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コミンテルンがやったとされる張作霖暗殺の話など 下手人河本大作大佐の証言 「関東軍の村岡長太郎司令官は,奉天で局部的にでも衝突が発生したら強引に介入するハラだったが,満鉄沿線に二十万人の日本人居留民をかかえていては第二の済南事件が起きかねないし,そんな事件が発生したら千キロに及ぶ
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満鉄も守らねばならず,面倒なことになる.そこで,衝突の発生を防止するために,張作霖を暗殺し,張軍の指揮系統を撹乱することにしたのだった.關東軍司令部は竹下義晴中佐を派遣し,北京公使館付武官の建川美次少将と駐天津軍司令官の鈴木一馬少将に張作霖暗殺を依頼した.事前にあいさつに来た竹下
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とこの件を話し,私は反対だと伝えた.北京公使館の武官にも天津駐留軍にもこの任務を遂行する力はなく,張が関外に戻ってくる正確な時間もつかんでいなかった.司令官が本気なら,私など参謀がやるべきだと思ったのだ」
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関東軍参謀の川越守二は済南事変後に東三省に戻る張作霖軍を調査した. 「四月の末までに,張作霖の軍隊は,奉天に半数ぐらい帰ってきた,という諸情報により,張作霖も近く北京を去るものと判断していた」
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河本大作大佐証言 1928年5月,「私を中心に役山中佐,尾崎少佐,菅野少佐,川越大尉らと一緒に問題解決の方法を検討した.結局,列車を転覆するという手段しかなく,具体的な場所は奉天の西三十キロの巨流河付近がよいということになり,工兵中隊長一人を現場にやって調査させた.中隊長の報告では,
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国軍[張軍]による一帯の警備は厳重をきわめ,しかも張がいつここを通るかもつかめなかったということだった.これではこの場所で任務を果たすは難しい.再度検討し,皇姑屯の東一キロの地点で満鉄線と奉山線が交差するところを実行場所と決めた.この地域の守備は,独立守備隊第四中隊長の東宮鉄男大尉
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の担当だった.事情をのみ込ませるため,彼を参謀部に呼んで説明した」 「東宮は,任務を引き受け,東宮と配下の部隊のほか,神田泰三中尉と桐野工兵中尉が協力することになった.具体的な方法は,満鉄の線路に爆薬を仕掛け,交差地点の南五百メートルにある展望哨にコードを引いて起爆装置を設ける,
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というものだった」 関東軍参謀の川越守二証言 張作霖爆殺の前々日「河本大佐の室を訪ずれ「あなたは張作霖の列車を爆破する計画を進められているが,現場の連絡などに助手が必要だ」と切りだした.すると彼は,東宮大尉からきた長い巻紙に書いたりっぱな堂々たる書翰を出され,はじめて同一行動者
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であることを打明け,「おれはいかように処分されても支障ないが,東宮君と君は,免職になるが,それでも協力するか」といわれた.私は「ハイ」と答え,顔を見あわせてにっこり笑った.そのとき私は大尉で,子供も二人いた.河本大佐は「今夜工兵の二十大隊の小隊長が,満鉄と京奉線のクロスしている
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鉄橋に約二百キロの黄色薬を装置することになっている.満鉄の損害はしのびぬが,国家のためやむをえぬことだし」といわれ,そしてさらに「私は郷里に最低時価二万円の山林を持っているから,これを売り,一万円を家族の養育費に,五千円ずつを東宮君と君にあげる」とつけくわえられた」
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関東軍参謀の川越守二証言 1928年6月2日「無線傍受の結果張作霖は六月三日北京を出発し同日午後十一時頃瀋陽駅に着くことを知り又北京公使館武官よりも同意味の電報が来た」 「北京の竹下中佐から,第五夫人が乗るとの列車編成の詳細な打電があり,ついで天津軍より同じような内容の来電があった.
