為末大さんによる「私のパフォーマンス理論 vol.16 -集団について-」

もとのテキストはこちらのようです 「私のパフォーマンス理論 vol.16 -集団について- 2019年04月21日」 http://tamesue.jp/blog/archives/think/20190422
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爲末大 Dai Tamesue @daijapan

競技者にとって集団選びで気にしなければならないのは視座の高低だ。どれだけいい人で、どれだけ人格者でも、視座が低ければ頂点には行けない。視座が低い人格者は、人を安心させて居場所を作ってしまうので厄介ですらある 私のパフォーマンス理論 vol.16 -集団について- tamesue.jp/blog/archives/…

2019-04-22 06:54:27
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

自分がこうなりたいと思う人がいる集団を選べぶのがいい。一方で相手もこちらを選ぶ。集団に自分を変えてもらおうと思っている人間は受動的で集団の質を落とす。自分が集団を変えられる人間は集団の質を上げるので欲しい。結局自ら自分を変えようと思っている人間ほど、良い集団に属することができる。

2019-04-22 06:56:11
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

視座の高さが全てだ。世界一を目指す集団と日本一を目指す集団では、主観的な努力度(辛さ)はさほど変わらない。世界一を目指すなら400mではなく競技人口が少なく技術要素が高い400Hを選ばざるを得なかった。視座が低い集団は選択肢を議論できるが、一番上に行こうとすれば選択肢はほとんどない。

2019-04-22 06:58:43
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

特に日本のスポーツ集団は同質性が高い。このような同質性の高い集団は、一体感を好むので馴れ合いも生じやすい。視座が低い集団では、平均値に引き寄せようという力が嫉妬や冷笑主義、集団内政治、好き嫌いによる判断、形式主義の形で現れる。属する集団の視座の高さ、目標の高さは重要だ。

2019-04-22 06:59:59
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

強い組織は当たり前のレベルが高い。目標やビジョンよりもむしろ言葉にもされていない当たり前のレベルの方がよほど競技力に影響していた。世界一になるのが前提の集団では、いちいち国単位の話が出ないので気がつけばこれにも馴染む。何気ない日常や普通はこんなもんだよねという基準のレベルが高い。

2019-04-22 07:02:39
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

集団は大体共有された口癖を持っている。強い集団は物事をシンプルにするので、口癖が本質的で、質問も端的であることが多い。反対に強くないチームは、ふわっとした言語が多い。弱いチームは総じて”ごっこ”の空気が漂う。ごっことはそのように見せてあるだけで、そうではない状態のことを指す。

2019-04-22 07:03:51
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

集団が伸びる時は1番手ではなく、中堅以下の選手が伸びた時。スター選手は違う存在だが、昨日まで自分と同じだった存在が活躍すると悔しさも大きいし、あいつにやれるなら自分にもやれるんじゃないかという希望が生まれる。要はリアリティのあるサクセスストーリーが生まれると、集団が活性化する。

2019-04-22 07:06:07
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

一度は質の高い本物の集団を見ておくことを勧める。それがないとすごくない集団をすごいと思ってしまったり、どの集団でも弱点に不満を言う人間になってしまう。愚痴ばかり言う人間は、集団に自分を変えてもらいたいと思っていて期待をしすぎている。質のよい集団はこのような人間を求めていない。

2019-04-22 07:07:39
爲末大 Dai Tamesue @daijapan

集団は危険でもある。私は弱い人間だったので、集団にいるとつい安心して変化できなくなってしまったので、完全に集団と一体になりきらないように注意をしていた。群れは魅力的だし、群れでできることは多いが、同時に群れは人を弱くするというのが私の考えだった。

2019-04-22 07:08:48