溝咋神社から神々と古代史の謎に迫る!?① 〜2019.04.16
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@alPcNyJzlgqnZTp こと三島湟咋耳神 和多志大神、瀬織津姫、大山咋、 大山ツミ、ワダツミ、鉄と海運、祭祀の女神。坂田護著『三島湟咋』では平原女王墓のヒミコとも。古事記、日本書紀でその娘は「神の御子」と特別視された出雲と大和の王がムコ入したヤタノカガミの持ち主
2019-03-21 06:23:12@alPcNyJzlgqnZTp 隠蔽したいはずの古事記、日本書紀でも神の御子と書かざるを得なかった三島湟咋耳神は、ヤタガラスや大物主など正体不明のモノに変えられ、、三島鴨と溝咋神社は神輿の往来があったほど仲良かったのに、それが下がり藤に乗っ取られた三島鴨に神輿を埋めさせられる
2019-03-22 07:25:38@alPcNyJzlgqnZTp 溝咋神社の近所に神輿塚があります。昨年溝咋神社の三島宮司が亡くなったあと、宮司の奥さんから聞いた話です。暁の御鏡を見たいのだけれど、氏子管理だとか。
2019-03-22 12:28:16@340zax ありがとうございます🙇 「山車・だんじり悉皆調査」 というサイトさんによると、 1624年〜1644年頃には 神輿の渡御が断絶し、埋められたとか 暁の御鏡、 気にしたことありませんでした… 見てみたいです
2019-03-22 16:07:57@alPcNyJzlgqnZTp 暁の御鏡は紀元前の銅鏡で、溝咋神社の神宝ですが、、、宮司の奥さんが所在知れずと言うくらいなので、、、本当に氏子が管理しているのか? まさか? 紛失? 略取か??
2019-03-22 16:32:55@alPcNyJzlgqnZTp そうなんです。三島宮司が亡くなり、今は新屋坐天照御魂神社の三島宮司(溝咋神社宮司の弟さん)が兼任されています。溝咋神社入口にイチキシマヒメを祀る祠と池があるのは、イチキシマヒメも三島姫神だからです🌸コノハナサクヤとも言います
2019-03-22 21:10:55@340zax 市杵島姫と木花咲耶姫はご姉妹でしたっけ? 三島溝咋命は大山祇命の子神と言われていますよね。 先の姉妹の父神も大山祇命なので、 皆さま三島一族でも、矛盾はないかもですね〜
2019-03-23 02:58:05@340zax 宮島の市杵島姫 富士山の木花咲耶姫 が同一人物とは、初めて聞く見解です(勉強不足なだけでしょうか💦)
2019-03-23 17:03:31@340zax @alPcNyJzlgqnZTp 個人的にはイチキシマヒメは複数いたのかと思います。宗像三女神のうち一柱だけ弁財天と習合されてそれこそ正体不明になってますからね。
2019-04-18 11:01:27@alPcNyJzlgqnZTp コノハナサクヤと、イチキシマヒメ、それぞれ子どもはダレでしょう?😁 それを見てみれば二柱は同一であることがわかりますよ。
2019-04-18 08:34:49@alPcNyJzlgqnZTp @340zax 三島鴨神社にきいてみました。1600年代以前にもあったんだろう、それが途絶して1697年に再開、明治頃に溝咋神社側の神輿が埋められたのではないかという話でした。三島鴨神社は社史本で出してるそうなんで今度かってきますね。
2019-03-25 11:33:51@340zax @alPcNyJzlgqnZTp それがどちらの断絶の時代なのかは現時点で不明ですが、三島鴨神社の神輿はあるそうです。現状川の水位が船で神輿渡御できるだけありませんので安威川挟んでの対立があったのかもしれませんね。文献残ってそうな年代ではあるのですけれど。
2019-03-25 12:30:46@W25ibMeAD1BPOo3 @alPcNyJzlgqnZTp また、三島郡には三島神社もあったそうですが、藤原系の安威神社に合祀? とりつぶし建て替え? されたかでなくなったそうです。溝咋神社も上宮、下宮あったのを半分にされていますね。
2019-03-25 12:37:31@W25ibMeAD1BPOo3 @alPcNyJzlgqnZTp 三島鴨はあるでしょうね。下がり藤たてて従属した形だから宮司も藤原系に変わっているのでは? 従属しなかった溝咋神社は宮を半分取り壊されて敷地もなくなり、神輿を今もある神輿塚に埋めさせられたとか。
2019-03-25 12:40:12@340zax @alPcNyJzlgqnZTp 仏教との習合と分離を越えた今存在する神社、昔はまわり田んぼばっかだったでしょうしそのあたりはあまり深読みしないほうがいいかもです。電車通すでまとまった神社とかも多いですし。
2019-03-25 13:19:53@340zax @alPcNyJzlgqnZTp 注文したり購入予定の本読んでからでないと特に元になる情報もありませんが三島鴨神社も藤原氏に従属したわけでらないかと。新屋は単立で存続していますし、現在の溝咋神社の荒廃の原因は宮司病死と天災、住民の諸事情でしょうし。
2019-03-25 13:47:42@340zax @alPcNyJzlgqnZTp saberismywife.seesaa.net/article/441787… こんな話出てきました。三島氏が有力だった時代はもうこのあたりの話より1000年は昔でしょうし、墓説も興味深いですね。掘り下げるとどんどん読むべきものが増える(そして現実的には生活の役に立たない)
2019-03-25 13:54:12@alPcNyJzlgqnZTp @340zax 今もある神輿塚がコレだと思うとちょっとまわりの情報、郷土史あたりたいですね。溝咋耳墓説が正しければ2000年近く前、神輿埋めただけならせいぜい500年ですし。
2019-03-25 17:01:57@W25ibMeAD1BPOo3 @alPcNyJzlgqnZTp 湟咋耳墓が、、、これだとかなり寂しいですね (T_T コトシロヌシは神津島で、物忌名神社の物忌姫に婿入し「三島明神」を名乗っています。つまり婿入りした氏が三島。物忌名と神名消しされてる姫は三島の姫神
2019-03-26 16:30:33@W25ibMeAD1BPOo3 @alPcNyJzlgqnZTp いわゆる大山陵を耳原と呼ぶ、ここは本当はダレの墓? m.facebook.com/groups/1374226… いわゆる大山陵
2019-03-26 16:35:22@alPcNyJzlgqnZTp 河合神社はヤタガラス祀り、河合氏はヤタガラス本姓三島湟咋耳神の氏、三島暦の作暦師だった。下鴨に今は三井社と呼ばれる八城国風土記によると元はミミ社と呼ばれヤタガラス、イカコヤヒメ(かぐや姫)、玉依姫の三身をミミの神と祀っていた。湟咋耳神の隠し祀り
2019-03-28 21:48:57