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またこの列車と同じ七輌編成の黄色の客車が,北京駅構内に待期しているとつけくわえてあった」 田中隆吉少将証言 「河本氏の命を受けて北京に来ていた竹下参謀が,張氏の搭乗する特別列車の編成と発車時間の調査を私の上官である建川美次少将(駐在武官)に依頼して来た.このため建川氏の命により私が
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実際にこれを調査して竹下参謀に知らせたのである.この報告にもとずき,河本氏が朝鮮の工兵第二十大隊の一将校に命じて敷設したダイナマイト六百キロは,前記地点で正しく爆発して,いわゆる満州某重大事件となったのである」
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関東軍参謀の川越守二証言 1928年6月3日14時頃「秦少将から「張作霖が奉天に帰るときは,日本人の有力者は,奉天駅近くの京奉線の皇姑屯駅で,支那要人は,終点で出迎えることになり,参加者は総領事,満鉄主脳者,軍からは参謀長,秦少将,三谷奉天憲兵隊長の予定である」と電話があった.
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まもなくして,三谷憲兵隊長から「日支共同警備協議のため,軍よりも参加されたし」との電話があり,私は「日支両憲兵隊で協議して,よろしくやれ.ただし満鉄は日本のものだから,その上にははいらぬようにしてくれ」と申入れた」
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関東軍参謀の川越守二証言 1928年6月3日21時「張作霖の第五夫人の列車が新民屯を通過したとの電話があった.この電話線は,日本政府所有の唯一の新民屯総領事間の回線で,途中で河本参謀の室に直通するよう,河本参謀が処理されたのであったが,大声をださなければ通話ができなかった.軍司令官は,
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向い側の室で,全部傍受されていただろう.この電話で東宮大尉が,張作霖の車と間違える心配はないだろうかと二人で心配した.私が現地に行って伝えることになり,瀋陽館の最も信頼していた運転手に,まず柳町の遊郭にいき,私は一時間ぐらい遊んでくるからと告げて待たして,現場に行った.東宮大尉に
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「午後十一時ごろにくる汽車は,第五夫人の列車でありつぎの列車で張作霖はくる」と告げた.満鉄のクロス下には,日支の憲兵各二名ずつ立哨し線路上を白馬の兵が往来するのを目撃した.四月幾日かの大連局の消印のある殷如耕の名前で,張作霖を暗殺せよとのニセ手紙とロシア手榴弾三個を持たせた支那人
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の苦力二人を,東宮大尉のそばにねかせていた.私は,自動車で瀋陽駅をへて,奉天城門に入り,市内を一巡して,支那兵の警備状況を視察して,瀋陽館の宿舎にぶじ帰還した」 「北京からは,張作霖が出発したこと.天津からは,彼の顧問である町野少将が天津より同乗する予定との電報があった」
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川越守二証言 1928年6月4日3時以後「新民屯からの電話で「午前三時ごろ,張作霖の列車が通過した」とあった.奉天着は,朝の五時ごろで,明方である.特務機関から皇姑屯駅の日本人出迎えは中止になったとの連絡があった.私は,ふたたび現地に,前と同じ自動車で連絡にいった.特務機関の某少佐が
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料亭であばれているから行くとの口実で,車を待たして東宮大尉のところへ行った.今度の列車には張作霖が乗っている.夜があけても点火するかと問うたら,彼は「やる」と断言した.ふたたび奉天城内に向って車を走らした」
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1928年6月4日4時50分,張作霖を待つ記者の太原要は瀋陽駅に到着した先発の吉林省長張作相と顧問の丁艦修を目撃した. 1928年6月4日4時55分,瀋陽駅に第二列車が到着した. 1928年6月4日5時25分,瀋陽駅司令官が張作霖の乗る特別列車が皇姑屯駅を通過したと伝えた.
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1928年6月4日早朝,満州へ引き上げる途上にいた張作霖の乗る特別列車が皇姑屯の京奉線と満鉄連長線の立体交差地点を時速10km程で通過中,上方を通る満鉄線の橋脚に仕掛けられていた黄色火薬300キロが爆発し,張作霖が爆殺された.
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河本大作大佐証言 「六月四日午前五時五十分,張作霖が乗ったコバルト色のよく目立つ装甲車両が皇姑屯を出発した.交差地点にさしかかったところで,東宮は起爆装置を作動させた.一度目は失敗だった.一秒後,二度目で成功した」
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奉天特務機関の佐久間亮三証言 「爆破作業をやったのは○○と云う朝鮮から来て居った混成旅団の若い工兵の中隊長であったが,その準備をした所は東宮君の居った奉天の独立守備隊の兵営なので,その直接幇助指導をしたのは東宮君だろうと思って居る」
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