織田信長が仏教論争を裁いた?「安土宗論」資料集〜「雑記録」さんが現代語訳

「安土宗論」の全体的な概要はとりあえずウィキペディア参照のこと。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%9C%9F%E5%AE%97%E8%AB%96  この前、呉座勇一・井沢元彦両氏の論争の議題となっていたので、にわかに注目が集まりましたが、古い史料の現代語紹介を行っている雑記録@zakkiroku さん(https://togetter.com/li/1273972などのお仕事あり)が、1月からこの史料の現代語訳をなさっています。他のまとめなどを読むときの良い参考にもなるのではないかと思います
安土宗論 呉座勇一 戦国時代 歴史 井沢元彦 逆説の日本史 仏教 織田信長 宗教
17
林海庵 @rinkaian
#EverydayNembutsu #日々のお念仏 「宗論は どちら負けても 釈迦の恥」 “Shuron wa dochira maketemo syaka no haji.” (a senryu: satirical, humorous haiku in Edo period) A doctrinal dispute is, whichever side may lose, a disgrace to Sakyamuni Buddha.

<「安土宗論」ウィキペディア>
https://ja.wikipedia.org/wiki/安土宗論

<関連まとめ>

ツイートまとめ 呉座勇一vs井沢元彦、直接全面戦争ハジマタ 呉座勇一氏が、百田尚樹氏の「日本国紀」を、批判する際に、同書の史観の多くが、元は井沢元彦氏のものである、と指摘。そのため、必然的に同書を挟んで「呉座氏による井沢氏批判」となっていたわけです。それに対して、井沢氏は3月4日発売の週刊ポスト「逆説の日本史」で、本格的な反論を開始!したらしいのです。 元からの因縁の開始も含めて、資料や反響を集めたいと思います な.. 51348 pv 568 196 users 159

ツイートまとめ 呉座勇一氏、井沢元彦氏に反論(週刊ポスト 2019年3月29日号)〜その反響/一方「呉座―本郷和人」論争の気配…? https://togetter.com/li/1325230 からの続編…の筈だったのだけど、まとめているうちにタイトル後半に関するツイートも散見されましたので2テーマを追ってみる。 16868 pv 92 9 users 13

ツイートまとめ 呉座勇一氏、井沢元彦氏に反論(週刊ポスト 2019年3月29日号)〜その反響/一方「呉座―本郷和人」論争の気配…? https://togetter.com/li/1325230 からの続編…の筈だったのだけど、まとめているうちにタイトル後半に関するツイートも散見されましたので2テーマを追ってみる。 16868 pv 92 9 users 13

ツイートまとめ 安土宗論解説 日本史史料研究会代表生駒哲郎先生による安土宗論の解説です 2518 pv 58 3 users 1

<「雑記録」さんの過去のお仕事>

ツイートまとめ 武田滅亡描く、悲しき戦国叙事詩「甲乱記」〜その現代語訳集(BY「雑記録」さん) 平山優「武田氏滅亡」(角川選書)や「センゴク天正記」NHK大河ドラマ「真田丸」などで、描かれている武田氏の滅亡のドラマ。「武田勝頼がダメな二代目だったから、滅んで当たり前」のような描き方が、最近は変わっている気もします。その武田滅亡を描いた古典で、上の作品が元ネタや資料にしている「甲乱記」というのがあるらしいとは知っていましたが、雑記録@zakkirokuさんが数カ月.. 7145 pv 80 2

