【西楚覇王】項羽の『戦が強いだけの、脳筋バカ』というイメージは作られたものだった! Wikipedia記事を通じて、項羽のマイナスイメージの真相に迫る!【四面楚歌】

漢文や中国史、有名声優によるゲームキャラクターなどで有名な項羽(項籍)という歴史人物がいます。紀元前3世紀に活躍し、秦の始皇帝が立てた秦王朝を滅ぼした、世界史の教科書でもあげられている人物と思われます。 しかし、この項羽の人物像は長年、誤解させ、『戦争が強いだけの、ただの残酷な乱暴者』というイメージがネットのみならず、世間でも流布しています。 これは、相当に公正な歴史書とはいえ、元々から項羽にとって不利な記述が多い『史記』にある悪いイメージが、拡大解釈や敗者である項羽を悪者とする創作作品の影響によって拡大されたものです。 そのため、多くの人の目に触れ、自由に編集できるwikipediaですら、きちんとした出典もなく、その先行したイメージによる記述がなされ、長年、改変もされないままでいました。 続きを読む
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hanesui @hanesui

@sweets_street @my_birthday0128 年齢を重ねてくると楚漢史についてもまた違った見え方になってきます。項羽の評価はあまりにも紋切り型すぎるかなとは思い始めてます。 最終的には敗者である以上、敗因分析はいかようにもなってしまいます。劉邦が負けていれば、同じように彼の人間性が敗因として上がったでしょうね。

2018-10-06 13:42:13
hanesui @hanesui

@mamesiba195 楚・漢時代を俯瞰的にみると、ほぼ下克上と割拠の嵐であり、漢統一後も反乱はあらしの如く起こっていました。政争は「生き残るか」「滅ぼされるか」であり、あの時点では勝敗を読むのは難しい面もあります。後世からみると「愚かしく」見える部分もありますが、それは結果論かなとも思います。

2018-12-05 14:47:54
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

@hanesui >後世からみると「愚かしく」見える部分もありますが、 >それは結果論かなとも思います。 私もそう思います。秦兵を殺さねば反乱で項羽たちが殺されたかもしれません。咸陽を焼かねば、兵たちの不満が爆発したかもしれません。関中を統治したら、楚で義帝が項羽討伐軍を編成したかもしれません。

2018-12-05 22:42:38
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

@kikennakitarou いいですよね! 厨二! 項羽は調べるほど、 項羽は武勇だけだよね→戦術もすごくね→身内や部下にも優しいよね→意外と人の言葉に耳を傾けているよね→非難されることもちゃんと理由があるよね→戦略も悪くないんじゃ と、史書や学説のお墨付きを得つつ、段々と評価があがることも魅力です。

2019-02-10 20:57:05
危険な鬼太郎 @kikennakitarou

@mamesiba195 項羽がした歴史的に悪い事は咸陽を燃やしたことぐらいですからねw 中々資料が無くなるのは歴史好きからは悲しいものですw 歴史が曖昧になったことで妄想がはかどりますw 焚書坑儒とか許せねぇw

2019-02-10 21:02:21
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

@kikennakitarou それすらも始皇帝陵が破壊されていないことと、劉邦が范増たちを讒言するために四万斤もの金を持っていたことから、差し引くことができますねw 秦兵を殺した件は、官渡で曹操も同じことをやっていますし、劉邦が秦王・子嬰を立てて抗戦されたら裏切られて終わる可能性は十分にあります。

2019-02-10 21:07:59
サイヒ @saihinoti

>RT 某楚漢動画とか見てるとこれ顕著よね 項羽=残虐なアホという固定観念によるコメントの多いこと多いこと

2019-03-14 09:24:17
サイヒ @saihinoti

俺は一度でいいから史記に記されたとおりの、礼儀正しく婦人のように物柔らかな言葉遣いをし、清廉な士がその下に集ったという項羽を創作で見てみたい

2019-03-14 09:25:13
Tamejirou @Tamejirou

義帝には義帝なりの考えがあり、それ故に項羽は老齢の義帝を弑さねばならなかったのだろう。義帝は恐らく楚の安寧であるとか、楚を中心とした新秩序みたいなものは信じていなかっただろう。

