たか」アゾットは苦笑した。「だがよ、そうやって相手を思いやるのはアンタじゃない、俺の役目だって事をわかったほうがいいな」ニンジャの右手が閃くと、瞬時に抜かれたデッカーガンが、ノボセのこめかみに突きつけられていた。黒塗りのカスタムデッカーガン。ここにも「アナーキーイ」。 2
2019-03-30 15:22:24「度し難いな。アゾット=サン」「今の名で呼んでくれるのは嬉しいぜ、長官」アゾットは銃をスピンさせてホルスターに戻した。ノボセの仏頂面に大画面オイランの蛍光ライトが反射した。「まるでイッキ・ウチコワシのような文言で己を飾り。破門者を気取って、テロリストに堕ちた」 3
2019-03-30 15:27:30「イッキとはまた懐かしい名前を。爺はこれだからよ」アゾットは遠い目をして笑った。「月が丸かった時代だ。楽しくもあったな。ナメたガキどもを棒で叩いて、めいっぱい憂さ晴らししてやったもんだぜ。俺らはストレスで一杯だった。アンタもそうか?そうだよな」「……」 4
2019-03-30 15:31:08「アナーキーは俺の矜持だ。ガキの遊びと一緒にするのは聞き捨てならねえ。俺は俺自身の力を信じてる。力があれば遠慮も善意も要らねえ。こうやって、昔の上司に説教する事もできる」「まるでガキの反抗だ、アゾット=サン」「違うね。キモンは新時代にそぐわない。俺はそういう話をしている」5
2019-03-30 15:36:31「そんな話を聞かせるために、ワシをさらったのか」「まあそう焦るな……。俺はどちらかと言えばアンタの事を気遣ってる。仲間は俺のように優しくないぜ」アゾットはフスマを横目で見た。「早くヤッちまおうぜってうるさくてよ。そりゃそうだ。ブッ殺して生首を投げ込んでやれば、すぐに戦争だ」 6
2019-03-30 15:39:55「お前はワシを過大評価しとるな」ノボセはバカにしたように笑った。「ワシなど所詮は老いぼれよ。ワシがおらずともキモンは成り立つ。己の正義を信じ、市民の盾となり続ける。キモンは猪突猛進の乱暴者の集まりだ。だが、信念なくば獣に成り下がる事は胸に刻んでおる」「それがくだらねえんだ」 7
2019-03-30 15:47:45アゾットは顔をしかめた。「アンタらキモンはな、牙を捨ててんだよ。獣になっちまえばいいのに、なれねえ連中だ。犬どもだよ。雑魚どもに構ってなんになる?俺は我慢がならねえな」「お前の考えはよくわかった」「……デッカーは、力だ」アゾットは顔を近づけた。「力が正義。俺は力を行使する」 8
2019-03-30 15:53:17「ゼン・モンドーがしたいか。アゾット=サン」ノボセが言った。「この時代、己が信ずるものを貫くには確かに力が必要だ。だがお前は必要と目的を違えておるな」「そりゃドーモ。その方がシンプルだからな」「お前の力とは、暗黒メガコーポに擦り寄る事を言うのか?」ノボセが鋭く指摘した。 9
2019-03-30 15:56:42「兵器の横流し屋に高説を垂れられるとは思わなんだぞ、アゾット=サン」「ハッ!」アゾットは笑い飛ばした。「勘のいい爺さんだな。だがな、ありゃビジネスだよ……俺は奴らの懐で肉を喰らい、踊りあがる昇り龍だ」オイランの赤い唇がモニタに大写しになる。「奴らも、俺も、キモンが邪魔だ」 10
2019-03-30 16:03:14ノボセは箸を割り、ウナギを食べ始めた。「そうだ。食っとけよ。アンタにはそれなりに恩がある。俺らデッカーにとって、アンタはオヤジそのものだ。死なれちゃ寝覚めが悪いぜ。そんでな、この建物の中で、そう考えてる優しい奴は俺一人だけだって事をおぼえとけよ」 11
2019-03-30 16:07:07「お前は深い混乱に自らを置いておる」ノボセはデッカーらしく、驚くべき速度でウナギを食べ終わり、箸と空の重箱を置いた。「真に為すべき事を今一度考えるがいい」「……」アゾットはせせら笑うが、不機嫌だった。「アンタは俺を知らない。俺の野望を知らない。サツガイを知らない」「サツガイ?」12
2019-03-30 16:12:33「こっちの話だ。ニンジャでもない非力な人間のアンタには次元が違い過ぎる話だ」アゾットはフスマに手をかけ、ノボセを見た。「デッドエンドの部隊がソウカイ・ディストリクトに入り込んで、チバ邸の前で睨みあってるッてよ」ノボセは厳しい目でアゾットを見た。その内心は推し量れぬ。 13
2019-03-30 16:15:56「本部はタフガイの奴が守ってるか?それとも、あのガキ……スポイラーか?俺が知ってるアイツはド新人でよ、まさかこんなに長く生きてるとは到底思わなかったもんだぜ……!」アゾットは己に向かって話すように呟いた。「奴らにはわからねえ。デッカーってのはな、力だよ、ノボセ=サン」 14
2019-03-30 16:19:00……「GRRRRRR!GRRRRRR!」監禁室を出て階を降り、邪悪なオフィスのノレンをくぐったアゾットを出迎えたのは、サメムラの咆哮だった。「GRRRRRRR!GRRRRRR!」サメムラは重サイバネのバウンティハンターで、同時に凶悪犯罪者……賞金首でもある。その両腕は狂暴なメタル・サメに置換されている。 15
2019-03-30 16:24:06「シャーッ!シャーッ!」サメムラがスシ屋業務用イケスに腕を突き込むと、水の中を不安げに泳いでいたバイオピラルクーが狂おしく暴れた。しかしサメは逃がさない。尖り切った三重の歯列が巨大魚をとらえ、引き裂き、咀嚼する。「ハーハハハハハ!」サメムラは水飛沫の中で哄笑する! 16
2019-03-30 16:27:32「おう、アゾット=サン、爺の調子はどうだ!」サメムラは口のかわりに埋め込まれた円形スピーカーから合成音声を発し、黒目の無い目でアゾットを見た。サメムラは両腕のサメから栄養を取るので、口が要らないのだ。「生きている」アゾットは答えた。「死体になったら処理も面倒だ」 17
2019-03-30 16:31:28「俺もシワシワの爺を食用にする趣味はねェ……」サメムラはくぐもった音声を発した。「だがな、いい加減俺には、そろそろ心の栄養が必要だぜ……こんな魚どもは、しょせんは身体の栄養だ。人間を殺して食わねえと……!」「サメムラ=サン、カワイソ」部屋の隅、鏡台UNIXに囲まれた女はト・キコ。 18
2019-03-30 16:37:35鏡台モニタには彼女のUNIX図像が表示されている。サイバーサングラスに艶めかしい唇。ハッカー達はハッキング時に己のネットワーク上の姿を偽る事がチャメシ・インシデントであるが、こと彼女はギャップのない姿だった。だがもし彼女が街頭監視モニタに映れば、その姿は常にランダムだ。 19
2019-03-30 16:43:45「キモンはしびれを切らしたか?」「ウーン」天井に並んでいるモニタのひとつが下へ降りてきて、アゾットの顔の高さで点灯する。ソウカイ・ディストリクトの街頭監視カメラだ。「あと2秒」と右下に表示されているのは、カウンターハッキングをかわせる猶予時間である。チバ邸前には依然、盾の列。 20
2019-03-30 16:47:40