- toshi3636_1
- 1439
- 12
- 0
- 0
よく、「忙しいですか?」と質問される。その度に、どう答えたらいいのかわからなくなる。世間の人の「忙しさ」のイメージと、私の持っている「忙しさ」のイメージの間に乖離があるからである。「お時間はありますか?」とも聞かれる。この質問にも困る。
2019-04-07 05:45:15「忙しい」というのは、なにか人にあったり、具体的な課題があったり、締切があったり、そういうことが続いていくというイメージでいるのだと思う。そのようなものを外部的忙しさだとすると、「忙しさ」にはもうひとつの次元がある。
2019-04-07 05:46:06人に会ったり、なにかイベントがあったり、課題があったり、そのような外部的な要因が全部なくなると「暇」になるのかというとそうではなくて、常に手元に取り組みたい仕事がスタックしている。そのような仕事を、外部的な要因がなくなった瞬間に始める。つまり、「暇」はない。
2019-04-07 05:47:05手元にスタックしている、内部的な課題(それは多くは長い時間がかかるものだし、一生かかっても終わらないものかもしれないが)は、外部的な要因がなくなった瞬間に始めるものだから、基本的に「空き時間」はない。外部的な要因がなくなることが、「忙しくなくなる」ということではない。
2019-04-07 05:48:19以上のような「忙しさ」の構造は、私だけでなく、多くの人に共通のことではないかと推定する。だとすると、他人に、「忙しいですか?」と聞く人の質問の意図がわからない。「忙しさ」の構造モデルが違うのか、あるいはものごとをクリアに見ていないか、どちらかなのだろう。
2019-04-07 05:49:22結論として、外部的な要因が全部なくなって、世間から見れば「暇」に見えるような状況になっても、実は「暇」でもなんでもなくて、手元には無限に続く(かと思われる)作業や仕事がある。そういう人生は楽しいし、子どもたちにも、人生の「暇」や「忙しい」はそういうものだと教えてあげたい。
2019-04-07 05:51:07