2018-12-04 20:46:30
うどん@ @udon0401

大奥ガシャでかわいいラーマちゃんを確保したぞ! pic.twitter.com/FSdHOwj0u6

2019-03-31 00:52:03
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1 wikipedia項籍(項羽)項目の改変について

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

項籍(項羽)のwikipedia項目を2018年3月に改変しています。全体的に大幅な内容の改変を行っております。#項羽#項籍#楚漢

2019-04-06 13:26:49
リンク Wikipedia 項籍 項 籍(こう せき、Xiàng Jí、紀元前232年 - 紀元前202年)は、秦末期の楚の武将。秦に対する造反軍の中核となり秦を滅ぼし、一時“西楚の覇王”(在位紀元前206年 - 紀元前202年)と号した。その後、天下を劉邦と争い(楚漢戦争)、当初は圧倒的に優勢であったが、次第に劣勢となって敗死した。 姓は項、名は籍、字が羽である。以下、一般に知られている項羽(こうう)の名で記す。。 項羽は、楚の将軍であった項燕の孫。項氏は代々楚の将軍を務めた家柄であった。『史記』では本籍を下相としている。叔父の項梁に養 2 users 7
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

項羽のwikipedia項目に関する改変の理由については、以前行った改変も含めて、「ノート:項籍」の記事、「7 評価について」、「8 生涯について」をご覧ください。

2019-04-06 13:27:20
リンク Wikipedia ノート:項籍 垓下の戦いの劉邦側の兵士数は、ひょっとして韓信の項目からのパクリですか?故意なのか、偶然なのか、「60万とも100万とも言われる」と書かれていますけど…。時期的には、韓信の項目の方が早くに書かれているのですが…。 初版を書いた者ですが、書かれてあるページを参考にした事はありません。そちらのページがWIKIから文章を持って行ったと思われます。ちなみに「60万とも100万とも言われる」というのは韓信から持ってきました。らりた 14:28 2004年3月15日 (UTC) 『史記』の記述と離れている点が少々あり

2 現代における項羽の評価とイメージ

まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

現在における項羽の評価については、創作作品における悪役、もしくは個性を際立たせるための分かりやすい設定としての悪行や愚行が強調され、それがあたかも史実であるかのように流布しています。 pic.twitter.com/PIi3wHKeh8

2019-04-06 17:32:36
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まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

このことはネット上の匿名掲示板などで特に顕著ですが、ネットで調べる限り、かなり歴史に詳しいと思える人の書き込みすら、その傾向が強いものが多いというのが、私の実感です。

2019-04-06 13:28:32
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

実際、項羽に対する歴史概説書や歴史記事すらも項羽の分かりやすい紹介のために、襄城や新安、斉で行った兵士の生埋め、咸陽や斉における略奪をまるで常態的に項羽が行ったかのように伝えることが多いと感じます。

2019-04-06 13:29:03
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

確かに項羽に関するそういった事跡が史書に残っているのは間違いないですが、常態的なものとすると意味が大きく違います。

2019-04-06 13:30:17
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

史記ですら、斉との戦い以外は、伝聞という形でしか、項羽が継続的に略奪や虐殺を行ったであろうことを伝えていません。項羽と敵対した韓信や懐王の老将の発言である「残滅せざるは無かりき」のみから、項羽が常態的に抵抗する住民を皆殺しにしたと決めるのは余りにも乱暴です。

2019-04-06 13:30:51
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

他の虐殺の証拠といえば、司馬遷の『史記』黥布列伝における評論でしょうか。「項氏に生き埋めにされて殺された人は、数千数万人にのぼる。黥布はいつもその虐殺の先頭に立っていた」としています。

2019-04-06 13:31:46
まめ@史記人物大好きクリエイター @mamesiba195

しかし、これも、黥布が項羽の配下がいる時期のみ、それも史書に記された襄城や新安のみをさしている可能性も否定はできません。

2019-04-06 13:32:02
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