- KatsutaNiten
- 18569
- 64
- 1
- 198
勝田兼充師範 「『剣道』と『剣術』の違いについてまとめました。(再掲載) ⬇︎」
2019-04-11 09:50:30まとめその❶ 「剣道」という言い回しについて 剣術流派開祖のいう「剣道」とは剣の道の事であり、これは現代九武道の一つである「剣道」とは別に考えなければなリません。もし兵法書に「剣道」と出て来ても、これは文字通り剣を志す道の事であり、現代武道の「剣道(ケンドウ)」という固有名詞とは ↓
2019-04-11 09:52:13異なります。ここで混同混乱する人はかなり多いです。 あくまでも剣術諸派からの現代武道「剣道」は「竹刀競技」であり剣術を修行する上での一部分でしかありません。「竹刀競技」という呼び方で判る通り、競技という認識です。なので剣道一筋の人と剣術一辺倒の人とでは割と温度差がありますし ↓
2019-04-11 09:53:11剣道嫌いな剣術家はかなり多いです。 まとめその❷ 現代武道の「剣道」の元になったものは、剣術の撃ち込み稽古を試合として成立させた「撃剣」であり、全く剣術と無関係でも無いが、剣術の稽古とは趣旨が異なります。現代武道の「剣道」においては「剣術を併修し剣術に拘ると弱くなる。」と ↓
2019-04-11 09:54:10揶揄される事もありますが、確かに現代武道の「剣道」の試合に勝つ為には知らなくてもいい事も教える為だと想像できます。竹刀はどの様に雑に扱っても折れる事は滅多にありませんが、刀は下手に扱えば、曲がったり刃が欠けたりします。 ↓
2019-04-11 09:54:58其れから刀の重さを利用した技が使えなかったり、しなり過ぎて術がうまく扱えなかったり、竹刀には問題点があります。 ↓
2019-04-11 09:55:41まとめその❸ 剣術流派の中には、元々撃ち込み稽古として「剣道」防具を用いるところもあります。しかし気を付けなければいけないのは、彼らはあくまで剣術の技を稽古しているのであって、現代武道の「剣道」の試合に勝つ為に行なっているわけでは無いという事です。 ↓
2019-04-11 09:56:18因みに試合形式で行う場合、彼らは竹刀競技と呼ぶこともあります。 その為撃ち込み(掛かり)稽古を行う流派は大概一定の段位を持っていないと剣道防具を用いての撃ち込み稽古をやらせてもらえなかったりします。 ↓
2019-04-11 09:56:56まとめその❹ まとめその❸に該当する流派以外にも竹刀競技の修行を行う所が確かに存在し、その場合は流派の館長が個人的に行なっている事が多いです。例え同じ流派名で同じ派閥であったとしても全ての支部や本部で竹刀競技をやるとは限らないので、↓
2019-04-11 09:57:38竹刀競技....現代武道「剣道」の試合に出たいと思っている人は注意が必要です。 因みに二天一流熊本本部を置いている道場では剣道も稽古しています。 一方東京支部では剣道の代わりに超人スポーツ協会認定の剣術競技に門人が参加してたりします。 ↓
2019-04-11 09:59:05勝田兼充師範による考察つづき 「『剣道』と『剣術』がどの様にして関係してきたか、歴史を辿ってみました。↓ pic.twitter.com/A9WPzKsFP4
2019-04-11 10:50:14「袋竹刀 剣道と剣術の違いを語る前に剣術の打ち込み用具の歴史から触れたいと思います。 先ず外せない最も大切な要素に袋竹刀があります......簡単に言うと竹刀の先祖です。
2019-04-11 10:51:08袋竹刀とは鹿革で作った円筒状の袋の中に、一本の適度な太さの竹を打突で使用する部分の長さだけを裂いたものを入れたもので、従来木刀でしか打ち込みが出来なかったのを、何とか怪我せずに本格的な打ち込み稽古をする為考案されたもので、一説によると上泉信綱先生が発明されました。
2019-04-11 10:51:45しかしながら、重さの問題としなり過ぎる問題から更に改良する流派が現れます。 皮の袋というのは其の儘に、中に入れる竹を、一本の竹の先端を細かく裂いたものから、適度な竹を八分割した竹片から四つを合わせたものに変えたもので打ち込みに採用しました。
2019-04-11 10:52:10ただし此れでは打たれた時に痛いという事で、先ずは打ち込み用の小手を、次に打ち込み用の面が開発されました。 打ち込み用の小手の原型は木刀用の防具が元になったとも言われています(一刀流の鬼小手など)
2019-04-11 10:53:03防具が出来た事で、貴重な鹿革をふんだんに使って作成された袋竹刀の意義が失われたので、次にとうとう袋が無くなって、切っ先と柄に相当する部分のみ鹿革が使われる様になりました。 それが竹刀です。
2019-04-11 10:53:36江戸時代末期、この竹刀と打ち込み(懸かり)稽古用の防具が出来上がってくると、次第にこの道具を利用して勝敗を決める仕合が行われる様になり、次に明治初期頃この仕合を出し物とした興行が行われる様になったのが撃剣(ゲッケン)興行です。
2019-04-11 10:54:06現代剣道と剣術と撃剣興行をつなぐ上でとても重要な出来事がありました。 それは、明治9年3/28の大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件(通称 廃刀令)と西南の役です。 この通称廃刀令によって、軍人、警察、官吏は制服着用時帯刀を許されたが、それ以外は帯刀を禁止されました。
2019-04-11 10:54:53しかし困った事に、明治10年に起こった西南の役では、帯刀した薩摩の剣士(殆どが薩摩示現流剣士であったとも)に明治政府軍が苦しめられました。その理由に、当時の飛道具はすっかり弓から鉄砲に置き換わってしまっていた事があげられます。
2019-04-11 10:55:35西南の役で特に激戦だったと言われている田原坂では、薩摩の剣士達が坂上に陣を張り、坂の中途の茂みに隠れてゲリラ戦を繰り広げたそうです。
2019-04-11 10:56:15一方政府軍は坂元からどこに潜むとも知れぬ薩摩軍を相手にしないといけない状況でした。それに加えて雨に濡れた坂道の泥濘みに足を取られて満足に動けなかった中鉄砲で撃たなければなりません。火薬はシケて不発になるし、敵は直ぐ茂みにかくれて石を投げてくるし、どうにもならなかったとの事。
2019-04-11 10:56:27そんな中、鉄砲の弾が切れるのを見計らって奇声をあげながら薩摩剣士が飛び掛かってくるし、夜襲を仕掛けてくるしで政府軍はすっかりビビってしまったそうです。こうして政府軍にも抜刀隊が必要となりました。
2019-04-11 10:56:54そういった時代背景から、撃剣大会がキッカケとなり、抜刀隊編成の前、各剣術の宗家や師範、剣客が召集され、まず警視庁世話係に就きました。
2019-04-11 10:57:35