雑記録 @zakkiroku
『於江州安土法華宗浄土宗問答略記』 天正7年己卯5月25日早朝、近江国安土善行院の宿坊より使者が京都に来た。その理由は、長谷川於竹・菅谷久右衛門・堀久太郎の3人が信長の命令を奉じ、「京都にいる法華宗学僧などは早々に安土に来い、浄土宗と教義について問答する事を聞き入れるように云々」
雑記録 @zakkiroku
その後に飛脚が到来し、「少しでも遅くなれば、ご命令に背く事になる云々」と言う。 そうこうしているうちに、項妙寺日玩の庵室に7〜8人が集まって少し話し合ったが、所詮ご命令の前では無闇に談話しても仕方がない。遅参はどうかと思うので、先ずは安土に到着し、様子を聞いてくる事が良いとなった。
雑記録 @zakkiroku
同日巳刻に皆は出発し、亥刻に安土に到着した。この日は車軸のような大雨が降っていたため、路次は言語を絶する困難さであった。各自の宿所は異なる場所であったため、相談は出来なかった。 翌26日早朝、善行院に集って、先ずは信長に対して御礼を述べるのが良いと、御奏者以下に働き掛けたものの、
雑記録 @zakkiroku
予てより差し支えがあったため、承諾されなかった。色々と工夫してでも御礼を申し上げようと決めたところ、午刻になった。奉行衆の使者が来て、「普傳と久遠院は直ぐに参上せよ、お命じになられる事がある云々」と言う。やむを得ず参上した。続いて妙顕寺の法音院と妙覚寺の圓大房がお出でになった。
雑記録 @zakkiroku
町屋に呼び入れて、しばらくすると御奉行衆3人がお出でになった。「我々は御使者である」と言い、「明くる27日に問答をお命じになられた。そのため、参上している法華宗各寺院の住持及び代僧は連判するように。問答に敗北した場合は、京都並びに織田家分国中の各寺院を破却する旨を一札に入れ、
雑記録 @zakkiroku
その上で問答をせよ。しかし、それは余りに迷惑だと思うのであれば、このまま立ち帰るが良い。同意するという返事を申し上げるべし云々」。その時に久遠院が申し上げるには、「普傳と拙僧は参上せよという旨をご使者にお伝え頂いたので先ずは参上致しましたが、重大事に関するお返事ですので、
雑記録 @zakkiroku
宿にいる老僧共にそのお心を言い聞かせてから返事を差し上げたい云々」と。奉行衆たちは「尤もな理由である。それならば先ずは宿までお帰りになり、僧衆を此処まで呼び寄せてから返事せよ云々」と言い、お帰りになった。そこで、頂妙寺日珖へ此処まで来るようという旨を使者に伝えさせたが、
雑記録 @zakkiroku
些か時間が経過した後に奉行衆からは二度も使者が訪れ、「何とも遅い事だ。浄土宗からはすぐに同意の返事が来たのだぞ。法華宗はさらに遅いとは」と不快感を示した。 三度目の時に久遠院が申し上げるには、「それならば先ず申し上げます。この度、これまでは法華宗は参上せよという事は、
雑記録 @zakkiroku
ご命令として早々に下向するようにと仰られている旨を京都までお伝えに来た程であったので、遅参は如何なものであろうかと思い、とりあえず下向したためです。問答の件については、何れにせよご命令次第でございます。此方より同意を申し上げる事は迷惑であると思っておりますので、
雑記録 @zakkiroku
如何様にもご命令次第であると申し上げて頂きますようにお頼み致します云々」と。使者三人はその回答を受け取って退出した。日珖がお出でになったのでこの事を語ったところ、「尤もである云々」と仰った。 折しも奉行衆から使者が到来して言うには「各々が申し上げた先ほどの御返事の件は、
雑記録 @zakkiroku
上様の耳に入れ難い。その理由は、上様は同意すると申し上げる事をお求めになっているためである。先の二ヶ条を予め『御意志の次第である』と申し上げる事は、上様の御意志に適い難いので、こうなった上は問答せよ。また問答は迷惑だからやりたくないと思っているようだが、同意の旨を申し上げよ云々」
雑記録 @zakkiroku
その時に久遠院と法音院は、「先ほど申し上げたように上意を恐れて参上したのであり、どのような事になってもご意志に応じます。お取り成しをお頼み致します」という旨を申し上げた。使者が申すには、「同じ事を使者である我らが申し上げることは出来かねます。それならば、三人の前へお出でになり、
雑記録 @zakkiroku
直接仰せられよ云々」と。かくなる上は迷惑ではあるが、参上して申し上げようと、法音院と久遠院は奉行衆の使者と同行した。そして、佐久間八右衛門の宿所で奉行衆と対面して、御使者にお伝えしたように申し上げた。その時に奉行衆が「その旨を申し上げよう」と言ったため、僧衆は戻った。
雑記録 @zakkiroku
皆は善行院へと帰ったが、既に申の刻となっていた。折しも奉行衆から使者が来て、「『27日早朝から問答を実施せよ』と仰せになられた云々」と伝えた。その後、問答の参加役に当たる者を入念に決める必要があったが、日珖一門には多数の流派がいたため、全員が長たる者であり、このように決定した。
雑記録 @zakkiroku
先ずは第一の問答者として常光院日諦が妥当であると云々。久遠院は日珖に対して密かに日諦の道義を度々申し入れていたところ、日珖は「私に任せよ」とよくよく話していた。 折しも久遠院が言った。「問答においては、各個人ごとに得意とする方法がある。相手の問い掛けを待ってから応答する者もおり、
雑記録 @zakkiroku
又は、先ず問い掛けをしてから論破する者もいるであろう。日諦は何方を好むのか」と。日珖は「日諦は人から問われて応答する事が得意であると云々」と言う。日淵は「それならば安心である。明日は私たちの側近くで心を苛立たせるには及ばない。その上、問答者が常光院であるため、
雑記録 @zakkiroku
その他の者たちは居るも居ないも同じ事ではあるが、出頭せよというならばとにかく出頭しよう云々」と言う。次に問答の法度書であるが、処理について普傳は三ヶ条を申し上げたが、日珖はこれに同心せず、五ヶ条を書き上げた。内々の関係を活用して奉行衆にこの法度書を差し上げたが、返事は無かった。
雑記録 @zakkiroku
普傳は最近帰伏した人物であるので、問答の参加者として妥当ではない事を日珖は申し上げた。その事について、勝劣門流の中で内々に評議し、使者を派遣して夜中まで日珖に入念に申し入れたが、日珖は納得せず、常光院に決定した。 そして、参加者は常光院・久遠院・頂妙寺、記録者は法音院となった。
雑記録 @zakkiroku
その他諸々についても評議を行なったが省略する。 27日辰の刻に浄厳院へと参上した。仏殿は南向きである。内陣の東方に浄土宗側が参着した。外陣は二十二畳程の広さであり、法華宗は此処に着座した。暫くしてから判者となる事を申し付けられた南禅寺秀長老がやって来て、外陣に着座した。
雑記録 @zakkiroku
次に奉行衆が仏殿の前の芝までやって来て、使者に申し伝えさせるには「浄土宗側には問答の参加者二人に弟子の僧が付き添っている。法華宗側にも問答で役を務める者として四人の者が参加するので、その他の僧侶や俗人共は一人たりとも無用であると厳重に申し付けよ」と。
雑記録 @zakkiroku
そして、僧侶と俗人共は皆、仏殿の縁側から下に追い落とされ、無理矢理連れていかれた。普傳もまた問答を聴くために仏前に着座していたが追い立てられてしまったので、法華宗側は役を務める者四人だけになってしまった。 浄土宗側は僧侶や俗人共は追い払われたが、或る者は部屋に入って隠れていた。
残りを読む(117)

コメント

OOEDO @OOEDO4 2019年4月13日
雑記録 @zakkiroku さんのお仕事をまとめさせてもらいました。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする